第46話 眼鏡の司書さんは好きですか【ほのぼの】

「最近、どうも近くの文字がかすんで見えるようになってね」


「リーリヤ、ついに眼に老いがくるような年齢に」


「いや私の話じゃなくって、お妃様の話なんだけれどもね」


「誤魔化さなくてもいいんだぞ」


「誤魔化してないわよ!! というかまだそんな年齢じゃないし!!」


 じとりとこちらを睨むリーリヤ。


 はやとちりの気まずさ。

 そして、彼女の割と本気なしかめ面。

 どうしていいか分からずに俺は眼を図書館の外へと泳がせた。


 わぁ、今日もいい天気。

 こんないい日和に、どうして図書館なんかに篭って仕事しなくちゃならんのかしらん。


「まぁいいわよ。心配してくれたのは素直に嬉しいし」


「お婆ちゃん、あんまり無理しちゃダメだよ」


「前言撤回。マクシム、ちょっとそこに正座しなさい!! 誰がおばあちゃんか!!」


 怒るリーリヤ。

 おぉ怖い。事実を言っただけだというのに、なぜそんなに怒るのか。

 三百歳なんて、お婆ちゃんもお婆ちゃんじゃないか。人間の感覚で言ったら。


 などと茶化していると、彼女の手の中に丸い透明な円盤が揺れているのが見えた。

 なんだろうか。


「なんだそれ」


「レンズよ。見たことないかしら。望遠鏡の先についてたりする奴よ」


 望遠鏡というのは何度か使ったことがある。

 だが、その先についているものとは、意識したことがなかった。


 真ん中かがぷくりと弓なりに膨らんでいる。

 ガラス製だろう透明の材質をしたそれ。


 リーリヤから手渡されて覗きこめば、かすかにその先に見える世界が歪んで見えた。はて眼でも悪くなったかと、そのレンズから視線を離せば、普通に世界が見える。


 さて、これはいったい。

 首をかしげた俺をリーリヤが意地悪っぽく笑う。


「ほんと、こういう物にあんたって弱いわよね」


「うっさいわい。使わないんだから仕方ないだろうが。というか、なんだよこれ」


「望遠鏡の先についてる奴って言ったでしょう。ほら、こうして遠くの景色を、このレンズを通してみると」


 そっとリーリヤが窓の前にその円盤を置く。

 先ほど歪んで見えた景色が、今度ははっきりとレンズの中で像を結んだ。

 遠くに見える橋の光景が、普通に窓から見るものよりも大きく見えるではないか。


 なるほど望遠鏡の原理はその先についているこの透明な円盤にあったのか。


 ――で。


「それがいったい老眼と何の関係が」


「わかんない人ねアンタも。つまりねぇ、このレンズをちょうど近くの文字とかが読めるくらいに調節して、書籍にかざしてやるってことよ」


 遠くの物がよく見えるものなのに、近くのものが見えるようになるのか。

 それは、なんだか矛盾した話ではないのか。


 やれやれまったくと、首を横に振ってリーリヤは溜息を吐く。

 こいつ、俺がそういう現代的な装置の類に疎いからって、そういう風に嫌味な態度をとるかね。お前だって世間の仕組みには疎いくせに。


「とにかく、このレンズを使えば、お妃様の老眼はどうにかなるわ。ただ、いつもこうして、これをもって書物を読むって言うのも野暮のきわみというものよね」


「そんなん使わずに魔法でちょいちょいと治せんのか」


「眼の中の水晶体を治す魔法はあるにはあるけれど、なかなか高度な魔法でね、私みたいな学術専門の魔術師じゃ無理よ。それこそ、生体魔術に精通した」


「よし、分かった、俺が悪かった。で、どうするんだ」


「……こうする」


 そう言ってリーリヤが取り出したのは、分厚い装丁の魔導書。

 そして、一本の針金。


 そんなものを取り出してどうするのか。

 言う間もなく、リーリヤは魔導書を開くと、その上に針金とそのレンズを置く。


 袖口から取り出した月桂樹の杖を握りしめて呪文を唱える。えい、と、その先で針金を叩いてみれば――どうか。


 うねうねともんどり打った針金は、見る見るうちに絡み合って幾何学的な文様を作り上げていく。真上から見ると辺の欠けた四角形のような形になりつつあるそれは、やがて魔導書の上に置かれているレンズを拾い上げると、側面にそれを据えつけた。


 ちょうど切れている辺の対面に、二つ並んですえつけられたレンズ。

 編みあがった針金の構造物をひょいと指先で引っ掛けると、リーリヤはそれを自分の顔へと持っていった。


 長い耳の先に、編みこまれた針金の先を引っ掛ける。

 それから、彼女はレンズ越しに俺を見てきた。


「どう、似合うかしら?」


「似合うかって言われても、なんとも。ていうか、なんだそれ」


「望遠鏡を四六時中ぶら下げておくわけにも行かないでしょう。だから、四六時中駆けやすいように軽量化したものよ。眼鏡なんて、西の国では呼ばれているわ」


 はぁー。

 よくもまぁそんなもの考えついたものだな。


 老化と共に訪れる視力の低下という奴は、人間、および亜人にとって、切っても切れない悩みである。

 確かにそのレンズなるものを、身近に使える道具というものがあれば、これほど便利なものはないだろう。


「で、これはその、西の国で開発された眼鏡の魔導書よ。貴重品でね、これ一冊で下手なお城くらい買えちゃうんだから」


「えらいもんだな。まぁ、物がよく見えるようになるなら、それくらい出すか」


「まぁそれもあるんだけれど、一番の理由はこのフレームの芸術性よね。金属一本からこれだけの文様を編み上げてしまうのだから。眼のよしあしとは別に、アクセサリーとして、つけておきたくなるわ」


「はぁん、そうですか」


「どう、賢く見えるかしら」


 眼鏡ごしにこちらに向かってウィンクするリーリヤ。

 どうだか、と、そっけない返事をしてみせた俺だったが、確かに、格子模様のフレームとレンズによって目元を強調された彼女には、ちょっといつもと違った魅力があった。


 っておい、何をときめいているんだ、俺は。

 相手はリーリヤだぞ。まったく。


「やだ悩殺しちゃったかしら。私ってば罪な女ね」


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。誰が悩殺なぞされるかってんだ。エルフが身に着けるにはあまりに不釣合いだなって思ってただけだよ」


「あぁ、金属製のアクセサリーはあんまり合わないわよね」


 咄嗟に誤魔化した言葉に反応するリーリヤ。

 どうしたことか、うぅん、と、何か悩むようなに彼女は唸る。


 すぐさま、せっかく編みあがったそのフレームから、リーリヤはレンズを外す。おい何をしているんだ、と、声をかけた俺を無視して、彼女は執務室の窓の近く、置いてあったプランターを手に取った。


 プランターから伸びている、緑色した茎を一つ引きちぎる。

 その先には小さいながらもつぼみがついている。


「おいなにしてんだよ、せっかくもう少しで花が咲くってとこまで育ってたのに」


「まぁまぁ、いいからいいから」


 回答になってない言葉を返してリーリヤは俺の前に戻ってくる。

 それから再び、魔導書の上に茎とレンズを置く。

 先ほどと同じように、とんと、月桂樹の魔法の杖をひと叩きすれば――どうだろう。


 しゅるりと今度編みあがったのは、緑色をした茎の眼鏡であった。


 しなやかな植物の茎でできているというのに、持ち上げたリーリヤの手の中で、それは先ほどの針金のそれと同等にしっかりと形をとどめている。

 なんという生命力。なんて言ってやりたいところだが、魔法のおかげだ。


「すごいもんだな、それもその魔導書の力か?」


「そうそう。そこそこ長いものだったら、このフレームの形で硬化できるのよ。こういう材質を選ばないところも魅力なのよね」


 と、また、リーリヤが眼鏡を自分の顔にかけた。


 先ほどと違い、優しい色合いの茎と曲線の多いフレームの文様が、のほほんとした穏やかな印象を与えてくれる。

 田舎育ちで人のいい王立図書館の司書エルフ様。

 彼女には、さきほどの冷たい感じのするものよりは似合っているだろう。


 あくまで主観だが。


「まぁ、さっきのよりはいいんじゃないか。緑はエルフの色だしな」


「なにその誉め言葉。マクシム、貴方って、本当に女心が分からないのね。ボールスさんだってもう少し言葉を選ぶわよ」


「そんなことはない。アイツだったら、もっとこう、いざとなったら非常食になりそうだなとか、色気のない誉め方をするさ」


「あ、なんかそれ、想像できるかも」


 くすくすと滲むような笑いを口元を押さえて隠すリーリヤ。


 どうも今日については、俺は彼女に頭が上がらない一日のようだ。

 ふと、その時、彼女の眼鏡の角にあった、茎の先にあるつぼみが、ぽうと開いた。

 白いその花弁がふわりと揺れたかと思えば、鮮やかな黄色が中から見える。

 

 不意に咲いたその花に手を添えるリーリヤ。


 こと、暗い図書館に篭って日陰仕事。

 明るさなどとんとない根暗エルフ。

 そんな彼女が不意に見せた、なんとも可憐な姿に、俺は不覚にも胸を高鳴らせた。


「やだ、ちょっと、花が咲いちゃった。花粉が眼に入っちゃうわ」


「ってなんだよ、大人しくしてれば絵になったのに、どうしてそういうことを言うかね」


「ダメねやっぱり植物の茎は。うぅん、待って、花の咲かない植物なら、いけるかもしれないわね。シダ植物とかいいかも」


「やめとけいそんなの。まったく、どう着飾ったところで、中身がこれじゃ仕方がないな」


「どういう意味よそれ」


 茎のめがねを外してこちらを睨みつけるリーリヤ。


 ようやく直視できるいつもの姿に戻った彼女に、俺はようやく今日はじめての皮肉の篭った笑顔を向けるのであった。

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