第47話 盗賊の子守【ほのぼの/ゲスト:ナディア】

「なんだお前、いつそんなソファなんて買ったんだよ。金持ちだな」


 長袖だと汗ばんでしまう夏の盛り。

 外回りを終えて帰ってきた俺を、優雅にお茶なんて飲みながら休憩室で出迎えたリーリヤ。そんな彼女の背中に、見慣れない色合いのソファがあった。

 ついつい嫌味が口を吐くのは、もはや俺の病気だ。


 流石に正司書様はお給金が違うね。そんな備品を買って、職場の精神衛生をよくしようだなんて、司書補佐の俺ではとてもじゃないが思えない。


 朝、ここに顔を出したときには確かにソファなどなかった。

 深い青色をしたゆったりとしたものである。大きさから考えても、金貨三枚から五枚は下らない。まぁ、そこそこの値段はすることだろう。

 

 人が汗水たらして働いているというのに、のんきしてくれちゃって、まぁ。

 いいさそれなら、俺もそのソファの世話になるとしよう。

 俺は空いていたリーリヤの横にどしりと背中を預けた。


「おうおう、なかなかいいすわり心地じゃないの。流石にリーリヤ、いい買い物したな。これなら昼寝もしやすそうだ」


「なに馬鹿なこと言ってるのよ。マクシム、もっと周りをよく見なさい」


「何のことだよ」


 言われてリーリヤの方を向いた俺の視界に、ぎょろり、と、こちらを見ている大きな眼が写る。


 リーリヤの背中に肌色と共に現れたそれ。

 なんだか迷惑そうに、瞼を半分閉じてこちらを見ている。

 その日常風景に不釣合いな光景もさることながら、無言で浴びせかけてくる非難の念に、深夜でもないというのに肌寒いものを背中に感じた。

 

 なんだこれ。


 怪奇現象か、はたまた呪いか、新手のリーリヤの俺に対する嫌がらせか。

 おそらく後者が一番可能性が高い。

 だとしても悪趣味である。


 いや、待て、よく見ろマクシム。


 眼だけじゃない。リーリヤの奥に控えているのは、大きな瞳だけでなく、鼻、眉、口、そしてピンク色の頬に、ソファと同じ色をした髪。


 人だ。

 いや、巨人だ。

 青い髪の巨人がこちらを覗き込んでいる。


 その時もぞりとその何かが蠢いた。


「のわぁっ!? なんだなんだ、こりゃ、いったいどういうことだ!?」


 飛び出すようにしてソファーから退いた俺。

 その、俺がいた場所に、もぞりと立ち上がる肌色を大きなしたそれ。

 もみじのように五つに分かれたそれは、見るからに人間あるいはエルフなどの亜人種の手である。


 しかしそれは隣に居るリーリヤのものではない。

 人の顔と同じくらいある異様に巨大な手なのである。それでなくても、いつも見慣れているそれを、俺が見間違うはずがない。


 驚いたことにその手は、どうやら、俺が腰掛けていたソファから生えているらしかった。


 いや、もう、分かった。

 俺がソファだと思っていたものの正体が。


「ダメじゃないマクシム。女の子に許可もなしにいきなり触るだなんて」


「いや、気がつかなかったから仕方ないだろう。というか、お前、注意しろよ」


「だって貴方、手が早いんですもの」


「人聞きの悪いような言い方するな」


「しかもこんな、まだ幼い、五歳の女の子にいきなり」


「だから人聞きの悪いことを言うな!!」


 まだ幼いってことはないだろう。

 外見だけで言えば、もう立派な成人女性である。胸だって、どこぞのツルペタ貧乳族よりよっぽどあるってもんだ。


「いまなんだか失礼なこと思ったでしょマクシム」


「別に思っとらんよ。変ないちゃもんつけてくれるなよ、まったく」


 そう、事実を考えたまでだ。

 エルフ族の発育の悪さというのは、この世におけるどんな謎よりも深く複雑で、そして由々しき問題である。これでお前、人並みに胸のそれがあったなら、俺はこの生意気エルフ娘のどんな暴言だろうと暴力だろうと耐えてみせるというのに。


「やっぱりまたろくでもないこと考えてるでしょ」


「考えていないって言ってるだろう!! いい加減にしたまえ君!!」


「だったらさっきから何で私の胸をじっと見てるのよ」


「えっ、いや、それは。とにかく、不可抗力だ、すまん、ナディア許してくれ!!」


 怒れるまな板エルフから視線をそらすと、俺は話題をそらす目的も兼ねて、ナディアに頭を下げた。


 そりゃまぁ驚いただろう。

 なにせほとんど知らない男にいきなり触られたのだ。

 巨人でなくて人間だったら、きっとたまらず叫んでいるところだ。


 以前リーリヤから話を聞いたが、巨人族はその体の体積に比して臓器も大きいのだという。心臓や肺といった、生命活動の維持に必要な器官であればそれも仕方のないことだが、耳などについては、その大きさによる弊害を受けてしまう。


 彼ら巨人の耳は、人の何倍もの音量を聞けるようにできている。

 しかし、それに耐えれるかどうかは、また別の話。

 多くの巨人は、そのあまりによく響く耳のせいで、迂闊に声を出すこともできず、もっぱら彼らの種族は無口になるのだという。

 

 それだけに、表情だけで訴えてきた、ナディアがどうにもいじらしい。


 未だに顔を紅くして、頬を膨らませて涙目にこちらを見る少女巨人。

 俺はなんとかわいそうなことをしたのだろうか。


「流石ねマクシム。姪っ子に無精ひげで頬ずりして嫌われるだけはあるわ」


「茶々いれんなってリーリヤ。その話はもう済んだことだろう」


「女心というか繊細さが足りないのよね、貴方って」


「そうね、繊細さのかけらもないどこぞのエルフ様を相手にしてるとね、どうしてもそういう心遣いみたいなのが磨耗しちゃうんだよね」


「言うじゃないのよ」


 嫌味を言われて理解できる程度の脳みそは持ち合わせているようだ。

 やれやれまったく。そんな感じに、魔法だとか歴史だとか、そういう興味のあること以外にも、もっとそのたいそうな知恵を働かせてくれると助かるんだがね。


 呆れと共に溜息を吐いた俺の前で、リーリヤが立ち上がる。

 何かしていたところだったのではないか。思わず、声をかけようとした俺に、すれ違いざま、彼女は手にしている本を渡してきた。

 なんだこれ、どうしろと。

 手にした本を見て俺が固まる。


「ちょうど彼女に絵本を読んで聞かせてあげてたところなのよ。けど、流石にちょっと疲れちゃった。マクシム、あと、お願い」


「うぉい、お願いって、お前」


「大丈夫大丈夫。人間の五歳児でもよめるような絵本だから」


「いや読めるかどうかの心配じゃなくってだな」


「せっかく距離が縮まったんだから、このまま縮めきってしまえばいいじゃない」


 やれ妙案だ、とばかりのいつものドヤ顔。

 エルフ娘は気軽にそんなことを言うと、俺に追いすがるときも与えずに、軽やかな足取りで炊事場へと消えて行った。


 五歳児でも読めるからって。


 ナディアが俺に本を読んでもらいたいかは、それとこれとは別の話だろう。


「いきなり無責任な奴だな。待ってろナディア。すぐに連れてくるから」


 そう言って、休憩室を離れようとした俺を、物をいいたげな少女の瞳がみつめてくる。

 どうして行ってしまうのか。

 そんなことを訴えるような視線。

 知らん、それはリーリヤの奴に言えばいいだろう。


 気づかなかったことにして背中を向ける。

 だが、盗賊という神経を削る稼業で鍛えた俺には分かる。ナディアが、それでもまだ、俺にその視線を向けているのを。

 そして、なんだかぐずるように、鼻を鳴らしているのも。


 元盗賊であると同時に、姪っ子の居る俺には分かった。

 これ、置いて言ったら泣き出して大変なことになる奴だ。ぐずって、大暴れして、部屋とか家具とか色んなものが滅茶苦茶になる奴だ。


 はたして巨人がどういうぐずり方をするのかは定かではない。

 だが、子供と言っても、巨人。

 伝説に謡われる、かつてこの大陸を三十日をかけて踏み固め、山脈を捏ね上げた一族の末裔である。


 こんなちんけな図書館なぞ、彼女が暴ればひとたまりもないだろう。


 彼女だけならばいい。

 これがきっかけで巨人族との関係をこじらせて、王国と巨人が戦争などということになったらどうなる。


 駄目だ、この視線、裏切ることはできない。


「仕方ないな。まぁ、五歳児でも読めるんなら、日常語程度だろ。どれ、おじさんが代わりに読んでやるかな」


 途端、巨人娘の顔がぱっと明るくなった。

 それまで半分閉じていた瞳をぱちくりと開かせて、にっと口元を吊り上げるその顔は、まさに、年相応の少女に相応しい掛け値のない喜びの表情だ。

 それだけに、また、俺は暫くの間言葉を見失ってしまった。


 嫌われてるかと思っていたんだがな。

 分からんものだな。巨人というのは、案外素直な種族なのかもしれない。


「どれ、どこまでリーリヤの奴には読んでもらったんだ」


 近づいて、ナディアの前に座った俺。

 すると、どうしたことか、とんとんと、ナディアは彼女の胸の前の床を、その大きくはあるがしなやかな線をした指先で叩いた。

 ここに座れ、というのだろう。

 やれやれまったく。いや、違うか。


「ここじゃせっかくの絵本が見えないものな。しかし、いいのか?」


 こくりこくりと首を振り笑うナディア。

 いよいよもってその笑顔を裏切れなくなった俺は、彼女に誘われたとおり、その指先が示す場所、巨人のソファの特等席へとゆっくりと背中を預けた。


「さてと、渡り鳥のルドルフ、ね。西の果ての海の小島に、渡り鳥の群れがやってきました。群れの長はルドルフというオオワシで、それはそれはたくましい翼を持った、勇ましい鳥でした」


 ナディアの指先が絵本の中のワシを差した。

 そう、それが、ルドルフ。

 言ってやると、にこりと、笑う。

 そして彼女は小さく唇を動かすと、声には出さずに、唇の形でルドルフと俺に次げた。


 次いで、ナディアは俺を指差す。


「マクシムだ。よろしくな、ナディア」


 その唇が、静かに、音もなく、俺の名前を告げている。

 太陽のように眩しい巨人の笑顔。俺はこんなものがこの世にあるなんて、今の今まで思いもしなかったよ。

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