第17話 海辺の森の果実【ラブコメ】

 紙の林檎を木からむしる。

 かじってみたが当然のように果汁が唇を濡らすことはない。


 形にしても色味にしても、どうやったって林檎にしかみえないそれだが、口に入れれば広がってくるのは、紙とインクの苦々しい味だけだ。

 たまらず口の中のそれを地面へと吐き出した。


「ちょっと。汚いじゃない。というかなにしてるのよ」


「食べれるのかなとちょっとばかし思ってな。やっぱり無理か」


「当然じゃない。ここは魔導書の魔力が見せる幻影か、はたまた漏れだした魔力が紙とインクで創りだした世界なのよ」


「だよなぁ」


「まったくしっかりしてよね」


 リーリヤが俺の吐いた林檎を魔法で燃やす。


 ここは第三書架室こと樹木の書架。

 古今東西の樹木に関する魔術書が納められている場所だ。

 そして、とかく食道楽についてご執心な我が国の王女様のおかげで、ちょいちょいと、俺とリーリヤが入っている部屋でもある。


 今日も今日とてミッションは王女様の食道楽。

 南国にヤシの樹なる樹木がある。その果肉から取れる汁が美味と聞いた彼女は、迷うこと無く俺たちの所に来た。そして、ここ第三書架室にて、ヤシの樹に該当する魔導書を探しに入るように命じたのだ。


「どうでもいいが、その手の木ってのは、普通の書物には載ってないのかね?」


「説明だけなら載っているでしょうけどね」


「こうして具現化したところで、別に食べられるものでもないんだろう?」


「実際に眼にして触ってという所までは分かるじゃない。いいことだと思うわよ、そういう、より現物に近いものを手にしてみたいっていう発想は」


 その度に、この木々の生い茂る森のなかに潜るこっちの身にもなってくれ。

 リーリヤの奴はエルフだから、別段苦ではないのだろう。


 俺も一応山育ちだ。

 まぁ、苦ということはない。

 だが、あまり好んで入りたいものでもない。

 なんといっても山は危険だ。舐めてかかると、普通に死ぬ。

 エルフがどうかはまぁ知らないけれど。


「今度から一人で行けばいいんだよ」


「やぁよ。マクシム、貴方、この森のことを侮ってるんじゃないの」


「どう侮ってるっていうんだよ」


「魔力でその姿を変える不思議の森なのよ。迷ったら最後、二度と書架室の外に出られるか分かったものではないんだから」


 そりゃ、頻繁に変わるというのならそうかもしれん。だが、少なくとも、数カ月前に入った時と、そう風景が変わっていないように俺には見えるんだがね。


 うん。単に、お前が方向音痴なだけと違うんか、と。


「で、どうなの、マクシム。お目当ての、南国果実辞典は、この辺りにありそう?」


「どうだろうな。南国って感じの森でもないし、まだ、遠いんじゃないの」


「なによそのふんわりとした返答。ちょっと、真面目に仕事する気あるの?」


「少なくとも散歩気分のお前よりはあるよ」


 どういう意味よと俺の首輪がぐいとしまる。

 図星だから怒るんだろうなこのエルフは。


 と、その時だ。

 くんと、俺の鼻孔に、目的の魔術書の切れ端から感じたのと、同じ臭いが入りこんだ。まったまった、と、リーリヤに首を締める魔術を止めるように頼む。

 俺は微かに鼻先に感じたその臭いに集中する。


 漂ってくるのは、細い幹をした広葉樹が生い茂っている方。


 こっちだ、と、リーリヤの手を引いて、俺はその中へと飛び込んだ。


 べちゃり、と、湿った音が足元から響く。

 どうしたことか、その細い幹の木が生い茂った場所は、それまでと打って変わって、粘質な湿地帯になっていた。


「ひゃぁっ!? なによこれ、ちょっと、マクシム!?」


「何を驚いてんだよ」


「いきなり下が湿ってたら驚くでしょう。あぁもう、この靴気に入っていたのに」


「洗って乾かしゃ汚れなんて取れるだろう。いちいちこの程度で」


「あっ、ちょっと、何アレ、なんなの?」


 リーリヤが指を向けたのは広葉樹林の根。

 なぜだか剥き出しになり、弓なりになって幹を押し上げているその根の間に、かさりかさりと動く影がみえる。


 緑色した骨格を持ったそれは。


「でけえカニだな」


「いやっ!! ちょっと、なんで森のなかにカニがでてくるのよ!?」


「知らんよ」


「おかしいじゃない!! 森の中にどうしてこんな湿地帯と甲殻類が出てくるの!? 森って言ったら棲んでいるのは猛禽類とクマとか小動物でしょう?」


 知らないよ。

 お前が管理している書架のことだろう。

 どうせまた間違って違う魔導書でも放り込んでいたんじゃないのか。


 俺達の気配に気がついたのか、緑色のそのカニは、驚くようなスピードで、こちらへと近づいてきた。そして、その鋭い爪先を、ちょきりちょきりと鳴らして、リーリヤへと迫る。


「やっ、ちょっと、ヤダ!! こっち来ないでよ、もう!!」


「なんだよ気に入られてんなリーリヤ」


「嬉しくない!! どうにかしなさいよ、マクシム!!」


「いやけど、林檎も食えなかったしな、カニも食えないと思うと、なぁ」


「そんなのどうだっていいでしょ!! あぁ、もう!!」


 俺の首を締めるために出していた月桂樹の杖を一振り。

 得意の炎の魔術を起こせば、緑色をしたカニはぼうと炎に包まれた。


 さすがにもとが紙だけあってよく燃える。

 別に俺に頼らなくってもよかったじゃないか。


 近くにあった広葉樹に身をよりかけて荒い息を吐くリーリヤ。


「なによもう。どうなってるの。ここは樹木の書架でしょう」


「樹木っても色々あるからな」


「だからって湿地も沼地も要らないわよ。なんでこんな無駄に凝ってるの」


「俺に言われても」


 南国はこういう森が一般的なんじゃないのか。

 そのあたりどうなのだ。


 聞けば答える知の泉。

 リーリヤさんに尋ねると、彼女は知らないわよと自分の無知を棚に上げて激昂した。


「こっちは北の森産まれ。産まれてこのかた、一度も南国になんて行ったことないんだから」


「そうだったな。果実がどんなのかも知らないんだものな」


「悪かったわね」


「いや、悪くはないけどな。ていうか、足元」


 もう一匹、どこから沸いたか、緑色のカニ。

 そいつがリーリヤの足に迫っていた。


 ひゃぁと飛び上がって、また炎の魔法を使う。

 実にコミカルな動作に、思わず笑みがこぼれ出た。


「もうやだぁ。はやくみつけて帰りましょう。この近くなんでしょう、マクシム?」


「だと思うんだがな。と、ちょっと、この先が開けているみたいだな」


「やだ、やだやだ、私、もう、これ以上、一歩も動かないんだから」


 根の上に登ってカニと湿地から逃れたリーリヤは、ふるふると、その幹につかまりながら首を振っていた。


 耳の先まで真っ赤にして涙目とは。

 いい歳したエルフがそこまでして拒むかい。

 なんというか大人げない。


 まぁ、近くにあるのは間違いない。じっとしているのなら、はぐれることはないだろう。

 俺は彼女を置いて林の先へと進む。

 徐々に明るくなる森の風景。

 ふと、突然に木が見えなくなったかと思えば。


「なんだこら」


 そこには見たことのない青々とした水面と、白い砂浜が広がっていた。


 海か。

 いや、こんな綺麗な海がこの世にあるのか。


「というか、樹木の書架になんで海」


「ちょっとマクシム。嫌よ、置いていかないでってば。また変なの出てきたら、って」


 リーリヤが黙った。

 そんなのよりもよっぽど変なものが出てきたのだ、そりゃ言葉に詰まる。

 俺の隣に並んだリーリヤは、さきほどまでの慌てた顔はどこへやら、うっとりとした表情で、その景色を眺めていた。


「綺麗。私の故郷の湖とは、また違った感じだわ」


「もしかして、大海系の書籍でも間違えて入れておいたのか」


「そんなことしないわよ。私も前任者も、ちゃんと魔導書は一度眼を通してから、書架に放り込んでいるんだから」


 きっと、私達が探している魔術書、南国果実辞典の影響じゃないかしら。と、リーリヤはしたり顔で言う。


 本当だろうかね。


 その正司書様によるチェックがザルなおかげで、色々と最近迷惑を被っている気がしないでもないけれど。


「なんにしても。こんな綺麗な海なんだもの、やることは一つよね」


「あっ、ちょっと、おい」


 抜け駆けして駆け出すと、リーリヤはローブを脱ぎ散らかす。

 月桂樹の杖と一緒に、それを浜辺に放り投げるとそのまま海へとその身を投じた。


 ざばり。

 浜辺に寄せる波音とは違う水音が辺りに響く。


「はぁあぁ、気持ちいい。森の中を歩きっぱなしで、じめじめとしてたのよね」


「おいこら何を遊んでんだよ」


 白いブラウスが水に濡れて透けている。ベージュ色をした造りの簡素な下着が浮かび上がったそれに、すこしどきりと胸が高鳴る。


 いやいや。

 ババアエルフに何を感じているのだ俺は。


 と、そんな戸惑っている隙を狙って、えい、と、リーリヤが何かをこちらに投げた。

 何をする、と、眼前に迫るそれを手で受けようとして。


「あえ」


 ぐき、と、その何かを受けた俺の腕が嫌な音を立てた。


 硬い。

 なんだ、これ。

 というか、痛い。

 痛い、痛い、イタイ、いたい。


「なっ、なにするんだよ、お前、コラぁっ!! リーリヤ、痛いだろうが!!」


「えっ、ちょっと、なに、そんな大げさ。こんな木の実っぽいの受けたくらいで」


「受けたくらいでじゃないよ。お前、これ、めちゃくちゃ硬いんだけれど!?」


 なによ、もう、と、ぶつくさ言いながら、リーリヤは彼女の近くを漂っていたそれを拾い上げると、こんこん、と、手で叩いた。

 そして、青ざめた顔で笑顔を造りながらこちらを振り向く。


「うん、これ、硬いわ。ごめん」


 言った彼女の指先は赤く腫れ上がり、せっかくカニの驚異から逃れたというのに、その瞳にはまた涙が浮かび上がっていた。

 まったく、浮かれすぎだってえの。

 いい歳してなにはしゃいでんだか。


 後で水ぶっかけてやる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る