第16話 記念日の魔術書【シュール】
「四の月の新月より三十の日。この日は魔導書の記念日なのさ。かの有名な最初の魔導書と言われているアガイの秘蹟が記述された日なんだよ」
へぇ、と、感心するような声をあげるリーリヤ。
その隣で、俺はこの羊男の言うことを右の耳から左の耳に流していた。
ここは第七十書架室。
記念日の魔導書が納められている部屋である。
記念日に魔術などという概念があるのがまず驚きだ。
そして、その書架の見せる幻影が羊男なのにも驚きだ。
というか、気の抜けることだ。
「アガイの秘蹟が著述された日が今日だったなんて。知らなかったわ」
「そんな有名な魔導書なのか」
「有名よ。読んだ人間の思考を異次元に繋げる魔導書でね、読んだ人間が意識を失うっていう」
「おっかねえ魔導書だなおい」
「けれども異次元から精神を帰還した者は、大いなる真理を使うことができるとも言われているわ。まぁ、現存はしてないから、確かめようはないけれど」
そんなおっかない魔導書なのか。
どこぞの誰かが間違って開く前に燃やしてしまいたい気分だ。
俺が正司書だったならそうする。
絶対にそうする。
目の前にいるのほほんとして司書娘。きっとそんな間違いなんて起こさないわと、得意満面に腕を組んでいる彼女を眺めながら、俺はそんなことを思ったのだった。
「ねぇ他には、他には何かないの」
嬉々とした顔で羊男に尋ねるリーリヤ。
彼女を、俺は苦々しい眼で眺めた。
今回、この書架に入ったのは他でもない、記念日の魔導書を求めてのことだ。
というのも、近々王都で、歴史と由緒ある、とある式典を執り行う運びとなっている。
しかしんがら、どうにも、その式典のルーツについて伝承が分からない。
まぁよくある話である。祭りを惰性で続けている内に、すっかりと、祝う目的と手段が入れ違ってしまったという奴である。この日がめでたい日であると国民は知っているが、なんでめでたいのかは知らない。
それは王都に住む人々なら、町娘から王まで全員がである。
あの古株のピョートルまで、はて、なんの祭りじゃったかのと首をかしげたあたりに、この国の能天気さに頭が痛くなる。
平和ボケは結構だが、これは平和ボケというより普通にボケだ。
国民総天然ボケボケっぷりとか勘弁して欲しい限りである。
大切な祭りだろう。せめて一人くらい由来をしっていろよ。
騒げればなんでもいいっていうのかよ。
「せめてなにを祝福しているのかくらい、分かった上で騒げってんだよな」
「本当よね」
「ちなみにリーリヤ、お前、この国に住んで長いんだよな」
当然知っているんだろうという視線を向けると、ぷいすと、彼女は俺から顔を背けた。こいつも知らずに騒いでいた口に間違いない。
あぁ、やだやだ。
郷に入ればなんとやらとは言うけれど、エルフまで郷に入っちゃうことないじゃないのよ。ねぇまったく。
「で、だ、羊の兄ちゃんよ、十一の月の新月より二十九の日についてなんだが。この国の大切な記念日らしいんだが理由を知ってるか」
「もちろん!! それはこの国に生きる者達にとって、忘れてはならない大切な日だよ!!」
目を輝かせて羊の司書が言う。
弾む声色が心なしか楽しげなのが尋ねた俺の心を抉ってくれた。
申し訳ないな。
王様からエルフに至るまで、皆々、忘れてしまっていて。
だらしのない国民ですまない。
羊から顔を背けたリーリヤ。そんな彼女をほっぽって、教えてくれと、俺は羊に素直に頼んだ。すると、羊はうぅんと首をかしげる。
「教えるのは構わないけれども、きっと、それを理解するのは難しいことかもしれないね」
「どういうことだ?」
「あんまりに古い話過ぎて、現実感が沸かないってことかしら?」
「そういう意味でもあるね。神代の時代の話と言うわけではないのだけれど、なんて言ったらいいだろうね」
「頼むよ。本当に、俺たちは困っているんだ」
「うぅん。そのね、申し訳ないことに、つまるところ語呂合わせなんだ」
羊はちょっと困った様子でそう言った。
語呂合わせ。
とは。
十一の月の新月より二十九の日。
そんないい感じの語呂合わせなど、俺にはとても思いつかないのだが。
「はい、分かった!!」
「リーリヤさん、どうぞ」
「1129で、いいにくの日だわ!! きっとそうよ、間違いない!!」
間違いない分けないだろう。
バカかお前は。
なんでいい肉の日なんていうしょうもない語呂合わせが理由で、わざわざ国をあげて祝わなくちゃならないんだ。どれだけ平和ボケしているんだよ。もう原始時代まで心が戻っていやがるよ。肉が食えるだけでそれだけ祝えるって。
肉がいったいこの国に何をしてくれたって言うんだ。
溢れんばかりの大量の赤肉がまさしく肉の壁となって敵の銃弾の雨あられから国民を守った――そんな奇跡でもあったのか。俺は知らんぞ、聞いたこともない。
アホくさ。
あり得るかそんなこと。
すぐに首を振ってくれるだろう。
羊の方を見れば、さぞおかしいとばかりに、目を瞑って微笑んでいる。
ほれ、みたことか。
「正解!! その通り、十一の月の新月より二十九の日は、いい肉の記念日さ」
「マジかよ、バカなんじゃねえの、この国の奴ら」
「だと思ったのよね。ほら、祭りの日には、決まって肉料理を食べる慣わしがあるじゃない、そこから推理したのよね。えへん、私ってば賢い」
「納得いかねえ。なんで肉の日をわざわざ祝うんだよ」
「正確にはいい肉屋の日なんだ。簡単に説明すると、かの昔、この国に迫る外敵と戦うために立ち上がった一人の勇敢な肉屋が」
「待て、待て待て、なんで肉屋がわざわざ立ち上がるのだ」
街の商人が立ち上がるより早く、もっとどうにかするべき奴らがいただろうに。
軍はどうした貴族はどうした。国を守る責務があるだろう。そのための特権階級だろう。なんでそこで肉屋のおやじが、よっこいしょと腰をあげるのだ。
そんな昔から平和ボケしてたのか、この国は。
「いいじゃないマクシム。そのおかげで、こうして毎年、美味しいお肉が食べられるようになったと思えば」
「お前はエルフの癖に、そういうの平気で食べるのな」
「それは偏見だわ。エルフだって、肉だって食べるし、アイスクリームも食べる。トリュフも、キャビアも、フォアグラだって食べたいものよ」
もちろん、肉汁の滴るステーキも。
上機嫌な笑顔で、我が国の能天気の代表は笑った。
あぁ。
図書館司書がこの調子なんだもの。
こりゃこの国はいかんね。発想が原始時代で止まっておりますわ。
まぁ、肉食えるのはうれしいけれどもさ。
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