第15話 荒城の玉座【シリアス】

 図書館の中に城がある。

 王立図書館である。もちろん、城の一角に図書館はある。

 しかし、図書館の中に広がるのは、更にそれより一回り広大な城塞。

 この不思議な感覚を分かっていただけるだろうか。


 長い石造りの廊下。

 差し込んでくる青い月光。

 かびた空気。

 闇の中から聞こえてくる微かな物音。


 紙の鼠が歩く音に、びくりと体を震わせて、リーリヤが俺の服を引く。


「ねぇ、さっきのなんの音? 変なのとか出てこないわよね?」


「どんな変なのが出て来るってんだ。お前の図書館だろうここは」


「そうだけれども」


「怨念篭ってる魔術書なんて幾らでもあるだろう。けど、それは魔導書の漏れた魔力が見せる幻影だって、言ってたのはお前じゃねえか」


「言ったけれど――それでもこう雰囲気があると怖くって」


 青ざめた顔で言うリーリヤ。

 いつもこれくらいしおらしかったから、守ってやれる気も増すと言うのに。

 まったくやれやれだ。


 田舎のエルフの里に産まれ、成人してから即ここ王都で働いている彼女。

 ぬくぬくとした温室で育ってきたリーリヤは、とかく荒っぽい場が苦手だ。

 いつもの腹いせ、わっと驚かしてやるにはいい機会だ。

 だが、ちょっと冗談ではすまない展開になりそうなので俺は自重した。


 代わりに、リーリヤの手を引いてやる。


「わっ」


「んだよ、怖いんじゃないのか」


「いきなり女性の手を握るなんて。マクシム、貴方、礼儀ってものを知りなさいよ」


「なに言ってんだ、お前さんはエルフだろうが」


「そういう屁理屈を言わない!!」


「……じゃあ放そうか?」


 俺が手を引くと、思いのほか強い力でそれをリーリヤは引く。いいわよ、別に、もう握ったんだからと、彼女は顔を真っ赤にして言った。


 面倒くさいエルフだ。


 俺より年齢は上。

 だと言うのになんだこの乙女チックな反応。

 寿命が長いと、その分、落ち着くのにも時間がかかるのかね。


 それはともかく。

 今回の問題はこの荒廃した王城の跡にあった。


「うぅん、王の魔術書というからもうちょっと絢爛豪華なことになっている、と思ってたんだけれど。どうしてこんな荒城なんだろう」


「いつものことじゃねえか。むしろ、どうして、自分の予想が裏切られる展開を考えないんだよお前」


 ここは第三十五書架。

 王の秘術をまとめた魔術書である。

 所謂、王権神授にまつわる書物をまとめた場所。

 神の代行人である王の権威を保つための秘術、秘儀、秘奥などが書かれた書物がそこかしこに転がっている。


 どちらかというと他の魔導書と比べて、魔術的な側面は少ないものだが、そこは人の営みの中で生まれてきたものである。


 書架の中には王という権威を巡る、ありとあらゆる負の感情が渦巻いている。

 そんな感情を滲みだす魔導書たちが生み出す空間が、こうして不気味な仕上がりになるだろうことは、司書としてはめっきりと才能のない俺でも想像できた。


「なんでまた旦那もこんな所にある本を欲しがるかね」


「姫様にいろいろといわれたらしいわよ。最近の父上は、王としての威厳がどうやらって。それで気を引き締めたいらしいわ」


「あんなのただの思春期だろう」


 というかそんなものあの気のいいおっさんにあろうはずもない。

 むしろそういう堅苦しさがないから、国民から慕われていることをもっと誇りに思ってもいいのではないかね。


 まぁ、娘の言うことをいちいち真に受けて、躍起になるというのも、あの旦那らしくていいかもしらんが。


 視線の先に紅い扉が見える。


 ここに来るまでに開けた扉のどれよりも、絢爛豪華で、厳かな感じのするそれ。

 脇には見慣れぬ紋章。儀仗兵の変わりかフルプレートの鎧が置かれている。

 どうやらここが目的地のようだ。


「どうやらここが王の間のようね」


「これで炊事場だったら笑えるのにな」


「前任者もここには入ったことがないって言ってたけれど、いったいどうなってるのかしら」


「痩せこけた宮廷料理人が包丁を持って」


「もうその話はいいから。ほら、早く入ってよ」


 俺の背中にまわったリーリヤは、ぐいぐいと手で俺を扉の方へと押す。

 どうにも、自分から中に入る気はないらしい。


 別にこんなことをしなくても、普通に頼めば俺が開けるってのに。

 溜息と共に俺は紅い扉へと手をかけた。


 リーリヤが、しっかりと俺の後ろに隠れていることを確認してから、そっと俺はそれを手前へと引く。

 相変わらずほの暗いそこは、ただ、今までの場所と違って妙な生臭さがあった。


 そう、戦場でよく鼻につくそれは――。


 血と鉄の臭いだ。


「なにこれ」


 リーリヤが絶句したのも無理はない。

 王の間に広がっていたのは、その名称にはほど遠い、処刑場かはたまた略奪の後。

 血肉がうずたかく山をつくる凄惨な光景だった。


 転がっているのは皺深く、やつれて、目に闇を宿した、王と思しき男の首。


 奥に向かうにつれてまるでガレキのように積み貸さなかったその生首。その生首の山の上に、赤々とした王の玉座が見えた。


 玉座の上には断頭台の刃。


「王殺しの儀式」


「あぁん、なんだよそりゃ」


「王権神授の原理に基づいて行われる王の更新儀式よ。老いて力の無くなった王を強制的に廃して代替わりを行い、国家の繁栄と再生を呼び込む儀式」


 くだらねえことをしやがるな。


 一昔前の奴等が考えることというのはまったくもって非現実的だ。

 王も、王女も、姫も英雄も、一皮剥いたらただの人間。

 それをどうして儀式だのなんだのと、かこつけててめえの都合でどうこうするかね。


「どうかしている田舎風習だな」


「今じゃもうどこの国もやっていないけれどもね。けど、事実、そうした儀式を行っていた過去はあるのよ。歴史上の大勢の王が、国のためにその命を捧げたの」


 王がための国にあらず。

 国のための王である。


 その国の最高の権力者でさえも、見えない何かの奴隷である。


 玉座の上にあるギロチンは、その座にあるものが、権威と同時にその生殺与奪を奪われることを暗示している――とでも言うのだろうかね。

 やれやれ、なんとも悪趣味な幻を見せる魔導書書どもだ。


「流石にこんなもんを見せる魔導書ともなれば、読めば気分も引き締まるだろうな」


「恐怖の帝王教育という奴よね。って、あれ?」


 リーリヤが何かに気がついて指を向ける。


 ギロチンの刃が頭上に揺れる玉座。

 そのギロチンの刃が、左右に揺れている。

 肌を走る嫌な予感。


 次に俺が瞬きをしたときだ。

 そのギロチンの刃をめがけて、王の生首の山の中から、何かが飛び出してきた。


 それは木製のモノ。

 ところどころに金具をあしらわれた、巨大な像。

 子供のおもちゃのようなちゃちなつくりでありながら、部屋の天井まであろうかという巨躯を揺らして、断頭台を思わせる、木目の竜がそこに姿を現した。


「なに!? なんなのあれ!? ちょっと、あんなの聞いてない!?」


「玉座の守護者ってとこじゃないか。ダンジョンの最深部に竜が居るのはお約束だろうがよ。そんなことも知らんのか」


「知らないわよ!! ちょっと、マクシム、どうするの!?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐな。

 こういう時のための司書補佐の俺だろう。


 腰からナイフを抜き取って、お気に入りのタバコをくゆらせる。目の前の断頭台の竜が嘆くよりも早く、俺はそいつに近づくと、まずはその向こう脛を切り裂いた。


 木とは言っても流石にドラゴン。

 折れたドラゴンスレイヤーを鍛えなおした俺のナイフはよく効くみたいだ。


 バランスを崩した木の竜。

 横向きに倒れながらも、俺のほうに向かってその長い首を伸ばしてくる。

 断頭台の刃が、頭上から襲い掛かる。

 それを紙一重で交わして、今度は口のタバコに手を伸ばす。


「渇いていりゃいいんだけれどな」


 用意していた魔術オイルの瓶の蓋を外して投げつける。

 特殊な調合と魔術式が施してあるそれは、空中で網の目になって飛び交うと、断頭台の竜を捕まえるようにしてその体を地に縛りつけた。


 唸る竜に向かって、俺は口元のタバコを投げつける。


 青い炎が燃え上がりそれはたちまちの内に断頭台の竜を包み込んだ。


「リーリヤ。風だ。魔法で風を送り込んでくれ。できるだけ渇いたやつをな」


「えっ、うん、分かったけれど」


 すぐさま操風の魔術で風を巻きおこす。

 リーリヤは燃え上がるドラゴンにそれを吹き付けた。

 よりいっそう激しく燃え上がった断頭台の竜は、最後に、ガシャリとその刃を地面に落として、それっきり動かなくなった。


 竜の死と共に、辺りを支配していた幻術も消える。


 すっぱりと、普通の書架に戻ったそこには、茶色の表紙に、金色の王冠が描かれた、小さな魔術書が転がっていた。


「ほい、いっちょあがりだ」


「うわ。なによ、マクシムのくせに、やるじゃない」


「ほんといちいち癪に障る言い方しかできんのだな、お前は」


 転がっている魔術書を拾い上げて、あっけに取られているリーリヤの元に戻る。ぽんぽんと、その金色の頭を叩いてやると、ぽっと、彼女は顔を紅くした。


「なによ、ふん、これが貴方の仕事なんじゃない。それで得意げな顔されたって」


「はいはいそうだな。この程度のことでドヤ顔するようなことじゃないな」


「ほら、目的も果たしたんだし、さっさと帰るわよ」


 さきほどまでの怖がりぶりは何処へやら。

 書架の結界が切れるや、すぐにいつもの調子に戻ったリーリヤ。

 彼女は、俺を置いてきぼりに出口へと歩き出した。

 その背中を追って、俺は書架の出口へと向かう。


「ちょっと!? なんで手を握るのよ!?」


「いや、まだ怖いかなと、主人の心情を思いやってな」


 そして、首輪が締まる。

 はいはい、調子に乗りましたよ。

 申し訳ございませんね。


 もうすっかり、いつもの調子だな。

 ちょっと安心したよ。

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