第9話 怒り狂える毛糸のクマ【ほのぼの】
年に一度あるかないかの話だ。
現在ある書架に分類することができない、あるいは、現在の分類法によりはっきりと書架を決めかねる魔術書が、図書館の蔵書としてやってくることがある。
まぁ、どんな仕事でもそういう予期せぬことは起こるものだ。
こればっかりは仕方がない。
という訳で、そういう本が来た場合に俺たちがどうしているかと言えば――いわゆる棚上げ。リーリヤの執務机の隣にある、空き書架ならぬ倉庫に放り込んでいる。
そうやって適した書架が決定する――というかリーリヤさんが腹を括る――のをしばらく待つのだ。
さて、この手のずぼら話にはだいたいオチがついてくる。
これについてもその例に漏れない。
何事も、仕事を後回しにしていいことなどないというのが教訓だ。
魔導書が魔導書架で悪さをするのはこれまでに話した通り。
なので、「魔術書の魔力が漏れ出して、倉庫の中に異界を造り出したらまずいのでは?」など、宮廷詰めの文官などから指摘されることは多い。
一応、その辺りは抜かりない。
倉庫に放り込む間だけは、リーリヤが特別に封印魔術を魔導書に施している。
時間と共に効力は薄まるが、定期的に封印を施せば、まず大丈夫だ。
そう――。
定期的に、封印を施していれば――。
「どうしてお前はこうずぼらなんだよ。一週間、二週間ならまだわかるよ。魔導書を放り込んで、半年放置って」
「仕方ないじゃない。半年間倉庫に用事がなかったんだから」
「そうじゃなくてさぁ」
「なくてなんなのよ」
「分類漏れの魔術書があるなら、書架の増設申請なり、検討なりいろいろとするべきなんじゃないの。そういう仕事を忘れて――」
「あぁもう。うるさいわね。仕方ないじゃない忙しかったんだから」
いつもの調子で首輪の魔術を使おうとするリーリヤ。
しかし、残念ここは倉庫である。
魔導書架と違って図書館外にあるため、首輪がしまることはない。
俺の怒りが止まることもない。
魔法の代わりに俺の拳骨(手加減)が炸裂する。
あわれ、エルフの天然お嬢さまは涙目になった。
「ひどい。魔法図書館の仕事がどれだけ忙しいか、貴方も知っているでしょう。そんなまどろっこしい仕事、後回しにして忘れちゃうわよ」
「後回しにするのがいかんのだろうが」
「にゃぁ!!」
リーリヤ唯一の特技――猫パンチが炸裂。
肩こりが治るくらいの威力しかないそれ。
喰らったところでどうということはない。
昔、エルフの里にやってきた、猫の獣人に教えてもらった護身術だそうだが、とても実戦で使えるものではなかった。
ただまぁ。
何度もやられるとうっとうしくはなる。
「にゃぁにゃにゃぁにゃ!!」
「…………」
「にゃにゃぁにゃぁにゃぁにゃにゃにゃあっ!!」
「……あぁもう分かった。忙しかったんだな、忘れちゃったんだな」
「そうにゃぁっ!!」
なんどもなんども胸板に向かって振り下ろされる猫パンチ。
耐えかねて、俺は結局リーリヤを許した。
俺より長い年月を生きているはずのエルフ娘がだ。
鼻をすすりながら涙を流し猫パンチを繰り出してくる訳である。
そんな姿を見せられては、罪悪感というか、憐憫というか、言葉にできない心のつまりを覚えるってもんだ。
おまけに猫口調。
そんなムキにならんでもいいだろう。
「それでお前、なんの魔導書を放置しっぱなしにしたんだよ。見たところ、普段の倉庫と変わりないみたいだが」
「ベルセルクの秘術書よ」
「またけったいなものを」
「北欧の書架に入れるか、戦士の書架に入れるか迷ったのよ。大丈夫、たいした魔術書じゃないから。せいぜい、倉庫のネズミが凶暴化するくらいよ」
簡単に言うなぁ。
ベルセルク。
北欧圏での伝説にある狂える戦士のことである。
北欧の神の加護の下に自らを魔術により獣と化し、戦乱の中において忘我のままに闘い狂う。そんな戦闘狂へと変貌させる秘術だ。
ボールスも確か覚えていたはずだ。
体への負荷が高いためあまり使いたくないとか、いつだか言っていたっけ。
「凶暴化したネズミが一匹・二匹ならいいがな」
「とり餅でもまいとけば勝手につかまって死ぬでしょ」
「怖いなおい」
「殺鼠剤でも買おうかしら。東洋のほうに、イシミーギンザーンっていう、とてもよく効く薬があるって聞いたことがあるけど」
「おまえ。まぁ、鼠に情けをかけてもしかたないけど」
ごそり。
目の前の棚。
その陰で鈍い物音がした。
ひぃ、と、声を殺して俺の背中へ回るリーリヤ。
さっきまでの威勢はどこへやらだ。
あきれて出てくるためいき。
肺から出た空気を吸うついでに、タバコを取り出して火をつけた。
そのまま、火炎魔術を応用してライターの火を燃え上がらせれば、棚の陰に隠れているものの姿が現れた。
のっそりとした大きな体は――まさしくクマ。
なのだが。
「クマーッ!!」
現れたのは、クマはクマでも、手編みのクマ。
編みぐるみ。
茶色い毛糸で作られた、もふもふの、大きなクマ。
限りなくファンシーな何か、そこには立っていた。
「なんだ、この、けったいかわいいおクマさんは」
「あ、そういえば、編み物の魔術書も、分類先がなくって一緒にいれといたんだ」
「お前ね、なんでもかんでも、倉庫にぶっこんどけばいいってもんじゃ」
「わーい、クマだー、手編みのクマさんだー!!」
無視である。
俺の嘆きを軽く無視して、けったいかわいいおクマさんに飛びつくリーリヤ。
そりゃまぁこんだけ愛くるしければ、飛び込みたい気持ちも分かる。
もふりとその腹に抱きつけば、ほんわりとその毛糸が揺れる。
さぞ心地良いのだろう、至福の表情でリーリヤは微笑んでいた。
と、その背中に、クマの、もふもふとした腕が回る。
何がしたいのか分からんが、クマはその毛糸の腕でリーリヤを強く抱きしめた。
「わっ、わっ、ちょっと、くすぐったいよ、クマさん」
鯖折り――を、かけようとしてるんじゃないのか、これ。
毛糸でできていてもそこはベルセルクということか。
もし毛糸でなかったら。
そう思うと――自分の事ではないがちょっとぞっとした。
「ほんと、こいつがずぼらでよかった」
「ずぼらじゃないって言ってるじゃないのよ」
「分かった分かった。忙しくって良かった。あぁ、よかった。助かった」
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