第8話 図書館のフルコース【ほのぼの】

 人類の歴史は食の歴史。


 兵馬を揃えて戦火をまき散らし大陸に覇を唱えた征服者も。

 森を開き海を渡り人類の版図を広げた偉大なる開拓者も。

 伝説を紐解いて秘蹟を暴き、真実を求めた探求者も。


 権力・名声・富と共に、彼らが求めたのはいつだって美食だ。


 より珍奇なる風味を。

 食べるのも躊躇するような華やかさを。

 毎日訪れる空腹という苦痛の渦の中で、己とその胃袋が心の底から満たされたと感じられる、そんな至福の瞬間を求めて。


 彼らは情熱を美食へと傾けた。

 これは人が味覚というものを持った時から背負った業。


 故に、美食について記した書物は、古今東西を問わずどこの国にも存在する。

 そしてそんな書物の中には、限られた人間しかそれを閲覧できぬように、細工が施されていることが多い。


 つまるところ。

 それは魔導書だ。


「うちのお姫様の成長期ってのは、いつになったら終わるのかね」


「まだ十代じゃないの。当分先よ」


「それまで俺達は、あのお姫様の気まぐれグルメにつき合わされるのか。勘弁してくれよ。あっちは胃が満たされるかもしれないが、こっちは胃に穴が空いちまいそうだ」


「コック雇ったほうが絶対安上がりよね」


「南国からわざわざヤシの実を取り寄せたはいいが調理方法が分からんて……。そんな美味しいもんなのか、その椰子の実って」


「産まれてこの方、故郷の森と図書館でしか過ごしたことのない私に、それを聞くかしらね?」


「いやまぁ、話の流れだろ」


「見たことも、食べたこともないものを、軽々しく美味しいなんていえないわ」


 リーリヤは溜息と共に首を振った。

 誰に向けた訳でもない、やれやれという仕草だった。


 違いない。


 たわいも無い話をしながら、俺たちがやってきたのは第八十八書架。

 七面鳥の焼ける匂いとさわやかなクレソンの香りが扉越しに漂ってくる、なんとも洒落た書架室である。


 どんな書架室かとおっかなびっくり扉を開ければ、そこには図書館にはどうにも似つかわしくない場所。

 暖かい蝋燭の光が満ちている。

 板張りの廊下。

 大小さまざまな丸いテーブル。

 背もたれに赤い布が張られた椅子がテーブルの前に並んでいる。


 白いテーブルの上には、花の添えられていない花瓶が一つ。


 図書館にしてはいささかこれも洒落た内装である。


「いらっしゃいませ。ようこそ山羊の寝床亭へ」


 すごいもんだと見とれていた俺。

 そんな俺を我に返したのは、いつのまにか歩み寄ってきていた、黒いタキシードを身にまとったウェイター風の男。


 白い髪を後頭部に向かって撫で付けている。


 老紳士。

 そんな感じのそのウェイターは、こちらを見るなり、こなれた感じの笑顔を向けた。


 こんな図書館の奥にある料理店である。

 客はそう多くないだろうに。


「本格的だな」


「あらマクシム、なにその言い草。まるで、そういう店に言ったことあるみたいね」


「まぁそりゃな。冒険してりゃ、依頼主との接待で一度や二度くらいはあるさ」


「そんな見栄なんてはらなくてもいいじゃないの。マクシム。私と貴方の仲じゃないはずかしがることなんてないわ」


「自分が来たこと無いからってそういうこと言うかね」


「あら、マクシム、駄目じゃない、タイが緩んでいてよ」


 ぐぇ。


 直ぐに俺の首輪が絞まった。


 確かにこういう紳士淑女の集う店というのはドレスコードが重要だ。

 緩んだネクタイは直さなければ。


 だが、絞めたのはネクタイではなく――首輪。

 首輪を料理店で絞めなおすバカがどこの世界にいるかね。というか、首輪なんてつけて料理店になぞ入らんだろう。


 もっと言わせて貰えば、特殊な事情でもない限り図書館だって入らんだろうさ。


 やめろやめろと手で合図をする。

 こんなコントをするために、魔導書架にやってきたわけではない。

 気が済んだのか、大人しくリーリヤは首輪の魔法を解いた。


「二名様でよろしいですか。あいにく、ただいま満席となっておりまして、暫くお待ちいただくことになりますが」


 わずかな会話のタイミングを逃さず、ウェイターの紙男が俺達に言う。

 すぐさま、俺とリーリヤはいがみあったのも忘れて顔を付き合わせた。


「満席だとよ」


「ですってね。人気店なのかしら」


「いやいや待てお前、誰がいったいこんな辺鄙なところに食いにくるんだ。というか、食いにこれないだろこんなところ」


「そんなことないんじゃないかしら。魔導図書館に住んでいる生命体とかならこれるんじゃない。たとえば――バグとか、巨大なバグとか、二足歩行のバグとか」


「いやだなおい。よくそんな想像できるな」


「アンタが言い出したんでしょう」


「当店には遠方からはるばるおこしになる方も多いのです。なんといってもこの大陸で産まれた、古今東西の料理をここでは味わえますから」


 また、口げんかの合間を縫うように、ウェイターが言う。

 いよいよよくできているウェイターである。このまま、外の世界に連れて行ったら、どこぞの料理屋で高く買い取ってくれるんじゃなかろうか。


 まぁそんな彼はともかく。


 なるほど、つまり――そういう設定、なのだろう。

 魔導書が作り出す世界観にしては、なんとも現実の理解が及ぶ範疇で助かるよ。


 ここ、第八十八書架は、魔術による封印が施された料理書・レシピが収められている書架だ。

 いわゆる禁断のとか、伝説のとか、秘伝のなんていわれる類のレシピ本が、やまと収められている場所な訳だ。


 とかく探求された美食というのは、秘匿され、口外を禁じられる。

 魔法をかけてまで封じる。

 魔導書にする。

 いささか行きすぎな気もしないではないが、それくらい重要な娯楽なのだ。


 そして、そんな人々の欲望と、幻のレシピがおさめられた書物から漏れ出した魔力は、こうして当然のように図書館内にレストランを作り出す。


 とまぁ。

 このレストランのいきさつはそういう次第だ。


 前任者からリーリヤへ報告はされ、彼女伝手に俺も話は聞いていた。

 だが、まさかここまで本格的なものだとは思ってもみなかった。


 ほんと魔導書は凄い。


「図書館の中にレストランができちまうとはな。魔導書ってのはえらいもんだな」


「ウェイトレスさんまで装備だものね」


「いっそ魔導書で城の機能をまかなえるんじゃないの。食堂に、ここの書架を移動してやってさ」


「紙のたっぷり入ったシチューとか、貴方、食べたい、マクシム?」


 そりゃノーサンキューだわ。

 確かに、収まっている本が間違いのないものでも、出てくる料理がまともかどうかは分からない。というか、ほぼ、まともではない。


 そもそもこれは魔導書が作り出した幻。


 紙でできた虚構の世界。


 そんなもの相手に、真面目に考えてはいけない。


 とはいえ、郷に入れば郷に従え。

 レストランに入れば、なんとやら。


「どうしたもんかね。ドレスコードなんぞ気にせず、いつもの服装で来ちまったが」


「大丈夫でしょ。それなら最初に止められてるはずよ」


「やれやれ、世間知らずのエルフ様を、無碍に断ったとあっては店の評判に傷がつくからな。そこはやんわりと、一度通してから何かと理由をつけて」


「マクシム。そのネクタイちょっと古いんじゃないの。新しいのに替えたら」


 また、月経樹の杖の先がこちらを向いていた。


 冗談だろう。

 過剰に反応するなよ。

 田舎者がばれるぞ。


 悪かったと謝りつつ、心の中で悪態をつく。

 すると、ははは、と、突然、ウェイターが笑った。


「ご心配に及びません。当店は、お客様を見た目や肩書きで判断するようなことはいたしません。老若男女を問わずどのような方にも、当店の料理を味わってもらうことこそ、私たちの幸せであり理念なのです」


「へぇ、そりゃまた立派な理念なもんだ」


 どこぞのレストランなぞ、ふんどしと皮鎧で入ろうとした戦士を、尻蹴っ飛ばして放り出したがな。これが戦士の正装だなどとボールスが強がっていたっけか。

 今にしてみればいい思い出だ。


「おっと、ちょうどいま席がご用意できました」


 いつ、どうやって、どうして客が出て行ったのか。

 まったく分からないうちに、確かに、レストランの中のテーブルの一つから、人の姿が消えている。


 ささ、どうぞこちらへ。

 そういってウェイターは俺達を部屋の奥へと招き入れる。

 言われるまま、誘われるまま、俺とリーリヤはウェイターの後ろに続いて、その空いた席へと向かった。


 リーリヤの予想に反して、店の客はバグではなく、人の形をした紙だった。

 いや、本の虫には違いないのだが、どちらかといえば――。


「紙人形」


 という表現がしっくりくる。


 よく見ると、このウェイターもそうだ。

 オールバックの白髪と一見して思ったそれ。

 しかし、目を凝らしてよく見てみれば、細かい紙切れになっている。


 ここまで徹底して紙でレストランの雰囲気を再現するとは。

 いやはやいつものことながら、魔道書架は恐ろしい。


「さ、ここでございます」


 通されたのは、小さな二人がけのテーブル。

 花瓶に咲いているのは、白色をした薔薇の花。

 まるで造花、というか、まさしく紙で作ったそれなのだろう、白い花弁がなんとも美しい。

 そこに、向かい合って並べられた椅子の赤い布が映えて、いやはや、なんともいやらしい感じのテーブルだ。


 おあつらえ向き。

 カップルご用達のムーディーな席というところか。

 こんな所にリーリヤと座ることになろうとは。


 仕事とはいえ――げんなりだ。


「仕事とはいえ、アンタとディナーなんて、ぞっとするわね」


「言うなよ。俺がせっかく我慢したのに」


「けれども楽しみね。こんな場所でフルコースが味わえるなんて。いったいどんな料理が出てくるのかしら」


「おい、なに寝ぼけてんだ。こんなのは全部、魔導書が見せる幻だろ」


「幻でもいいじゃないのよ。古今東西の美食よ。一生食べられるかわからないのよ」


 そうかもしれんが。


 幻は幻。

 口の中で泡と消えてしまうものに、そんな憧れてどうするよ。


 いや、まぁ、分からん。

 もしかすると、幻ではなくなにかしら食べられるのかもしれないし、ともすれば本物の料理が出てくる可能性もなきにしもあらず。


 だが、そうやって期待して、裏切られるのが魔導書架の常である。

 王立図書館の魔導書架が、そんな一筋縄でいくものだろうか。


 などと思っていると、さきほどの老紳士が、瓶とグラスを手に戻ってきた。


「食前酒でございます」


「まぁ、素敵。お酒まで出るだなんて」


 飲めもしないのに、うっとりとした顔つきで微笑むリーリヤ。

 こいつ、飲む前から場に酔っている。


「おいこら。仕事中だぞ」


「固いこといいっこなしよマクシム」


 それでウェイターさん、そのお酒はどこのものなのかしら。

 さぞ名の知れた地方のそれもさぞ出来のよい年のお酒なんでしょうね。

 まるで酒飲みの口ぶりでリーリヤが尋ねる。


 はい、と、言ってウェイターが手にしたグラスにその瓶の中身を注ぐ。


 それは今までみたことのない――淡く青みがかった灰色の酒。


「三年物の没食子インクでございます。羊皮紙はもちろんパピルス、藁半紙にもよくなじみます。まずはそのまま、続いて前菜、貝葉のサラダと一緒にご賞味ください」


「……なっ、だから言っただろう」


 グラスになみなみと注がれたインク。

 グラスの中で踊るインクの渦にリーリヤは目を丸くするのだった。

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