第7話 カミガヤツリの時代【シュール】

 パピルス。


 今より遥か昔。

 遠き南海の地にて発明された筆記媒体である。


 現代で筆記媒体といえば亜麻の植物繊維を漉いて作る紙が一般的だ。

 そんな紙が発明されるまで、このパピルスもしくは羊皮紙が、世の中に流通している筆記媒体の主流だった。


 そしてそれは魔導書もしかり。


 古代から、魔法は東西南北を問わず広く世界中で研究されている。

 当然、その秘術を記す魔導書もまた、気の遠くなるような昔から、この世界に存在している。そしてその時その時に応じた筆記媒体に記されるのだ。


 故に――。


「じめじめむしむしと、図書館とは縁遠い場所だな」


「仕方ないわよ。パピルスの原材料は南国だから」


「本の内容より材質の性質がよく出るって、そりゃ魔導書としてどうなんだ」


「書かれた場所も南国だから。あんまり気にしちゃ駄目よ」


 魔導書が場を作り出す魔導書架にも、こういう影響が現れる。


 むんむんとして重たい空気。

 汗が乾く余裕もないほど湿気と熱に満ちている。


 びっしりと足元に茂るのは青々とした背の高い植物。

 踏めばぬかるむ湿った地面。

 どこからか聞こえてくる地を這う何かの物音。蛇か鰐か子細は分からないが、とりあえず心臓に悪い。


 古の筆記媒体パピルス。

 それに記述された古代の魔導書。

 そんなモノを求めて入ったのが、ここ第八十九書架である。


 正直、来たくなかった。


 王立図書館では、魔導書にせよ一般書籍にせよ、その書かれている内容により収める書架を分類し管理している。

 しかし、こうした一昔前の魔導書については別基準。

 内容ではなくその材質で分類し、特殊書架へと収納している。


 理由は簡単。


 内容よりも材質が勝って、こんなことになってしまうからだ。

 それだけならば他の魔導書架と変わりないが――なにぶんこの湿気である。他の魔導書によくない影響を与えてしまう。


 こんな所に、同じパピルスの魔導書ならともかく、紙を使った魔導書なんて放りこんだら、二日と持たずにボロくずだ。


 ふやけてでろでろ。

 わざわざ七面倒な管理までして集めた魔導書が、あっという間にごみにはや代わり。

 それはなんとも避けたいところ。


 つまり、特別に分類するというよりは、他のものから隔離している。

 そういう表現が適切だ。


 実際、こうしてパピルスが格納された魔道書架は、図書館と思えぬ南国ぶり。

 いや、南国というか野生というか。

 誰だって一日もこんな中を歩き回れば嫌になるだろうというありさまだ。


 事実、俺はもういっぱいいっぱい。

 今すぐこんな書架飛び出して、快適な執務室でソファーに寝転がりたかった。


「湿地を歩くってのは、森の中を歩き回るのよりしんどいな」


「南国だからね。こっちみたいにカラっと乾燥してないのが辛いわよね」


「南国ってのはさ、もっと快適なもんだと思ってたよ。食うものも、水も、豊かな自然もあってさ」


「小説なんかだとアヴァンチュールの舞台だものね。でも、これが現実よ」


「現実ってのは残酷だな」


「事実は小説よりなんとやらって奴ね。しかし、こんな場所じゃ、アヴァンチュールどころか、恋も愛も出会いだって生まれそうにないわね」


「どっちかってーとアドベンチャーの舞台って感じだよな。今にも草むらの中から、顎開いてワニが出てきても俺は驚かんぞ」


 いや、驚くか。

 流石にワニが出てきたら身の危険を感じて驚くな。


 頭まで茹って来てやがる、ちくしょうめ。


「ウパァ」


「ひぁっ!? なになに、なんの鳴き声?」


 そんなことを思った矢先のことである。

 俺たちの横にある草むらから、何者かがにょっと顔を出した。


 それは、いつぞや見たことのある、マヌケな顔をした紙竜のなりそこない。

 二本足で立ち、相変わらず気持ちをうかがわせない光のない黒目がちの眼をこちらに向けて、ぽっかりと口を開いていた。


 ほっとリーリヤが胸をなでおろす。

 俺も思わず握り締めていたナイフを離すと体勢を楽にした。


 だぁもう、心臓に悪い。


「もうびっくりさせないでよ」


「こいつどこにでも湧くのな」


「こんなじめじめしたところに居て、よくふやけないわね」


「ほんとそれな」


「ウパァ?」


 まるで合いの手を入れるように首を傾げる紙竜のなりそこない。

 それに合わせてリーリヤが炎の呪文を唱える。


 哀れ。

 紙竜のなりそこないは魔法により進化。

 黒焦げのサラマンダーへとなってしまった。


 燃える姿も哀れかな。

 とぼけた顔で立ち尽くしたまま、紙竜のなりそこないは灰になる。


 紙に命があるとは思わない。

 だが、せめて安らかに眠れ、マヌケな紙トカゲ。


「しかし、ほんとお前、正体がわかってる相手だと容赦ないな」


「うるさいわねえ。紙竜ごときが司書にたてつくのがどうかしてるのよ」


「アレはなりそこないだろう」


「二本足で立ってるんだもの、立派な竜だわ」


 またそんな詭弁を。


 トカゲだって二本足で立つやつもいるだろう。

 あいつらが竜なのかってもんだ。

 絶対に違うだろう。もしそうなら、ドラゴン退治のパーティーは、いまごろ町から町へと呼ばれて休む暇もないさ。


 紙の竜が相手だからって強気に出ちゃってまあ。

 これが駆け出し冒険者だったらかわいいものだ。

 けれども、いい歳こいたエルフの女が自慢げにするってのは痛々しい。

 

 というか、本物の竜だったらどんなに小さくてもリーリヤの負けだ。

 小さくとも獰猛で人間を襲う竜なんてのは幾らでもいる。


 今頃おいしくお腹の中だろうよ。


 やれやれと溜息をつこうとして首輪が締まる。

 見ればリーリヤがじとりとした視線でこちらを見ていた。

 

 はいはい。

 プライドだけはいっちょまえだよな、ホント。


「分かった分かった、俺が悪かった、やめろって、ほんとお前」


「ふんっ、分かってくれればいいのよ」


「それはそれとしてだな。リーリヤよ、本当にここにパピルスの魔導書なんてあるのか。さっきから、全然そんなものがあるようには見えない光景が続いてる訳だが」


「あるわよ」


「こんな湿地帯にか?」


「もちろん」


「冗談だろう。あったとして、とても無事だとは思えんぞ。ぐずぐずにふやけてるんじゃないのか。そんなのに本当に魔力なんてあるのかよ」


「そこは原始的な素材のたくましさって奴よ」


 さて、この辺りだと思うのだけれど。

 そう言ってリーリヤが足を止めた。


 いつものように封印書から魔導書の切れ端を取り出し、リーリヤは俺にそれを寄越す。くんかくんかと、鼻を鳴らせば。


 ――確かに。


 近くにに魔導書の臭いによく似た気配を感じる。


 だが。

 やはり、視界にそれらしいものは、何も見えない。


「おかしいな。近くにあるにはあるんだが、やっぱり、それらしいのはどこにも見当たらない」


「そりゃそうよ。だって地下に潜っているから」


「潜る?」


 リーリヤが発した言葉の意味が分からない。

 俺は彼女を見た。


「そう、潜ってるの」


 どや顔で言うリーリヤ。

 左手を地面に水平にして、そこに右手を突き入れるようにして何かしらを訴えるジェスチャーをしてみせる。


 なんだ。

 そんな風に、本が土の中に潜っているというのか。

 ハハッ、お前にしては面白い冗談だな。


「植物は地下に根をはるものでしょう。はい、これ」


 真顔と共に、俺へと差し出されたのはメリヤスの手袋。

 こんな泥濘地での野良仕事にぴったりの道具だ。


 そして次に渡されたのは、草を刈る鎌。

 これから草をむしりますといわんばかりだ。


 実に用意がいいね、リーリヤの癖に。


 ――まさか。


 ――本当に。


 ――そうなのか?


 尋ねるように俺は視線をリーリヤに向ける。

 すると、少しの間も、言いよどみもなくリーリヤは、そんな俺の疑念を首肯によって肯定した。


 本当にそうなのだ。

 潜っているのだ、魔導書が、この泥濘地、ねっとりとした泥の下に。


「マジかよ。図書館で草むしりすんの」


「結構根深く張ってるからね、カミガヤツリの根って。大変よぉ、頑張ってねぇ」


「いやいやふざけんなよお前」


「ふざけてなんかないわよ。仕方ないでしょう、古い魔導書は、こういう厄介なものが多いんだから」


「だったらせめてお前も手伝えよ」


「ここまで案内してあげたじゃない」


 ふざけろ。

 俺の仕事はお前の用心棒だ。

 雑用係じゃないっての。


 怒ろうとした機先を制するように、やれやれ仕方ないわね、と、リーリヤは自分のメリヤスをどこからともなく取り出した。


 人をおちょくるとは、たいそう余裕があるじゃないか。


 ちくしょう。

 まぁ、いい。

 これも、仕事だ。


 やってやるか。


「しかし、こんなしんどい思いするんだ。ここに埋まっているその魔導書ってのは、たいそうご利益のある魔術書なんだろうな」


「あはは。なに言ってるのよマクシム、悪い冗談ね」


「は?」


「古代にそんなたいそうな魔術なんてある訳無いじゃないの」


「え?」


「今日の魔導書は『どきどき星で分かる恋占い 神秘の占星術』よ」


 どきどき星で分かる恋占い。


 神秘の占星術。


 あぁ、占星術。


 それは、魔術ではないよな。

 ただの占いだよな。


 いや、昔はまじないだったのかも知らんけれども。


 ――うん。


「魔導書じゃねえじゃねえか」


「いやいやこれが結構あたるのよ」


 当たるのか、それとも、魔術で当てにいかせるのか。


 正直そんなのどうでもいい。


 なんだよ占いの本って。

 別にそんな古代のもの使わなくっても、幾らでも魔導書じゃないものがそこいらに出回っているじゃないか。


 古代人め、ろくでもないもんを作ってくれやがって。


「王女さまがねぇ、どうしてもって言うのよ。まぁ、仕方ないわよね、こればっかりは」


「だぁもう、今も昔も女ってのは面倒くせえなぁ」

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