きさらぎ

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きさらぎ

 (1)桐生啓士


「もう追加はないだろうな。もう走らないからな!」

 体育館から三階にある物置部屋までを三往復もさせられたせいで、声に苛立ちが混ざる。

「たぶんねー。運動不足解消が出来て良かったねー、桐生」

 携帯の向こうから、かけらも反省していない能天気な返事が届く。

「だいたい、おれは役員じゃない部外者なんだからな」

 ただの善意の手伝い要員がなぜパシリに使われているのか。

 電話を切り、頼まれたものを持って部屋を出る。

「桐生先輩」

 しんとした廊下で背後からの唐突な声に驚いて振り返る。

 小柄な女子だ。襟元の校章の色で二年生だとわかる。

 テスト週間で部活もないのに、なんでこんな時間まで残ってるんだ?

 とりあえず、名前を呼んだということは用があるのだろう。

「なに」

 束の間視線を床に落としたその女子は、まっすぐ顔を上げた。

「好きでした」

「なんで?」

 思ってもみない用件だったので反射的に口をつく。

 初対面のはずだ。

 部活動もやっていなかったので、基本的に他学年の生徒との交流はない。

 残念ながら初対面の相手に愛想よく接するというスキルに不自由しているので随分とつっけんどんな言葉と口調になったが、そんなことも知らない相手に告白してきた相手も悪いし、もし知ってたなら自業自得だから、どっちにしても問題ないだろう。

「……」

「あえてこの時期にそんなこと言ってくるっていうのは、すごく身勝手だよね?」

 卒業式まであと三日。

 断られても、気まずくならない時期を選んだのだろうと想像がついた。

 まともに面識のない相手にうまくいく可能性が低いことはわかっているのだろう。

 ただ、とりあえず告白して気分をすっきりさせておきたいという自己満足。

 巻き込まれる方はいい迷惑だ。

 ずっと無言でうつむいていた相手が顔を上げる。

 自分のきつい物言いは自覚していたから、泣くまでいかなくても、悄然としているだろうと思っていたのに、目をしっかり見て笑った。

「恋愛ごとなんて、自分勝手上等じゃないですか? っていうか、人間って自分勝手な生き物だし」

「桐生、いつまでサボって……下級生をいじめてるのか?」

 丸めたプリントの束で頭をたたかれた上のいわれのない非難に、ため息をついた。



 (2)久住薫


「ヤバい、ストップウォッチも欲しかった」

 電話を切った後で思い出し、あわてて桐生にかけてはみたものの、出ない。

 何度か繰り返してみたものの、数度のコールの後に留守電案内が流れるばかりだ。

「仕方ない。自分で取りに行くかぁ」

 戻ってきたあと、もう一度行かせるのは無理だろう。

「なっちゃん、ごめん。ちょっと行ってくるわ」

「いってらっしゃーい」

 隅っこで黙々と工作している友人に断わって体育館を出る。

 どこか適当なところですれ違うと思っていたのに、いつまでたっても出くわさない。

「何やってんだか」

 結局、目的の部屋の真ん前で立ち尽くす桐生の背中を見つける。

「桐生、いつまでサボって……下級生をいじめてるのか?」

 最初は桐生の陰になっていて見えなかったが、小柄な女子が向かい合っていた。

 声をかけてしまってから、なんとなく察しがついた。

「……えぇと、お邪魔しました」

 踵を返す。

 あの口の悪い桐生が、素のままで応対すると思うとあの大人しそうな子がちょっと心配だし、可哀そうだが、口出しできることでもない。

「あの。久住先輩。大丈夫です。用件は済んでます。お引止めしてすみませんでした」

 見た目に反して、はきはきてきぱきと話す。

「ホントに?」

 振り返って聞くと、女の子はにっこり笑ってうなずくが、桐生は釈然としないような苦い顔をしている。

「話、終わってないんだけど」

「何かありましたか?」

 不機嫌にしか見えない桐生に対して女の子は気にした風もなくさらりと返す。

 かわいらしいのに、心臓強いな、この子。

 上級生の、それも決して愛想がいいとは言えない、おそらく告白した相手に対して、ここまで平然とはなかなかできない気がする。

「一方的に言いっぱなしで逃げる気か?」

 基本、桐生は言葉がきつい。

 人見知りで初対面の人間に対しては無愛想もプラスされるので、かるく怖いくらいだ。

 それに頓着した風もなく、平然口を開く。

「先輩たち、作業の途中なんじゃないですか?」

「あー、桐生。今日はもう帰ってもいいよ。こっちでどうにかするし」

「いや」

「それはダメです」

 二人が同時に否定の言葉を吐く。

「私、図書室にいます。もともと試験勉強する予定だったので。桐生先輩に用があるなら帰りに寄ってください。用がなければよらなくても大丈夫です。どちらにしろ下校時刻になったら帰るので。……では、失礼します」

 ぺこんと頭を下げて、さっさと先に行ってしまう。

「えぇと、告白だったんだよね?」

 女の子の姿が見えなくなってから小声で尋ねる。

「……なんか、半分ケンカ売られてた気がするが、たぶん」

 眉間にしわを寄せながら桐生はぼやく。

「でも、結構気に入ってるでしょ、あの子のこと」

 なんとなく、雰囲気で感じ取っただけだけれど。

 桐生は肯定も否定もせず、ただ眉間のしわを深くした。



 (3)加山早紀


「あれ、加山さんどうしたの? テスト週間だから当番ないでしょ」

「うん。テスト勉強に来たけど、席空いてないですね。……カウンター、借りても良いですか?」

 テスト前の図書室は予想通り満席で、待つと言ったからには帰るわけにもいかず、図書委員のよしみで司書の先生にお願いをする。

「じゃ、ついでに少しの間業務お願いしても良い? お昼がまだなの」

「もちろんです」

 貸出返却の受付くらい大した手間でもないので快諾する。

「助かる。よろしくね」

「ごゆっくりどうそ」

 手を合わせてお礼を言う先生を見送って、カウンターに教科書を広げる。

 鉛筆のはしる音がたまに聞こえる以外しんとした空気のなか、目は文字を追っていくけれど、それだけで、さっぱり頭に入ってこない。

 あたまの中で、ぐるぐると先ほどのやり取りがうずまく。

 あの言い方はなかっただろ、我ながら。

 緊張しすぎて、なにもかも吹っ飛んでたとはいえ、好きな人に対して。

「おこらせたよなぁ」

 小さく声に出すと、心臓が跳ねる。

 叶わないことが分かっていたから、卒業直前を狙って告白した。校内で顔を合わせた時に気まずくなりたくなかったし、気まずくさせたくなかった。

 まぁ、向こうは全くこちらを認識していなかったから余計な気遣いだったけど。

 ――毎週木曜、本棚の脇にある椅子が定位置だった。本を読んでたり、窓の外をぼんやり眺めたり。五時になると席を立って、読んでいた本を棚に戻して帰っていく。

 貸出することがなかったので、会話することはなかった。ほとんど。

「良いことでもあったの?」

 戻ってきた先生に尋ねられ、首をかしげる。

「なんか、楽しそうな顔してたから」

「……別に何もないですよ」

 思い出してにやにやしていたのだったら、すごく恥ずかしい。

「そう? ありがとうね」

 それ以上、追及されなかったことにほっとして、教科書に目を落とす。

 一度だけ、話した。

 本を棚に返しに行ったときに、落ちていたペンを拾って、渡した。

 読んでいた本から顔を上げて「ごめん。ありがとう」と言ってくれた声が、やわらかかった。

 それが切っ掛けというか、決定打だったかもしれない。

 先輩はさっぱり覚えていなかったけれど。

 コツコツ。

 カウンターをたたく指が視界に入り、顔を上げる。

「出れる?」

 周囲を気にした小さな声にうなずく。

「先生、ありがとうございました」

 なんの役にも立たなかった教科書をかばんにしまいこみ、先に図書室を出て行った先輩の後を追った。



 (4)桐生啓士


 カウンターに座っている姿でなんとなく思い出した。図書室に来た時に、見かけていた気がする。

 隣を歩く加山に視線を落とす。

 あんなことを言ったものの、何を話すかまったくまとまっていなかった。

 ただ、あのまま言われっぱなしで終わるのは納得いかなかった。

「さっきはすみませんでした。ちょっと、いっぱいいっぱいで緊張しすぎて」

 顔を上げた加山は、視線が合うとすぐにうつむく。

「実際、ダメなことは最初からわかってたんで、だから、ギリギリまで引き延ばして。……図星で、逆ギレとか……ごめんなさい」

 最初の威勢の良さのない、凹んだ声。それでも、潔い言葉。

「いや。おれも言い過ぎたから」

 初対面の下級生、それも告白してきてくれた相手に対して、あれはなかったとさすがに反省した。あのあと。

「良かった。いくらダメでも、嫌われて終わるのは、さすがにちょっと悲しいし」

 ほっとしたように加山は笑う。

「……おれが言うのも変だとは思うんだが、なんでそんなダメって決めつけてるんだ?」

 見た目も普通にかわいいし、話した感じ、自己評価が低いタイプでもなさそうだ。

 告白されたら、特定の相手がいなければ、とりあえず付き合ってみるという流れになってもおかしくない。

 加山は少し驚いたようにこちらを見つめる。

「だって、桐生先輩って久住先輩のことが好きじゃないですか」

「……久住は彼氏がいるよ」

 一瞬言葉に詰まって、それでも何とか平静に返す。

「関係ないですよ。私だって他に好きな人がいる桐生先輩を好きになっちゃったし」

「断定されても困るんだが」

「往生際が悪いです、先輩。それとも、まさか無自覚ですか?」

 加山にいたずらっぽく笑われ、ため息に似た苦笑が漏れる。

「そこまであからさまだったか?」

 普通の友人として接してきたつもりだったのに、ほとんど接点のない加山が見抜いていたとなれば、身近な友人たちや当人に気付かれていてもおかしくない。

「少なくとも久住先輩は気づいてないと思います。他の人はいちいち気にして見ていないので、わからないですが……たぶん、大丈夫だと思いますよ」

 加山の言葉にちょっとほっとする。

 この先、告げるつもりはなく、現状通り友人関係は続けたい。だから知られていては困る。

 我ながら姑息でへたれだ。

「前言撤回する。加山さんはすごいよ」

 報われないことをわかっていても気持ちを伝えるというのは、勇気がいる。

「私の場合、もともと接点がないし、あとくされもないから。先輩とは立場が違います」

「……あとくされって、すごい表現だな」

 間違ってはいないが正しくもないような、少なくとも告白の後に使う言葉じゃない気がする。

「ああ、そうですね。でも、うん。たぶん、だからできたんだと思います」

 加山は立ち止まって、まっすぐ見上げる。

「ありがとうございました。話せてうれしかったです」

 深々と頭を下げた加山は、返す言葉を見つけられないでいるうちに走り去ってしまう。

 結局さっぱりわからないままで、ものすごく消化不良。

「やっぱり、身勝手だな」

 


(5)加山早紀

 

 たぶん、根本的に好みの顔立ちなんだと思う。

 なんとなく物静かな雰囲気も、眼鏡なのも要因の一つ。

 それで目で追うようになって、図書室以外の場所でもよく見つけるようになって、友達と笑いあってる姿を知るようになって、物静かってわけじゃないことに気が付いた後も、止まらなかった。

 たった一度の会話ともいえない会話も大事にしてしまうあたり、末期で。

 ただ見てるだけじゃストーカーと変わりなくて、叶わなくても、せめて知っていてほしいと思ってしまった。

 断り文句が返るだけの短い会話になると思ってたのに。

「だから先輩が悪いんです」

「……あのさ、顔見て早々なんなわけ?」

 卒業式後、校内のあちこちで別れを惜しむ人たちのなか、どこか所在無げにしていた先輩は眉間にしわを寄せる。

「ご卒業、おめでとうございます」

 背中にかくしていた、小さな小さな花束を渡す。

 ちょっと勢いがついて、たたきつけるようになってしまった花束を受け取りながら先輩は笑う。笑ってくれちゃうし。

「なんか、基本的にけんか腰だよな」

「ほんとは、あれっきり。諦めるつもりだったんですよ。なのに、あんなふうに話なんかしちゃったら、無理になったでしょっ」

 割と辛辣な口調とか、それなのにやさしかったりするし、告白した時より好きになるとか、どうしようもない。

「だから、先輩の自業自得です。好きなままでいます。それどころか、追いかけます。とりあえず、校章とメールアドレスをください」

 ブレザーなので第二ボタンのかわりに校章をもらうというのがうちの学校の慣習だ。

 とりあえず則っておく。メールアドレスの方がもちろんメインだけれど。

「いいよ」

「え?」

 あまりにあっさり言われて、びっくりする。

「まず校章と……これってもらってうれしいものなのかと割と謎」

 片手で器用に襟元から校章をはずし、手渡してくれる。

「あの、先輩?」

「次はアドレスか……で、他は良かった?」

 生徒手帳から破り取ったメモに走り書いたアドレスをくれる。

「先輩、正気ですか?」

 言葉の選択が間違っている気はするが、本音だ。

「加山、割と面白いし。見てて飽きなさそう。とりあえず、友達でどう?」

 そんな常套句、ずるい。

「言っておきますけど、そのままの地位に甘んじるつもりはないですよ。陥落してみせますからね」

 良いように転がされてるような気もするけれど、まぁ、そんな笑顔が見れるなら仕方ない。

 仕方ない、けど。

「ちょっとムカつく」

 内心で留まらず、口からこぼれおちた言葉に先輩が思いっきり顔をしかめる。

「実はおれのこと嫌いだろ」

 顔をしかめたいのはこっちだよ、まったく。

 だけど、思い切りの笑顔を見せてやる。

「思い知らせてやるから、覚悟しておいてくださいね」



                                【終】

 

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