2022年版
第一回 教える側になってきた
最近はツイッターで喋る場面も増えてきた。元々喋りだけは自信のある男だったからまあ、一緒にいる人は喜ばせられる程度の話は出来ているのかな、というところ。リスナーはどうなのかは知らないけど。
ここで書かなくなった後、ツイキャスなどで話していたり、某変化球の話でやりあったりしていたのもあって基本的になにかの話題があれば30分程度でいいのなら喋れる力はついたと感じている。スペースなどでは喋りたい人が一気に入り込むスタイルなので喋るのを止めたりして、必要な時に必要な分だけ喋る、なんてことはやっている。
しかしこの数年で感じてきたのは、自分が想像以上に知識があるという事だ。
自慢のように言っているが事は少々違う。私には元々先輩格の人がいて、その人に知識ではいつも勝てなかった。それこそどの本にどんな内容が書かれているかを覚え、どの球団にいつ、だれが何をしたか。その程度はさらさらと喋られるような人を師匠筋にしていたのもあって、自分の力など全く及ばないと考えていたのだ。
それが最近思うようになったのが、想像以上に知識が通る場面があるという事だ。例えばメジャーリーグで使われる球場一つにしたってどういうことがあったか、なんて知らない人は多い。それどころか日本の、例えば甲子園球場の知識を持つ人もかなり少ない。
そんなことを覚えていて当然、知らないと「勉強不足」と怒られてきた私だったので、かなり過ぎたる力を持っているのだ、と感じるようになった。
一方で世界は広いものでやはり自分より力を持つ人は多くいる。NPBの歴史における名前がなかなか出てこないような選手をさらりと言う人がいれば、近年のMLB事情をさらさらと喋る人もいる。独立リーグの知識は負けない人がいれば、社会人野球に強い人もいる。
そういう人間がいろんな世界にいる事を改めて気づかされたのだ。
知識を得たからこそ、その知識をさらに深化させている人間がまだ二本には数多くいる、という事に驚きと、自分の浅さを改めて感じたりするのであった。
だが、そうやって自分の位置がなんとなく見えてくると、全員が全員ではないのだが、私に続きたい、みたいなことを言ってくれる方も出てきた。勿論会話の節みたいなやつで、それを深くやってくれるかどうかは別なのだけれど、やはりそういう野球史とか扱っている人間としては、自分の話している内容は誰かにとって「いいなあ」と思えるものとして表せているのか、と嬉しくなる。
一方でやはり自分の知識の浅さを再認識させられているというか。
去年その先輩とお話ししていて言われた言葉がある。
「君は若いころから抑え込みが甘い」
と。
昔は「何言ってんだい」と反発する気持ちが芽生えていたが、そういう自分の姿を見る存在がいると改めて感じた時に「もしかしたらそうなのかも。いや、今までの経験を踏まえるとそうだよな」なんて考える事も増えた。
そういう事もあり、最近は改めて勉強の日々に戻っている。自分を見て何か変化させようと思う後身に恥ずかしい姿を見せるわけにもいかないし、自分の位置が見るようになったからこそ改めて学び直そうと思えるようになったのだ。
そういう事もあって、最近はずっと本に目を通している。改めて自分の知識の穴だらけさを反省しているところだ。
三十にして立つ、四十にして迷わず。
人間はこうやってふらふらと悩みながら生きていくのかもしれない。
2022/03/18 7:18 ぬ
野球見聞録 ぬかてぃ、 @nukaty
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