第10回 プロ野球の夢、とは
最近はいろんな動画を目の当たりにするのだが、いやあ、驚いた。というのも最近の選手が子供たちに夢を与えるスポーツだ、という言葉のニュアンスが完全に変わり切っているのだ。というのも、今の選手の共通認識、なのかどうかは知らないが、ある選手の放った「僕たちがお金を稼げる事を伝える事が若い子達への夢に繋がっていく」という言葉に、時代の終わりを感じたものだ。いやあ、いくらなんでもひどい。
ここで勘違いしてほしくないのが、プロ野球選手に金を払う事自体は私は否定していない事である。むしろ、その選手が出場する、というのなら球場に足を運びたい、と思うプレーをしている選手にはそれ相応の金額を払うべきだし、何もその発想自体は日本だけではない。球場に足を運んでいる「ファン」に「夢」を与えられる選手はそれ相応の配給をされるべきであって、そこは一種の、いわゆるアメリカンドリーム的発想の「夢」である事は間違いない。
しかし、だ。それは果たしてファン達に見せる「夢」なのだろうか。
確かに考え方によってはそうだ。市場価値の高いプレーを見るために観客は球場に足を運ぶのだし、それを全うするという事は選手の重要な義務であり、任務である。しかし、それは夢でなくて、プレーする側の「仕事」であり、その「仕事」を全うするからファンは満足して財布からお金をペイするのである。そこに「夢」が関わってくる事はなく、むしろ職人と客の需要と供給という一定のラインが一致したからこそ、選手の懐に金が入るのだ。
しかし、ファンは、特に世間を知らない若き野球ファンは彼らの任務を全うする姿を見に来ているわけではない。金の掛け目など関係ない「素晴らしいプレー」を観に来ているのだ。そして、あの素晴らしいプレーをする選手に混ざって自分の出せる技全てを出したい。そこに主眼が置かれるのであって、年棒は少なくともそこから発生する副産物的なものだ。それがトップには来ない。あくまであのグラウンドで一選手として戦う「名誉」に「夢」を求めるのであって、選手の年棒に夢を求めるティーンズなんていない。わざわざ選手名鑑を持ってきて対戦選手の年棒を見比べながら番付しているようなティーンズなぞ、いたとしてもそれがほとんど例外的なものである。
つまり、彼らのいう「夢」と実際観に来ているティーンズの「夢」にはずれがあるのだ。確かに金は欲しい。しかしその前にプロ野球選手である、という「名誉」がまず欲しいのだ。沢山金がもらえるから、なんてのは高校野球で名前が売れ始めた頃に生まれる色気みたいなもので、そこに至れるまでのアマチュア高校球児が何人いるのか。
そういう意味ではプロ野球に「夢」はなくなったなあ、と思う。
カープの某選手は日本シリーズ対戦相手の選手がリリーフで出した速球に対するコメントで「打てるわけないじゃないですか」と平気で口にするようになったし、第一、その漫画みたいなプレーをしているファイターズの選手だって彼が突飛出ているばかりでそれに対抗意識を燃やす、なんて選手を見かけなくなった。
よく言えば全体的に仲がよくなってきた。悪く言えば盛り上がりに欠ける。
そういう意味ではプロ野球なんてのはもっとプロレス的なものでいいと思うのだ。かつてタイガースの村山、江夏が巨人の王、長嶋、その後ろにいるジャイアンツに堂々と勝負を売り、南海野村が後年スワローズの監督に、星野がドラゴンズ、タイガースの監督となってジャイアンツに牙を剥いたように、戦う事に対する事前の因縁というものがあった。それはプロレス的ではあるのだが、だからこそ勝ち負けに注目が行く。今日は村山が長嶋に勝った、と言えば王が江夏にホームランを打った、というのは彼らが阪神の一介のエースだったら語り草にもならなかっただろう。野村はぼやけば星野は怒鳴り散らしながらジャイアンツに立ち向かっていく。それは単純に彼らが「ライバル意識」を売り物にしていたからではないだろうか。勿論そこにはジャイアンツという大きな看板があり、大分時代も変わった昨今では順当にいう事も出来ないのは承知だが、それでも「あの選手に負けた。悔しい。次の対戦ではぼこぼこにしたい。俺と対戦するときにはもうそこから逃げたいと言わせたい」というくらいの気迫を商売道具として販売してもいいんじゃないだろうか。
泥臭い、昭和臭いとは言われるだろうが、結局のところフィジカルなんかを売りにしたって、MLBには勝てっこないし、もっとスポーツ単位で見ればでよりエキサイティングなものを探せばラグビーやアメフト、サッカーにぶち当たる。何故勝ち目のない勝負をわざわざしなければならないのか。
野球は投手と打者の一騎打ち(キャッチャーや守備、走者など多岐にわたるため厳密には違うのだが)から試合が始まる。これはほとんどのスポーツには見られない。それもそうだ。個人競技と集団競技のいい所どりをしたスポーツなんか野球以外ほとんどないのだから。
そうなると実はたったワンプレーでたくさんのドラマを作る事の出来るスポーツなのだ。因縁が輝く事もあれば、一人のプレーが輝く事もある。それは特定の協議スタイルに特化したスポーツにはなしえないのだ。
だからこそ、その事前準備にわざとらしい因縁なんかあってもいいのだ。「俺はあいつが嫌いだ。死ぬほど嫌いだ。出来れば殺したい」なんて言っている選手がオフではすこぶる仲がよかったりする、なんてのはプロレスではよくある事で、むしろ仲が良いからこそ因縁付けに徹したりできたりする。そういう部分に人は「夢」を見るのではないか。
「俺もこのチームの四番打者になって、あのエースからホームランを打ってヒーローになる」「俺がこのチームのエースになって、あの球団からヒットを打たせない」そういうエキサイティングが「夢」に繋がっていくのではないか。そんな暑苦しいほど盛り上がった夢を集積したものが、ファン達の楽しみになるのではなかろうか。
沢山金を貰える事、確かに夢ではあるが、それを公言するのは、あまりにもみみっちすぎないか?
それでは夢も買えないだろう。それならフィジカル的にも素晴らしく金もたっぷりもらえるメジャーにさっさと行きますって話で、そうなると面白くなくなるのは自然なのではないか。
今だからこそ、今NPBで活躍している選手には「夢」というもの、正しくは「自分達が商売しているもの」について見直してもらいたい。金もフィジカルもどうしたって海外、他スポーツには勝てないのだから。
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