第9回 広島ファンとしての遺書

 無職であることが続いて自分の財布に規制が止まる事なく、折角その気になれば横浜スタジアムにでもフラフラといけそうになったのに辛い限りである。仕事が決まるまではまだまだこれが続きそうだ。

 ところで広島カープが四半世紀ぶりに優勝した。私も一カープファンなので感慨深いものがあった。特に私が見始めた頃は万年五位で、気持ちの切り替えのために赤ストライプにした頃であったから、やっとここまで来たのだなあ、とは感じた。しかし面白い事に、そこで広島に対する気持ちが大分薄れている事に気付く。ふと振り返ってみたら、あの時にいた選手が何人残っているのか。栗原も東出もいなければ横山も梅津もいない。時間に余裕のあって見まくっていた十年前のドラフト選手だって生きているのは會澤と中東くらいだぞ。もはや肩入れが出来ないのだ。言い方は悪いが、私の知るカープではない。というよりは、血の入れ替えが済んで強いカープの土壌が出来上がっていたころには、もう私と広島カープを繋げる存在が前田と赤ハンカチ齋藤くらいなもので、その頃にはプレーと歴史に興味が向いており、その二人が引退してしまうとそれこそどこ吹く風、となってしまっていた。

 そしてなにより新井である。未だに私は未だに新井という男を許していない。今でこそ主力として活躍しているから以前の蛮行を許す、みたいなファンが多いが、私はあれだけ「広島が好き」と言いながら出て行った説明を行ってほしいと思っている。それがなければ応援する気にはならない。

 別になんだっていいのである。「金が欲しかったから」「本当に優勝できると判断したから」「阪神の空気が合っていると思ったから」「憧れの選手の元でやりたかったから」etc…。自分の思った全てを語ってくれればいいのである。出戻りに関しても、どんな理由でも構わない。そこは説明してほしい。

 新井が帰ってきて、気分は一気に悪くなる。結局こいつは弱かった時代の象徴みたいな存在で、そいつを使って戦う、という事に違和感を感じずにはいられなかった。

 今回の優勝の一端に新井の活躍があるのは否定しないが、そう言った事を置いて喜んでいる。誰もが「新井を許した」の大合唱だ。余りにも虫が良すぎてみるにいたたまれなかった。新井に必要なのは、結果ではない。説明だ。それをなおざりにして、誰もが勝てば官軍になっている。

 そこで、ぷっつりと途切れた。

 もういいや。球団のファンとして見たら疲れる。色々あって出て行ったけれど、過去をなかった事として見なければ多少ロートルになりこそすれ、結果も残してきたいい選手が入ったわけじゃないか。そうやって1プレーを楽しんだ方がいい。しかしその気持ちは「広島カープが優勝してほしい」という気持ちをほとんど殺したに等しく、広島が勝とうが敗けようが試合を見ていなければ「ああ、そうなの」としか言わなくなった。

 ここで広島カープファンとして死んだ。はっきり言って、もう好きにしろよ、という気持ちが止められなかったのだ。


 その代わり、試合を見ていたら誰彼構わず応援し、エラーに息を漏らし、プレーに興奮するようになった。リトルリーグでも草野球でも、野球があれば楽しいのだ。野次なんか食っているポップコーンを不味くするだけなのでいらない。いい天気とコーラと食べ物だけあればいい。どちらが勝っても構わない。どちらも勝て、どちらもプレーをエンジョイしろ、なのだ。

  そして第一回でも書いたのだが、私は特定球団ファン、というのが大嫌いである。元々アジテートやむやみやたらな応援みたいなのは好きではない、くらいだったのだが、ここ数年、黙って静かに観たいという欲求がとても強くなっていった。これは恐らく前回のWBCでのブラジル対キューバ予選を観た時に醸成されたものだろう。どちらも応援せず、ただプレーに集中してみる事がどれだけ楽しいか。どちらかが勝ってほしい、というよりは、このプレーで勝利がどう転ぶかな、という見方の方が楽しい事に気付いてしまった。ホーレス・ウィルソンが持ち込んだ精神は結果でなく経過を楽しむもの、という事を佐山和夫氏は書籍で書かれていたが、まさにその見方が野球、いやスポーツの醍醐味なのだ、と思ったのだ。

 現在日本では「経過を大切にしなさい」と言う事に対して多少否定的になっているが、野球とはまさに「経過」の積み重ねが「結果」に反映されていく。1ホームラン、1エラーという一人一人の「結果」が試合結果の「経過」という物語に大きく作用していき、試合結果に反映されていく。プレーがあるから面白い。プレーの中に物語があるから試合も面白いのだ。

 私は野球を観に来ているのだ。結果を確認しに来ているわけじゃない。目で見て肌で感じなければ、もう野球ではない。


 そういう事で、私はほとんどカープの話をしなくなった。カープが優勝した時も、美酒一杯飲んで一日はしゃぎこそしたものの、まさに勝ち馬に乗った馬鹿になったのと、話題として持っていっただけで、もうとうに興味は失せている。

 今日誰が活躍しようが知ったことではない。だって私は、今野球を目の前にしていないのだから。

 私の知る広島カープはもう遠くなった。新しいカープが、強く立ち回って勝っている。それはそれでいい。それを否定しない。だが、強い事と魅力を持つことは全く意味が異なる。私はもう広島カープに魅力が持てないし、今後持つこともないのだ。

 プロだろうがアマだろうが、試合があったらなんの情報もなしにフラフラと立ち寄って、プレーに満足して帰る。それで十分なのだ。どこが強いなんざ知った事か。目の前でやっている野球の方が何十倍も価値がある。

 一連の騒動や、野球の見方が変わった事によって完全に広島カープへの情熱が消えた。私は一野球ファンであって、もう特定球団ファンではないのだ。

 なので、優勝だろうがなんだろうがお好きにどうぞ。楽しい試合を見せてくれれば、勝ち負けは気にしませんので。できれば応援も野次もない、静かな環境で一流のプレーを魅せていただければありがたいのですがね。

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