都会の香りを漂わせた人は
山の空気を身に纏い、帰っていった。
この小さな村の中では、外から来た人というのは一際目立つ。私も初めてここへと来た時は、居心地の悪さを感じたはずだった。なのに今は、その頃の感覚というものをほとんど思い出せなくて、ずっと前からここにいたような、そんな気さえしてくるから不思議だ。
忙しない毎日の中、体内で膨れ上がる疑問の重みに耐えかねて、逃げるようにしてこの村へとやってきた。いや、逃げ出してきた。
今の私なら、その頃の自分にも、よく頑張ったねと言えるかもしれないけれど、当時は後悔や屈辱に塗れて、自分を責めてばかりだった。
幼い頃から祖父母と触れ合うような機会もなく、年寄りなんてみんな頑固で偏屈で無遠慮なものだと思い込んでいた私へと特に親切にしてくれたのは、山田のおばあちゃんだった。締め切った雨戸の隙間からするりと入ってきたおばあちゃんの穏やかな声と、ようやく開かれた扉から差し込んだ、眩しい午後の日差しを今でも鮮明に覚えている。
それから少しずつ始まった、この村での本当の生活。
農作業を手伝ったり、料理を一緒にしたり……最初のうちは抵抗のあった隣町への用事も、やらなくちゃと思う間もなく、自然と引き受けるようになっていた。
山の景色は本当にのどかで美しいけれど、やっぱり不便だし、体も痛くなるし、虫もやたらと出るし。それでも私がこの生活を続けているのは、やっぱり合っているからなんだと思う。どっちが偉いとか、凄いとかじゃない。合うか合わないか、ただそれだけ。
早朝の空を見上げる。今日もいい天気になりそうだった。ふと視線を向けた先に、実を落とした梅の木が見える。
その奥にある小さな家に住んでいた須藤さんは、もの静かな人だった。
あまり話した記憶というのはない。大分元気になってきて、改めて村の人たちに挨拶をして回った時も、近くを通りがかった時も、一言二言、言葉を交わすか、会釈をする程度。痩せてはいたものの美しさを残す白い顔には、いつも柔らかな笑みを浮かべていた。縁側で黒と白の混じった猫を抱きながら、梅の花を嬉しそうに眺めていたこともあったっけ。暑い日に出してくれた、冷たい麦茶はとても美味しかった。
彼女は、この村の中では異質だった。少なくとも、私はそう感じていた。
そして彼女が息を引き取った後、山田のおばあちゃんが話してくれたことを聞いて、ようやく腑に落ちた。彼女のことだけじゃなく、この村の人たちが見せた不思議な距離感も。
元々いい人たちなのだということは知っている。だけど道を切り拓いてくれた人がいたからこそ、私はすんなりと受け入れられたのだ。
梅の木の向こうへと、私は静かに頭を下げる。それから、何も言えないまま見送った背中を思い出した。
彼はいずれここへと戻ってくる。そんな予感がした。あのスーツは、ずいぶんと重たそうだったから。
その時にはきっと、あなたのお母さんは梅の花が好きで、猫も大好きで、とっても優しい人だったのだと、話してあげられるだろう。
ショートストーリーズ 森山たすく @simplyblank
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