面剥ぎ鍋

竹尾 錬二

第1話

 んまぁ、ごっつぅ立派な猪。お兄さん、どちらでこの店のこと聞かはったん?今、若いのを呼んで捌かせるさかいに、ちっとばかし上がってお茶でも飲んで行きひん?

 ささ、こちらに。薄暗い部屋ですんまへんね。早く電燈を直さんと、目鼻の見分けもつかんと若いにはいうとるんやけど。

 …そう、帰りに山道で車で。それはえらい目に遭わはったね。それをお兄さん、独りでトランクに詰めて持って来はったん? あないに大きな猪を? はああ、お兄さんは根っからの大阪人やで。…ちゃうちゃう、大阪人いうたんは、山道で猪轢いて、車の心配するより先に、猪の肉がなんぼになるかを知りたがるその性根や。

 …見てみい、これが猪のバラ肉や。脂身と赤身の境がくっきりして、牡丹の花みたいやろ。せやから「牡丹鍋」いうんやで。死にたてホヤホヤで腸も破れとらんやったから、臭みの無いええ肉になったと捌いた若いのも喜んどったわ。猪や鹿のような野生の獣のももんじは、昔から新しゅうて臭わへんのが一番と相場が決まっとるんや。上方落語には、「池田の猪買い」いう噺まであるんやで。文珍師匠がお上手やったんやけど、知ってはる?  

 猪が可哀想? お兄さんおもろいこといわはるな。猪は害獣や。お百姓さんの作物も山の筍も、猪が出たらみんなわやや。轢かれて鍋にされてええ気味やで。猪はえげつないで。山に餌がのうなったら、里に下りて来て生ごみでも何でも漁って食べるんや。繋がれてる犬を殺して食べることまであるんやで。けたくそ悪いわ。おまけに最近の猪は人の臭いにも慣れてしもうて、怖じがるいうことをせえへん。図太いのは車のライトやクラクションでも逃げへんのやで。

 挙句、近頃の猪は人を食べることもある、いう話や。ほんまやで? …阿呆やな、猪の方から襲いかかって来ることは滅多にあらへん。この先の伏尾温泉の近くに、事故の名所、言われとる見通しの悪い峠があるんや。そこで見つかった死体は、みぃんなのっぺらぼうやったそうや。山に棲んどる猪が、柔らかい耳やら鼻やら唇やらを、齧りとってしまうんや。

 ほんまに、おおきにな、お兄さん。これでようやっと、目鼻を揃えてあっちへ行ける。うちのおもての弔いに、この猪、美味しゅう食べてやってえな。

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