06.主人公、名を馳せ、人望を失うこと。
「お前、根性あるじゃねえか」
研修最終日の実習で起こった騒動が決着したあと、成行は引率探求者の天野からそう声をかけられた。
前腕部を切り飛ばされたあとも冷静に自分で患部の止血を行い、切り落とされた腕に止血をして自分のフクロに収容してからイレギュラーたちの戦いを続行した天野にそういわれて、成行はなんとも複雑な表情になった。
正直なところ、動揺していたので、今さっきのできごとでさえ、断片的にしか記憶していないのだ。
「パーティ内の経験値は、構成員すべてに、均等に行き渡るといわれている」
引率探索者のリーダー格である泉屋も、成行にはなしかけてくる。
「今のだけで、お前の力もかなり増しているはずだ。
初心者であるお前にとっては、かなりおいしい結果になったな」
「ちょっと待ってろ」
天野が成行の方に視線を固定し、目をすがめる。
「パッシブは、すでに修得していた〈スライム・キラー〉、〈コウモリの天敵〉、〈ネズミの難敵〉に加えて、〈薙ぎ払い〉と〈刺突〉までを新しくおぼえている。
それと、アクティブでは、〈フクロ〉と〈フラグ〉も身についているな。
〈フクロ〉と〈フラグ〉をおぼえたら脱初心者だといわれているから、お前ももう中堅の仲間入りといってもいい」
そこまで説明したとき、看護師が現れ、
「天野さん!
そんな体でなにいつまでフラフラしているんですか!」
とかいって天野を引きずっていく。
「ま、詳しいことはあとで勝手に調べろや」
そんな天野の姿を見守ってから、泉屋は成行に改めてむきなおる。
「必要な資料は公社が公開しているし、個々の探索者が公開している情報もある」
「ネ、ネットですか?」
「一番手っ取り早いのは、それだな。
紙の資料なら、丸の内にある公社の資料館までいけば、誰でも閲覧できるが。
だがまあ、これだけの騒ぎの直後だ。
お前もおれも、何日かは公社に拘束され、あれこれと細かいところまで事情聴取されるだろうよ」
新種のイレギュラーと遭遇した、というだけでも、十分に珍しいのだが、今回の場合、それに加えて、研修生の実習中に遭遇していた。
前後の事情も含め、公社としては詳細な調査を行う必要がある。
泉屋がいった通り、成行はそれから公社に二日ほど身柄を拘束され、事件の前後どころかその前のことまで根ほり葉ほり尋問されることになった。
この尋問の最中に、研修中の人間が五十時間以上も迷宮に、それも単身で入ることは、通常ならばまずあり得ないといいうことを、成行はここではじめて知ることになる。
最終日、五日目の実習を終えた成行の迷宮時間はすでに六十時間を超えているわけだが、この時間で七つものスキルを獲得していることも、極めて異例であると説明された。
「通常ならば、潜行時間五十時間から百時間をかけて、ようやくスキルをひとつ修得できる程度のペースです」
公社の人に、呆れ半分の口調でそういわれても、成行としてはピンと来ない。
「い、いけないことなのですか?」
とりあえず、そう質問してみた。
「公社としては、探索者の成長はむしろ歓迎すべきことなのでしょうが」
ため息混じりに、その公社の人間はそう答えた。
「いろいろと前例がなさすぎて、どう扱うべきなのか判断に困っているというのが本当のところです」
聞き取り調査のため迷宮にはいることを禁止されている期間中、一日あたり六千八百円というかなり微妙な金額の拘束料を用意してくれるのがまだしも幸いである。
この金額についてはかなり安いと成行も思うのだが、
「今後の探索者の安全性を向上させるためにご協力ください」
と公社の職員に頭をさげられると断ることができなかった。
成行にしてみれば一日分の寮費と食事代くらいにはなるわけだから厳密にいえば赤字とはいえないのだが、泉屋や天野など、もっと年期の入った探索者にしてみればはした金もいいところだろうな、と、そんな感想を抱く。
公社の思惑はどうあれ、迷宮に入ることを禁止された期間内も、成行にはやるべきことがあった。
尋問、もとい、公社による聞き取り調査が終わるまでは迷宮に入るなと釘を刺されたため、成行は売店にいって一番安いタブレットを購入する。
迷宮に入れないのであれば、その期間に迷宮関係の情報を集めておきたかった。
公社は売店や食堂、それに寮の周辺で利用できるフリーのwi-fi回線を公開している。
それを利用して、ネット上の情報を漁ることにした。
公社発のオフィシャルな情報の中にも、講習でも教わらないような役にたつ情報が普通に転がっていることに、成行はまず驚く。
特にスキル関係の事柄については、成行は講習中にざっと触れられた以上に詳しいことを知らなかった。
これまでに発現したスキルをリストアップしたり分類、整理したりしているサイトがいくつか存在した。
つまり、公社が公表している以外にも、探索者の活動に興味を持ち、自発的に情報を収集、整理してネット上で発表している者は案外多いようだ。
「〈スライム・キラー〉、〈コウモリの天敵〉、〈ネズミの難敵〉、〈薙ぎ払い〉、〈刺突〉、〈フクロ〉、〈フラグ〉、だったかな?」
寮のベッドに寝そべりながら、成行は呟く。
このうち、〈フクロ〉と〈フラグ〉は、講習に触れられていたので成行も知っている。
物品を自由に収納できるインベントリ能力と、登録した任意の場所に瞬時に移動できるテレポート能力だ。
ただし、スキルの常で、迷宮内とその周辺でしか使用できないのだが。
「……でも、〈フクロ〉が使えるのなら、ロッカールームは解約してもいいかな?」
とか、成行は思う。
迷宮周辺でしか使用する理由がない成行にとって、こうなると公社が提供するロッカールームは完全に無駄であった。
あとで、フクロのスキルを試してみてから改めて考えようと成行は思う。
続いて成行は、有志の誰かが作成した「スキルデータベース」で自分が持っているスキルを検索してみる。
〈キラー〉、〈天敵〉、〈難敵〉というのは、特定の種類のエネミーを多数撃破したものが得ることができるパッシブスキルであり、このスキルを持ったものは該当するエネミーを弱体化させる。
〈薙ぎ払い〉と〈刺突〉は、物理攻撃の効果を割り増しにするスキルであるらしい。
つまり現在の成行のスキル構成は、エネミーを攻撃することに特化しているといってもよかった。
公社は基本的な情報を公開する以外にも、公社は登録している探索者のみが利用できるSNSも解放していた。
そちらの方も覗いてみる。
「……フォーラム、か」
SNSに登録している探索者が匿名で自由にスレッドをたてて会話ができる機能が、まず成行の目を引いた。
すでに、例の実習中にイレギュラーが現れた件についても、専用のスレッドが建てられている。
泉屋や天野、それに公社の職員たちがいっていたように、あの件はかなり異例なできごとであったようで、スレッドの発言数もかなり多かった。
「新種のイレギュラーってどうよ?」
「どうやら、スライムの変異種っぽい」
「雑魚乙」
「情弱乙。
かなり強かったよん」
「当事者?」
「ご想像にお任せする」
「釣り乙」
「釣り扱いでも別に構わんけど。
感触としては、三百階層以上の深層にしかいないようなエネミーだったな」
「三百階層以上!?
四つ木迷宮に、そんな大物に対抗できるやつがいたっけか?」
「所沢迷宮のエースならともかくな」
「あれはまた、別格だから。
あれ、登録してから半年も経たないうちに五千階層を突破しているような化物だし」
「研修生の中に、スライム・キラーがいたのよん。
それで、集団で発生してからもなんとかしのげたわ。
でなけりゃ、研修生を連れて逃げて、それで終わり」
「!!」
「!」
「!」
「……スライム・キラー……」
「ありえねえし」
「キラーの称号って、何体殺したらつくんだっけ?」
「最低でも万以上、といわれているな」
「スライム、万体以上……(呆)」
「趣味、スライムいじめwwwww」
「いや、でも。
スライムオンリーで出てくること、まずないっしょ?」
「スカベンジャーだからな、あれ。
おびき寄せる餌として、他のエネミーの死体が必須のはず」
「その研修生、〈コウモリの天敵〉、〈ネズミの難敵〉も持ってたし」
「!!!」
「!!!」
「!!!」
「ちょっ。おま」
「なwwwwwんwwwwwとwwwwwいwwwwwうwwwwwスキル編成」
「極端な」
「よりにもよって、コウモリとネズミかよ」
「研修生なら、そんなもんだべ」
「理論上は可能だが、取れといわれても取りたくないスキル構成だな」
「だな。
盛大に時間の無駄だし、なにより忍耐力を限界まで試さなけりゃそんなスキルを取れそうにない」
「探索者界に新・星・爆・誕!
その名もスライム・キラー!」
……そこまで読んで、成行はそのウィンドウをそっと閉じた。
そのあと、SNSにも改めて登録した。
目下、成行はパーティを組む相手がない。
どこかの既存のパーティに入れてもらうなり、あるいは自分で人を集めて新たなパーティを結成する必要がある。
浅い層ならばともかく、ある程度深い階層を単身で踏破するのは不可能だといわれていた。
しばらくは成行だけのソロでもいけるのだろうか、それだけではいつか壁にぶち当たることは確定しているので、今のうちから仲間を作るための布石を打っておく必要があった。
二日に渡る聞き取り調査が終わると、成行は一部の探索者たちの間で「〈スライム・キラー〉の鳴嶋成行」としてすっかり有名になっていた。
スライムなどという、ドロップ・アイテムをほとんど落とさない雑魚エネミーをわざわざ倒そうとする探索者はほとんど存在せず、滅多なことでは得られないスキルであるため、ネタ的な意味で話題性があったのだ。
そのおかげで成行はしばらくソロでいくことを余儀なくされた。
メンバーの募集をしているパーティに声をかけても、名乗るだけで門前払いをされるのだった。
イレギュラーの変異種スライムが落としたドロップ・アイテムについても、ここで説明しておく必要があるだろう。
イレギュラーを全滅したあとに、二十八個のドロップアイテムである結晶体が残されていた。
回収したそれらを提出された公社が成分分析を行うと、これまでに発見されたことがない、未知の分子構造を持つ物体であることが判明した。
そのような場合、本格的な報酬の支払いは十分な研究結果が終わり、その利用価値などが精査されたあとになる。
工業的な意味で利用価値のある試料となったら、発見者である探索者にも相応の謝礼が継続的に支払われることもある。逆に、新発見の物質でも学術的な価値しかない物質であった場合には、発見者である探索者には雀の涙ほどの謝礼金しか貰えない。
今の時点ではそのどちらになるのか判断がつかないので、あくまで未発見エネミーについての情報料金が公社の方から成行ら、あのときの戦闘に参加した者たちに支払われている。
十万円にも満たない金額であり、ベテランの探索者である引率者たちにしてみれば不満があるのかも知れなかったが、現在の成行にとっては十分な大金であるといえた。
その臨時収入で成行は服とグローブ、フェイスガード、分断された金属棒などを買い換え、新しいプロテクターも購入した。
最初に揃えたプロテクターはエネミーの返り血などで汚れきっていただけではなく、イレギュラーとの戦闘を経て、すでに見る影もなくボロボロになっている。成行自身もより確実に自分自身の身を守ることを優先していたので、予算の許す限り、より高い防御力を持つものに買い換えたのだ。
当面、組むべき相手もいなかったので、聞き取り調査が終わって迷宮入りが可能になってからも、成行はソロで迷宮に入った。
ソロであるがゆえに、成行の方法はかなり極端なものになってしまう。
これは成行自身、選択の余地がないためだっだ。
他のパーティメンバーがいないため、慎重の上にも慎重を期する必要がある。
当然、すぐには下の階層に進むことはできない。
たとえ効率が悪くとも、その階層に出現するエネミーを確実に、簡単にしとめるだけの実力を蓄えてから、はじめて次の階層に進むことにした。
成行は何日か一階層に留まり、〈コウモリの天敵〉と〈ネズミの難敵〉のスキルを〈コウモリ・キラー〉と〈ネズミ・キラー〉にまで育てた。
成行はまだ自分のパッシブ・スキルを確認することが可能なスキルを修得していなかったが、それら特定のエネミーを弱体化させるスキルについていえば、実際に対戦してみた感触でどこまで育ったのか、かなり確実に推測することができる。
その類のスキルがキラーまで育つと、成行の攻撃が掠めただけでも該当するエネミーは大破する。
文字通り、鎧袖一触の状態になるのだ。
そうなるともはや大量のエネミーに取り囲まれる暇もなく、エネミーに接触すると同時に撃破することが可能となった。
当然、入手できるドロップアイテムも極端に目減りして、成行の収入は数日だけ、一時的に激減した。
そういう状態になってから、成行ははじめて二階層へと進む。
二階層においても出没するエネミーは一階層と大差はなく、ただ、一階層には出没することがなかったエネミーとして新たにヒフキヘビとテッポウトカゲが出現するようになった。
ヒフキヘビは、動作は緩慢なものの口から二メートルほどの火炎を吹くエネミーで、テッポウトカゲは五メートル以上の遠距離から毒性を持った粘液を噴射する性質を持っている。
つまり、この二階層から飛び道具を持ったエネミーが出没するわけであり、こうしたエネミーに対して十分な対策を講じられるかどうかが初心者である探索者の明暗を分ける最初の難関とされている。
成行の場合は、実習で迷宮に入ったときにそうしたエネミーの実体を観察することができたし、ネット上の情報で予習もしていたので、当然のように対策を用意していた。
一階層でそれなりの割合でドロップする短剣を公社の窓口に提出せずにフクロに溜めておき、遠距離にいるエネミーに対してはそれを投じる。
短剣投げについては、迷宮に入ることを禁じられていた二日間のうちに、土手にむかって投げつけてそれなりに練習もしていた。
百発百中、とまではいかないが、五メートル以上離れた的であっても、十回投じたら六回から七回くらいは命中する程度にまで、短剣投げの技能をあげている。
静止した的と動くエネミーを相手にするのとではかなり勝手が違うのだろうが、それでも何度も短剣を投げつければ、どうにかエネミーに命中するはずであった。
すでに三種類のキラーを所持する成行は、一階層にも出没するハネネズミやシロコウモリなどは別に警戒する必要もないエネミーとなっている。
その分、精神的にも余裕を持って、この階層から出現するようになったエネミーにだけ注意をするようになった。
短剣投げの命中率が目に見えて向上する頃には、ヒフキヘビやテッポウトカゲに囲まれることもなくなる。
命中する確率だけではなく、攻撃があたったときのダメージが徐々に大きくなっていくのが実感できた。
例によって同じ種類のエネミーを大量の倒すことによって新たなスキルを獲得したらしい。
一階層から二階層に移るまで、成行は十四日間を要したが、二階層から三階層に移るのまでには、九日ほどしかかかっていない。
数人でパーティを組む他の探索者たちは、五階層までの低階層はせいぜい二、三日くらいで通過していくそうだから、それと比較すると随分とゆっくりなペースであったが、成行にしてみれば劇的な短縮に思えた。
このような感じで、成行はソロのまま、安全第一を一番の目標にかかげ、マイペースで迷宮を攻略していく。
他の探索者の何倍もの時間をかけて迷宮を進んでいくため、正直なところ、収入的にはかなり厳しかった。
宿泊費や食費などはともかく、成行の方法ではどうしても戦闘回数が多くなって、装備品の消耗、劣化が激しい。
特に服やグローブ、ブーツなどは、わずか数日で買い換えなければならないほどに傷だらけになった。
そうした探索者むけの装備はすべて特注品であり、地味に成行の財政事情を圧迫する。
より深い階層で獲得できるドロップアイテムほど買い取り金額も高額になる傾向があったので、少しでも早く先に進みたいという気持ちは常にあるのだが、自身の安全のことを考慮するともっと慎重に行動するという選択しかない。
成行はそうした矛盾を考えつつ、孤独なまま迷宮攻略を続けていた。
そうこうするうちに梅雨が来て、去り、灼熱と湿気が不快な季節に入る。
つまり夏休みの時期であり、迷宮でも成行と同じ年頃の新人探索者を見かけることが多くなった。
長い夏休みの間に、学生たちがバイトがわりに探索者として働くことは、決して珍しいことではない。
新品の装備品に身を包み、数人で固まって賑やかに談笑をする学生探索者の間を縫うようにして、傷だらけで汚れきった装備に身を包んだ成行は移動する。
「なにあれ?」
「あの人、ソロだってさ」
「もうすぐ登録してから五十日以上にもなるのに、まだ七階層あたりをうろうろしているって」
「ひょっとして、スライム・キラーってやつか?」
「そう、それ」
「なんだよ、スライム・キラーって?」
「それがね」
嘲笑。
移動の最中にそんな囁き声が追いかけてくることも珍しくはなかったが、成行は気にも止めないでいた。
迷宮から出たばかりであり、早くシャワーを浴びて着替えたかった。
全身汗にまみれていたし、なにより、迷宮の中に長時間居続けることは精神力を消耗させる。
「おい、あんた!」
速やかにシャワールーム目指して歩いていた成行は、不意に肩に手をおかれ、声をかけられた。
「あんた、スライム・キラーっていわれている人だろ?」
振り返ると、ゴツい体格をした二十前後の浅黒く日焼けした大男が成行を睨んでいる。
成行よりも目線が高く、腕も太いし胸板も分厚い。
だけど、鍛えるために鍛えただけで、あまり実用的な筋肉ではないな、と成行は思った。
「うん」
相手をするのが面倒くさいな、とか思いつつ、成行は答える。
「そうですが、なにか用ですか?」
「あんた、今、潜行時間がどれくらいになる?」
「もうすぐ五百時間を超えます」
「五百時間!
一日十時間以上、潜っているのかよ!」
「平均すると、そうなりますね」
大仰な声をあげる男にむかって、成行は平静な声で答えた。
「それだけの時間をかけて、今の階層は?」
「七階層を攻略中です」
「それだけの時間をかけて、まだ七階層かよ!」
大男はことさらに大きな声をあげた。
成行を侮辱したいという意図は理解できたが、正直なところ、どうでもよかった。
「用件は、それだけですか?」
そういって、成行は踵を返そうとする。
「ちょっと待てよ!」
大男は、また成行の肩を掴んだ。
「あんた、フクロ持ちだろ?
ちょうどいいや。
おれたちのパーティにはまだフクロ持ちがいないんだ。
あんた、おれたちのパーティに入って荷物持ちをやって……」
「お断りします」
成行はきっぱりと答える。
「おれにとって、まるでメリットがないんで」
その瞬間、大男の拳が成行の頬に炸裂する。
その場にいた誰もが、成行が吹き飛ばされる光景を想像していた。
なにしろその男は、体重でいえば成行の五割り増しほどはありそうな大男であった。
「お……お……」
しかし、苦痛に呻いてその場に崩れたのは、成行ではなくその大男だった。
大男は、拳を抱えて涙目になっている。
「それで全力ですか?」
うずくまった大男を冷静に見おろして、成行はいった。
「これでもエネミーを倒した数だけはそれなりなんで、体の方も全般に強化されているんですよ。
迷宮のすぐそば限定ですが、背筋や首のなんかも、普通の人の何十倍も頑丈になっているはずです」
さらにつけ加えていうのなら、常にソロで活動していた成行の場合、普通の探索者ならばパーティメンバーの人数で分割されるはずの経験値を独り占めしている計算になる。
同じくらいの潜行時間の探索者とは、比較にならないほどその肉体は強化されているはずであった。
大男の拳は、衝撃をやんわりと吸収してくれる人体ではなく、固いコンクリートの壁かなにかにむけて拳をぶつけたのと同じくらいのダメージを受けているはずだ。
「すぐに医者にいくか、ヒール持ちの方を探すことをお勧めします」
大男を見おろしながら、成行はいった。
それから周囲をゆっくりと見渡して、
「あと、この件については、あとで傷害で訴えてもいいですね?
なにしろ、これだけ大勢の証人がいるわけだし」
という。
何人かの若者たちが大男の体を抱えて、小走りにその場から去っていく。
無駄なことを、と、成行は思った。
迷宮の周辺は、公社が設置した防犯カメラで監視されている。
もちろん、成行は警察に連絡して大男を傷害で訴えるつもりだった。
せいぜい厳重注意か書類送検止まりかも知れないが、なにより、あんな思慮に欠けた者に自分の周辺をうろついて貰いたくない。
大男は公社から探索者登録を取り消されるだろうし、大男と行動をともにしながらあの愚行を止めようとしなかった同じパーティのメンバーも数日は迷宮に入れなくなるはずだった。
成行は、
「面倒だな」
と思いつつ、公社の窓口にいって先ほどの騒動について簡単に説明し、協力を要請した。
それから少し考えて、フクロから多々良根弁護士の名刺を取り出し、公衆電話を探して名刺に印刷されている番号に電話をした。
単身で警察に訴えるよりも、弁護士同伴でいったほうが進展が早いと判断したのだった。
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