02.主人公、探索者として仮登録をし、研修を受けること。

 多々良根弁護士は必要書類を不可知領域管理公社の窓口に提出し、そこで成行に、

「なにか問題が起きたら、名刺のところに連絡をください」

 といい残して去っていった。

「さあ、それでは残りの手続きを済ませてしまいましょうか」

 成行をここまでドナドナしてきたマッチョのひとりがそういって、白い歯を見せた。

 とはいえ、現在公社の人たちが手続き中であり、番号札を持って待っている意外にやるべきこともないのだが。

 窓口前のベンチに腰掛けながら、成行は周囲をざっと見渡した。

 まだ朝も早い時間だというのに、意外と人通りが多い。

 大部分はいかにも探索者然としたプロテクターなどを身につけた人たちなのだが、公社の制服を身につけた人ややスーツ姿の人もボチボチ居ないこともない。

 ちょうど迷宮に入る人が順番待ちをしている時間帯らしく、百人以上が整然と列を作っていた。

 驚いたことに、列を作っていた人々の中に占める女性の割合は、決して少なくはなかった。

 全体数の三分の一前後が、女性だろうか?

 そして、年齢はというとこれはかなりバラエティに富んでいる。

 ざっと目につく限りでも、背の高さが成行のせいぜい胸あたりまでしかない子どもから、どう見ても還暦過ぎにしか見えない老人の姿さえあった。

 一番多いのは、やはり二十代前後から五十代前半くらいの年齢層の人々であったが、

 成行は、探索者になるためには強靱な肉体が必須であると思いこんでいたのだが、どうやらそれは無知ゆえの先入観であったらしい。


「いいかい、鳴嶋くん」

 成行の視線の先を見て、NPOのマッチョのひとりが説明してくれる。

「フィジカルな要因は必ずしも必須ではない。

 むろん、強靱な肉体があった方がなにかと便利であることは確かなのだが。

 迷宮の中に出没するやつらを多く倒せば倒すほど、その探索者の能力は強化されるんだ」

 見かけだけでは、探索者の能力を推し量ることはできないよ、といわれた。


 やがて成行が持っていた札の番号が呼ばれ、成行は窓口にむかう。

「こちらの書類を持って、医療所にいって健康診断を受けてください。

 こちらは不可知領域探索行為の手引書になります。

 早めに目を通しておいてください」

 受付嬢にそういわれ、番号札と引き替えに書類と冊子を手渡される。

「医療所はこっちだよ、鳴嶋くん」

 NPOのマッチョ、泥江と名乗った男が成行の手首を掴んで引いていく。

 成行は素直にそのあとに続いてあるいた。


 健康診断は、学校で毎年受ける検診の内容とさして変わらなかった。

 学校の検診と違ったのは、四百ミリリットル分の採血と髪の毛を一房、採取されたくらいか。

 なんでも、不可知領域に入る前と入ったあととでDNAなどの生態情報にどの程度の変化が見られるか調査をするため、探索者に登録する者はこうした生体資料の提供が義務ずけられているとか説明された。

 健康診断が終わると、今度は体力測定の方に回される。

 プレハブのひとつが探索者むけのジムになっていて、そこで腹筋や腕立て、それに反復横飛びが連続で何回できるか、かなり詳しく計測された。

 引きこもって以来、まともに運動してこなかった成行はすぐにバテ、見るも無惨な成績しか残せなかったが。

「いや、なに。

 こういったデータは別に、ふるい落としに使われるわけでもないから」

 途中から世にも情けない表情になった成行の様子を見て、係員が声をかけてくれる。

「それに、そこのNPOの兄さんたちが連れてくる子は、だいたい似たような成績だし」


 健康診断と体力測定の係員から貰った書類を再度公社の窓口に提出し、再び番号札を渡される。

 また少し待つ間、再び成行は落ち着いて周囲を見渡した。

 時間が経過したからか探索者の列はなくなって、閑散とした印象を受けた。

 そこで成行は壁際の目立たない場所に立っていた制服姿の警官が自動小銃らしき物体を手にしていたことに気づき、目をむいた。

「まことに遺憾なことながら、探索者による強盗事件は何年かに一度くらいの頻度で起こるもものなんだよ」

 目ざとく成行の視線の先を察知した泥江が、簡単に説明してくれる。

「研修の際に詳しい説明を受けると思うが、探索者の能力強化は迷宮から離れると無効化される。

 だから、どうしたって逃げきれるわけはなんだがね」

 能力を強化され、あまつさえ各種スキルなどを所持した犯罪者に対抗するためには、取り締まる側も相応に強力な武装をする必要があるということだった。

「強盗って、この周辺に多額の現金をおいてある場所なんかあるんですか?」

「公社ではあまり多額の現金を扱っていないが、売店には高額なアイテムも扱っている。

 あとで案内するよ。

 それに、強盗以外にも、探索者同士のトラブルもそれなりに多い」

 そう聞いても、成行は特に感銘を受けなかった。

 詳しい状況を想像できるほど、探索者に関連する内情を知らなかったからだ。


 番号を呼ばれると、ようやく成行は探索者としての仮登録が終了した。

 窓口でICカードとそれを収めるリストバンド、それに公社が用意する初期装備品の引換所などを受け取る。

「このカードはIDカードといいます。

 探索者の身分証でもありますが、迷宮周辺の施設で使用できるデポジットカードも兼ねています。

 紛失や破損をした場合は速やかに公社まで連絡をしてください」

 受付嬢に、そう念を押された。

 探索の際に入手したアイテムは公社に預けて換金することが多いのだが、その際の代金もまずはこのカードに振り込まれるという。

 キャッシュカードも兼ねているわけだから、紛失したらすぐに使用停止手続きをしないと現金を引き出されてしまいかねない、ということであった。

「……じゃあ、今、このカードの残金はゼロなんですか?」

 成行は質問をする。

「仮登録の申し込みを受ける際に、三十万円をお預かりしています。

 手続き手数料、研修費用と貸与する初期装備の補償金、ロッカー使用料など諸々を差し引いた金額十五万円分がそのカードに入金されています」

 受付嬢は丁寧に説明してくれる。

 成行自身の登録に必要だった三十万円は、銀行振込で支払い済みだった。

「そのプールされている十五万円はくれぐれも慎重に使ってくれ」

 泥江が、横からを口を挟んでくる。

「食堂でも売店でも外の自販機もそのカードで支払いができる。

 だがまだデビューしていない君の場合、研修に必要な二週間とまだ迷宮になれていない期間にかけて、そのお金だけで生活をして行かなくてはならない。

 なにより、親御さんが最後に都合をつけてくださったお金だ」

 遣り繰りは慎重に、というわけだった。

「なくしたら大事だから、リストバンドの中に収納して常に身につけておくといい」

 泥江はそう忠告してくれた。

 成行は素直に、その忠告に従う。


 やはり泥江に案内をされて売店にむかう。

 売店は清潔で明るく、品揃えや雰囲気などもコンビニに近い感じだった。

 コンビニと大きく違うのは、無骨なプロテクターやヘルメット、それに武器などの専用売場がとなりに併設されていることだ。

 その装備品専用売場の窓口に、成行は公社の窓口で渡された引換券を差し出す。

「なんだ、また兄ちゃんか」

 呼んでいた新聞から目をあげた老人は、まず泥江の存在に気づいた。

「またヒッキーのお世話かい。

 ご苦労なこった」

 老人はそういって成行の方にむき直り、

「今日発行してもらったばかりのカードがあるだろう?

 そいつを、このリーダーにかざしてくれ」

 といった。

 成行がいわれたとおりに手首をリーダーに押し当てると、老人は一度店の奥へと引っ込み、すぐに荷物を抱えて戻ってくる。

「お前さんのサイズに合わせて持ってきたつもりだが、そこの試着室で確認してみてくれ。

 簡単な裾あげ程度ならば二、三十分待ってくれればここでもできる。

 それから、こちらのメットも被って見てくれ」

 初心者むけの衣服や装備品を公社が開発、大量生産して、比較的低廉な値段で売っているという。

「この服やメットも、しょっちゅう素材や繊維が改良されて質がよくなっていくからなあ。

 なにしろ命を預ける代物だ。

 多少くたびれてきたら、とっとと買い換えていくのが吉だな」

 迷宮でドロップした物質を解析した結果、そうした素材の改良は急ピッチで刷新されている、ということだった。

「それから、メットのここを見てみろ。

 わかりにくいが、ここにレンズがあるだろう?

 迷宮にはいると自動的に周囲の風景や物音を記録するようになっている」

 迷宮を出るとネット環境に自動接続して、録画したデータを公社のザーバに自動的に送る仕組みになっている、と説明された。

「新人さんは一律、登録のときに公社に補償金を納めているはずだが、その補償金はだいたいこのカメラのために使用されているもんだ」

 公社はそうした記録の蓄積から探索者たちをより安全にするためのノウハウを得ようとしている、といわれた。

 プロテクターやヘルメット、それに衣服などは消耗品として探索者の買い取りとなっているが、こうしたカメラはヘルメットの購入時に個々の探索者のIDを刻印された状態で貸与されている、そうだ。

「だがまあ、ぶっ壊れても外に出てくれば無償で新しいのと取り替えられるし、実質的は買い取りと変わらないんだがな」

 売店の老人は、そうつけ加えた。

 探検者一人につき常時ひとつのカメラを与えられるということで、あえて貸与という形を採用しているらしい。

 そんなことよりも成行は、探索者が装着している状態のヘルメットが大破するような事態もさほど珍しくはなさそうな老人の口振りの方が気になった。


 装備品を試着してサイズを合わせたあと、今度は武器を選択することになった。

「あんちゃん、剣道とかの経験はある方かい?」

「体育の授業で、何度か竹刀を振った程度です」

「見たまんまか。

 なら、刃がついたのは止しておいた方が無難だな。

 初心者だし、最初から高価な物を持たせても無駄になるだけだから……」

 老人が勧めてくれたのは、単純な金属製の棒だった。

 六角柱形で、長さは成行自身の背丈より少し長い程度。

「扱いになれてきたら、先に穂先のアタッチメントをつけて槍として使うこともできる」

 老人は、成行を慰めるような口調でそんなことをいった。

 探索者の仕事に関してロマンチックな幻想を抱いていない成行は、この金属の棒でも別に文句をいうつもりはなかった。

 それに老人がいうとおり、これだけ単純な構造の代物であると、どんな素人だってそれなりの扱いが可能であることも確かなのだ。

 要するに、攻撃する対象物を力任せにぶっ叩けばそれでよい。

「ちょっと外に出て振り回して、重さを確認してみな」

 成行は老人にいわれた通りのことを実行する。

「どうだい、調子は?」

 いっしょに店の前まで出てきた老人が、成行に声をかけた。

 調子、といわれても。

 と、成行はどう返答したものか、少し迷った。

「調子は、いいです」

 結局、そんないい方になったが。

 その棒は、見せかけよりもズシリと重たい感触だった。

「そいつを持って一日中歩き回りながら、ずっと振り回せそうかい?」

「……えっと、それは」

 成行は、答えに窮する。

「迷宮にはいるっていうことは、つまりはそういうことをやらなけりゃならないわけだ。

 やはりもう少し、軽めの物に変えた方がよさそうだな」


 手首に固定したIDカードをリーダーにかざして代金を支払い、服や装備品を購入する。

 かなりかさばる荷物を持つことになった。

「先にロッカールームに寄った方がいいみたいだね」

 そういって泥江は、成行をロッカールームへと案内する。

 プレハブ群の何棟かが、ロッカールームになっているという。

「IDカードに刻印されているロッカーを探すんだ。

 Mナンバーのロッカーはここから先のはずなんだか」

 プレハブの壁面には「M-********~********」、あるいは、「F-********~********」という文字がペイントされていた。

 ちなみに、Mはmale(男性)の、Fはfemale(女性)の頭文字から取っている。

 男性である成行は、当然MからはじまるIDナンバーを交付されていた。

「Mの……ああ、この建物ですね」

 成行はようやく該当するプレハブを探しあてた。

「そこの入り口の脇にあるリーダーにカードをかざして。

 IDカードが、プレハブとロッカーの鍵になっている」

 泥江は早口に説明した。

「出入りの状況は常時監視されているし、カードを持ってない者は入れないことになっている。

 中に入って自分の番号が入ったロッカーを探して、荷物を置いて出てきてくれ。

 IDカードを扉のリーダーにかざせば、鍵は開くはずだ」

 泥江にいわれた通りにプレハブの中に入り、自分のロッカーを探す。

 そのロッカーも、やはりリーダーにIDカードをかざすことで鍵が開いた。

 ロッカーは予想していたよりも大きくて頑丈そうで、中に成行自身が三人か四人入れるくらいの容量があった。

 持参した荷物をすべてロッカーの中に放り込んで、扉を閉める。

 自動で施錠され、そして度閉まったロッカーの扉は、成行ごときがいくら力を込めてもピクリともしなかった。

 ロッカーというより、実質、大きな金庫なのではないか、と、成行はそんなことを思う。

 セキュリティに関しては、かなりしっかりしているんだな、と成行は感心した。

 あとで泥江から、

「武器や装備品も、高価な物はとことん高価だからなあ。

 それに、あのロッカーに武器とか迷宮内から持ち出したアイテムとかを保管する場合もあるから、よほどのことがなければ第三者には開けられないように作られているだろう」

 という説明を受け、その印象が的外れではなかったことを成行は確認した。


 そのあと、泥江は成行を寮にまで案内してから、帰って行った。

「研修がはじまるのは明日からだけど、今日はこの環境に慣らして、体を休めておくように」

 去り際に、泥江はそんなことをいう。

「それから、ジムも積極的に利用した方がいい。

 専門知識があるトレーナーが常駐しているはずだし、相談は無料だ。

 今日の身体測定のデータも、そのIDカードに記録されているはずだ」

 なんにしても体が資本だからな、といい残して、泥江は去っていく。


 寮というのは要するに、ベッドひとつを一晩占有する権利を千八百円で売買する簡易宿泊所だった。

 二段ベッドがずらりと並んだ室内に入って、成行はそう悟る。

 安いといえば安いのだが、その分プライバシーもない。

 貴重品などはロッカールームを利用すればいいわけだから、体を横にできればそれでいいという発想なのだろう。

 それ以前に、普通の人なら橋を渡りさえすれば普通の町並みが広がっているのだから、成行のような訳ありでなければわざわざこんなところに宿泊しようなどとは思わないか。

 宿泊施設というよりも、ここは探索者むけの仮眠所に近いのではないかと成行は予想する。

「今は利用者もほとんど居ないんで、どこでも選び放題ですよ」

 案内してきた者が、成行にそう告げた。

「逆に、もっと安いところをお望みならば、青砥か新小岩まで出ればネカフェがいくつかありますし」 

「いや、ここでいいです」

 確かにネカフェの方がここよりも安く宿泊できるのだろうが、移動の手間を考えると面倒に思えた。

 第一、ネカフェの個室よりはベッドの方がまだしも疲れが取れるはずだ。

 成行は適当なベッドを選んでそこにナップザックを置き、カウンターに戻ってとりあえず二週間分の宿泊料金をIDカードで先払いした。

 そして自分のベッドに寝そべってナップザックを開け、公社の窓口で貰った小冊子をパラパラとめくって目を通す。

 なんのことはない。

 泥江に案内された程度の情報は、だいたいその冊子にも書かれていた。

 冊子を読むうちに、すぐ近くにコインシャワーもあることに気づいた。

「そういえば、着の身着のままで、自分のものがぜんぜんないんだよな」

 ぽつりと呟き、成行は体を起こす。

 売店にまで移動をし、当座の着替え、歯ブラシと歯磨き粉、タオル、ひげ剃り、ボールペンにキャンパスノートなどを購入した。

 そのあと、一度寮に帰って自分のベッドの上で買ったばかりの荷物を整理したあと、ナップザックにタオルだけを入れて再び外出する。

 泥江に忠告されたから、というわけではないのだが、迷宮に入るとなれば最後に物をいうのはやはり体力だろう。

 ジムにいくことにした。


「今日仮登録したばかりの新人か」

 ジムの受付にいくと、まず最初にそんなことをいわれた。

「まず、IDカードをそこにかざして」

 そういって、卓上のリーダーを指さす。

 成行がいわれた通りにすると、そこにいた中年男のトレーナーは手にしていたタブレットに視線を落として、

「……肉体年齢でいえば、四十代以上だな」

 などと呟く。

 体力測定の結果がIDカードに記載されていて、そのデータをタブレットに映して読んだらしい。

 成行は頬が熱くなるのを自覚したが、これまでの引きこもりをしていた間の不摂生がもたらした結果であるか自業自得というものだった。

「筋トレよりもストレッチからはじめた方がよさそうだ」

 トレーナーはそういうと成行を手招きし、

「これから、おれがやるとおりに真似してみて」

 といった。

 ジムの中で、トレーナーと正面からむき合う形となる。

「まず、肩のあげさげな」

 トレーナーの動作を真似て、成行も大きく両肩を上下させる。

 しばらくそうしてから、

「次は、その場で軽く跳ねる」

 はやり、動作を真似てピョンピョンとその場で跳んだ。

「体が暖まってきたら、これだ」

 トレーナーは手にしていたMPプレイヤーを操作して、成行に手渡した。

 イヤホンを耳に近づけると、聞き覚えのある軽快な音楽が聞こえてくる。

 ラジオ体操、だった。

「イヤホンを着けて、はやくそいつをやる」

 トレーナーは少し語気を強めた。

 成行はあたふたとイヤホンを装着して、MPプレイヤーの本体をジャージのポケットにいれる。

 そして、ぎこちない動作でラジオ体操をはじめた。

「もっと本気でやれ!」

「そこはもっと腰を反って!」

「腕が伸びきっていない!」

 しかし、トレーナーから何度も叱責され、フォームを直された。

 成行はすぐに、本気でやるラジオ体操が意外にハードな運動であることに気づく。

 これは、決して成行の運動不足に起因する思いこみだけではないはずだ。

 五分もしないうちに、気づけば全身汗だくになったが、それでもトレーナーは成行を休ませなかった。

「こいつもなかなか馬鹿にしたもんじゃないぞ。

 ラジオ体操とは、優れた動的ストレッチ運動だ。

 お前みたいな運動不足のやつは、まず体を十分にほぐしてからでないとな。

 いきなり慣れない運動をしたりしたら、体を痛めかねない」

 そんなことをいいながら、トレーナーは成行が完全にラジオ体操のフォームをマスターするまでつき合った。


「よし、もういいだろう」

 一時間以上、何度も何度もラジオ体操を繰り返したあげく、ようやくトレーナーはそんなことをいった。

「まだまだ仕上がりが甘いが、今日のところはここまでにしておこう」

 これで今日の分は終わりかと、成行は安堵したのだ。

「では次にやって貰うは……」

 しかし、トレーナーはすぐに次にやることを指示した。


「そう。

 軽く膝を曲げて。

 両腕を、幹が太い大樹を抱えるようなつもりであげて」

 トレーナーは、成行に奇妙なポーズをさせていた。

「うん。

 その格好だ。それを、よくおぼえておけ。

 そいつは立禅といってな。

 本当はそのまま瞑想するものだが、インナーマッスルを鍛える効果もある。

 間接部に無理な負担をかけないから、怪我をする心配もないしな。

 いきなり瞑想なんて高度なことをできるわけもないから、頭の中ではなにを考えていても構わない。

 その格好を、おれがいいというまで続ける」

 二分もしないうちに全身が震えはじめ、結局五分もしないうちに成行はその場で膝をつくことになる。

「最初はそんなもんか」

 トレーナーは手元のタブレットを見ながら冷淡な声を出した。

「別に恥じることはないぞ。

 ここでの目的は、迷宮でのお前さんの生存率をあげること。

 ここでなら、いくら無様でもかまわないんだ。

 では次は……」

 その後、スクワット、腕立て、腹筋を三セット繰り返し、最後にまたクールダウンのためのラジオ体操をやってようやく終了していいといわれた。

「明日以降も、できれば毎日、なんとか都合をつけて来いや」

 トレーナーはいった。

「お前さんの体は鈍りきっているが、まだまだ若いんだから少し刺激を与えればすぐに改善していくはずだ。

 これからちっちり鍛えていく方が身のため、迷宮での生存率があがるぜ」


 そのあと、成行はコインシャワーまで移動して汗を流し、寮に戻ってベッドに横に鳴るなり、すぐに寝入った。


 翌日の朝から、いよいよ探索者としての研修が開始される。

 成行は昨日購入したばかりの探索者用の服を着て、研修室にむかう。

 その服は一見すると少し生地が厚めの作業着にしか見えないのだが、その実、火や熱、強酸などに強い耐性を持つ優れものだそうで、例によっって迷宮産の物質を解析した結果、開発に成功したハイテク製品ということだった。

 その研修室にはすでに、成行と同年輩の八名の男女とか四十がらみのおっさん、おばさんたちが何名などがいて、結構騒がしかった。

 特に、成行と同年輩の連中がうるさい。

 漏れ聞こえてくる言葉から判断すると、どうもこの連中は大学のサークル活動で迷宮入りをするつもりらかった。

 そいつらの様子が中学時代に成行を虐めていた連中に似通っていたので、成行はなんとなくそいつらに軽い反発を感じる。

 すぐに講師が研修室に入ってきて、私語が止まって。

「ええ、わたしは河原崎といいます」

 その講師はよく通る声でいった。

「普段は大学で不可知領域、迷宮と通称される現象の歴史を調べたり教えたりしています。

 今日は、皆さんに不可知現象の歴史をざっと教えるようにといわれております。

 限られた時間ではありますが、駆け足ではなしていくことにしましょう。

 別に試験があるわけではありませんが、皆さんにとっても知っていてそんになる知識ではないのでしっかり聞いておいてください」


 不可知現象が最初に確認されたのは千九百四十六年、都内の某所であるといわれている。

「質問いいっすか?」

 大学生グループの中の一人が、手をあげて発言した。

「その最初の迷宮が発見されたの、皇居の中だって噂があるんすけど、それ、本当なんすか?」

「そういう噂は知っています。

 また、皇居内にも不可知領域が発生しているのも事実です」

 河原崎講師は冷静な声で答える。

「ですが、その皇居内に発生した不可知領域が最初に確認されたものなのかどうかまでは、正直よくわかりません。

 当時は戦後の混乱期にあたり、信頼に値する資料がほとんど残されていないからです。

 ですが、余談として挿話をひとつ紹介しておきますと、皇居内に不可知領域なる不可解な現象が発生したことを知った当時の天皇陛下は、宮内省の者を何名か引き連れてその中を調査しようとした、という噂が当時はまことしやかに囁かれたそうです。

 昭和天皇は生物学者としても一流のお方であり、旺盛な好奇心をお持ちの方でいらしたそうですから、個人的にはこの噂にもそれなりの信憑性はあると思っています」

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