第24話なろうのジャンル再編 ---Virtual Realiyとは---

 これは「小説家になろう ジャンル変更のお知らせ」(http://syosetu.com/teaser/genre/) を元にしている。

 まず「SF」ジャンルは、「VRゲーム」、「宇宙」、「科学」、「パニック」となっている。単純に、では、「マルチバース」、あるいは「オムニバース」を舞台としたものは「宇宙」になるのだろうか、それとも「科学」になるのだろうか。あるいは、ユニバースや、もっと規模が小さい恒星系や銀河系の崩壊は「宇宙」になるのだろうか、「科学」になるのだろうか、「パニック」になるのだろうか。

 つまり、SF(それが何であれ)であろうとSciFiであろうと、そのような分類はできないのだ。さらに言うなら、「VRゲーム」と「宇宙」は、ある種の「舞台」だと言えるだろう。対して「科学」は手法や知識である。「パニック」は、舞台でも手法でもなく、「起きていることの何か」である。つまり、このたった四っつの下位分類でさえ、分類の基準は場当たり的なものでしかない。

 さらに「VRゲーム」を見てみよう。現状「VRMMO」の類のタグがあるものは、「VRの世界に行っちゃった」というようなものである。では、それはVRなのだろうか。

 まずそもそも何が問題なのか。Virtual Realityには「仮想現実」という言葉が当てられる。ここからして実は間違っている。そうではない。「Virtual Reality」は「Virtually Real」なのだ。もし、そっちに行ったきりなら、あるいはほぼ行ったきりなら、それは「Virtually Real」ではない。こっちの世界を知っていようとどうだろうと、そっちの世界が「Real」になる。VR機器というガジェットが出ていようとどうだろうと、それは「異世界」や「転生」なのだ。その点において、「SF」ジャンルに「VRゲーム」という下位区分が入る余地はない。

 さらには「科学」の区分にスチームパンクが含まれていることにも注目しよう。ちゃんとしたスチームパンクなら、問題はない。「SciFiはどうやって生き残ったか」に「スチームパンクは古き良きSF(それが何であれ)に回帰している」と書いた。さらに言うなら、ファンタジーに回帰している。ならば、それらはSF(それが何であれ)や、SciFiだろうか。断じて違う。それらはあくまでファンタジーだ。


 あるいは「ファンタジー」を見てみよう。これは「ハイ・ファンタジー」と「ロー・ファンタジー」と下位区分がなされている。この時点で、やはり誤っている。「ハイ・ファンタジー」、「ファンタジー」、「ロー・ファンタジー」でなければならない。さらには、「ロー・ファンタジー」の「現実世界に近しい世界にファンタジー要素を取り入れた小説」というのも、まったくの見当違いだ。ここでの懸念は、「フェアリー・テール」、「メルヘン」、「おとぎ話」が「ロー・ファンタジー」に流れることだ。それらと「ロー・ファンタジー」はまったくの別物だ。そして、「フェアリー・テール」などは「童話」でもない。


 またジャンルに「ファンタジー」があるにもかかわらず、「恋愛」に「ファンタジー世界」があるのも矛盾している。その「ファンタジー世界」は「ハイ・ファンタジー」なの「ロー・ファンタジー」なのか。それすらも明らかではない。


 ジャンル分けは必要だろう。だが「必要だから何となくやる」のと、「文芸論などに基づいてやる」のとはまったく別物だ。もちろん「どうせきっちりとジャンルを分けきることなどできない」という意見もあろう。だが、それは「何となくやる」ことを正当化するものではない。


 そこでSciFiに戻る。あなたが書こうとしているSF(それが何であれ)やSciFiは、何なのだろうか。簡単に「このようなものだ」と言えるのなら、その作品に存在意義はない。簡単に言えるのなら、そこには理解があり、絶望はなく、冒険があり、葛藤があるだろう。つまりはよくある文字列だ。ならばそれはSF(それが何であれ)でも、SciFiでもない。システム上しかたないとはいえ、タグに「エセSF」と書くのを推奨する。


 あるいはこの例を出してみよう。志室幸太郎さまの「コロンシリーズ」に参加している私の作として、現在次の二つがある:

   A: -20000 (http://ncode.syosetu.com/n8679dc/)

   GIUSEPPE: 1387 (http://ncode.syosetu.com/n7302dd/)


 この二つを私は「SF」として登録している。もちろん、これからまた参加することがあるとしても、「SF」ジャンルとして登録する。

 GIUSEPPE: 1387は、資料に基づいたものであり、歴史ものとして登録しても問題ないと自負している。ブック・ハンターは実際にいたし、筆写本を作っていたし、筆耕室も資料どおりのものだ。歴史ものとしていけない理由があるだろうか。もしあなたが「そんな歴史はなかった」と言ったとしたら、私は自信を持って答える。「それはあなたが知らないだけだ」と。

 にもかかわらず、なぜ「SF」としているのか。それは「思想を持った集団」がその世界に存在するからだ。その思想こそがSciFi、あるいはSF(それが何であれ)らしさを生み出していると考えるからだ。

 舞台や条件やガジェットは作をSF(それが何であれ)にもSciFiにもしない。だが、それらをもとにジャンルやサブジャンルを命名することで、人々は安心する。命名によって、それが何なのかを知った気持になれるからだ。だが、作をSF(それが何であれ)やSciFiにするのは、作のどこかにある思想である。それは名付けられないものである。そして、命名によって安心したり安定しないことこそがSF(それが何であれ)であり、SciFiなのだ。

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