第23話どれくらいの知識が必要なのか
SF(それが何であれ)を書く際には、でっち上げ不思議科学、不思議技術を好きなように作って使えばいいでしょう。ですが、SciFi読みは、そのような設定が目に入った瞬間に書籍を放り投げます。飛行機に乗っていても、窓を叩き割ってでも捨てたい衝動にかられます。そして困ったことに、99%のSF(それが何であれ)は、売っているものもなろうでも、そういうものです。「不思議技術を出しとけばSF(それが何であれ)だろう」という勘違いか、読者を馬鹿にしているか、書き手の知識の不足によるものです。そして、それは「どこまで知っていないといけないか」であるとか、「どこまで科学は解明しているのか」という基準を知らないために起こる喜劇です。
「SciFiを書くなら博士号を取れ」とか「作者は天才であらねばならない」とか書きました。では、実際にはどれくらいの知識と理解が必要なのでしょうか。この基準を言葉で言うのは簡単です。「何についてであれ、小学校高学年にたとえ話で理解させられる程度」です。ちょっと意外に思われたでしょうか。「そんなもんでいいの?」と思われたでしょうか。これを「そんなもん」と思うなら、たぶんあなたの理解はまったく必要な状態に到達していません。
専門的な事柄を、専門的に説明するのは簡単です。数式そのものを使ったって、それならできます。ですが、小学生を相手にそれをやるには、だいたい難しいものとなります。まぁ、難しいというのもあるし、最初のところから説明するという面倒臭さもあります。そこをなしにして、かつ少なくとも間違っていない説明をするというのは結構大変です。あぁ、説明の対象もニュートン力学には收まらず、量子論とかクオークとかヒッグス場とか電磁気学とか情報系の理論とか、微積分とかそういうの。小学生相手にそんなのの説明をするのは無理だと思われるかもしれません。ですが充分に可能です。説明する側に充分な知識と理解があれば。説明を受けた側の小学生が、より正確な知識を得るのは大学生になってからでもかまいません。理系には「あとから理論的背景に戻る」ということがよくあります。というのも、理論的背景の方が面倒だったりするからです。ただし、理論的背景にいずれ戻ることを前提としても、たとえ話が間違っていてはいけません。当の小学生とかを混乱させるだけですから。
「充分に理解している人は、こなれた説明ができる」という話を聞いたことがあるかと思います。ここで書いているのは、つまりはそういうことです。さらには、いろいろな知識は関連しています。それらの関連も含めて、たとえ話ができること。それが、SciFiを読む、SciFiを書く際の知識と理解の基準です。その水準に達っしていなければ、ごまかしのSF(それが何であれ)しか読めませんし、書けません。
ところで、wikipediaは便利ですね。ですが、少なくともSF(それが何であれ)やSciFiを読んだり書いたりする際の資料とし使うのには不充分です。というのも知識や理解は体系化されてこそ意味をなすからです。wikipediaは使えないというのは、書いている人や編集している人の問題ももしかしたらあるのかもしれませんが、百科事典という形式による制限でもあります。
このようなことを書くと「たかがSF(それが何であれ)やSciFiを読んだり書いたりするのに、どこまで要求するのか」と思われるかもしれません。その答えは簡単です。「どこまでも」必要なのです。
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