第18話何がSciFiなのか
ヴェルヌを「やはりSciFiだ」と言うなら、先のように「われら」なども「やはり風刺小説だ」と言わなければならない。それは、「それらが、いま、どのように読まれるか」の問題ではなく、「それらはそもそもとしてなんだったのか、なんであるのか」の問題だ。
どのような視点でそれらを見るかは、時々によって違う。当たり前だ。それらをどのような視点で見るのかを決めるのは私だからだ。
同じように、書店や図書館の棚にある作のどれがSciFiであるかを決めるのは、私だ。出版社やレーベルが「これはSciFiです」と言ったら、それを信じるのか。信じない。決めるのは私だ。作家が「これはSciFiです」と言ったら、それを信じるのか。信じない。決めるのは私だ。誰かが「これはSciFiです」と言ったら、それを信じるのか。信じない。決めるのは私だ。
だから、あなたが何をSciFiと思うのかは、私には決められない。
「そう逃げるか」とも思うだろう。もちろん、そう逃げる。だが、そこには条件がある。
あなたが、それを決められるなら
だ。
当たり前だ。「レーベルがそう言ってるから」、「作者がそう言ってるから」、「誰かがそう言ってるから」という話に、なぜ私が賛同しなければならないのだろう。
もし、ある程度あなたと付き合いがあり、あなたがどのようなものをSciFiだと言うのかを知っていたとしよう。その時にあなたが「これはSciFiだと」言ったとしよう。その場合、その言葉にある程度信を置くかもしれない。だが、それは「あなたが言ったから」ではない。「あなたが、どういう作品をどのように読み、どのように考えるのか」を私が少しなりとも知っているだろうからだ。
こんなのは、「これはSciFiだ」と言うかどうかという時の話ではない。「これは面白いよ」とあなたが薦めてきたとしよう。どんなジャンルだろうとだ。あなたが何を面白いと思うのかを知らないのに、「これは面白いよ」という言葉から、「面白いのであらねばならぬ」としてそれを読む人がいるだろうか。いるわけがない。
問題はそこだ。あなたは何かによって、それを面白いと感じた。それは出版社やレーベルが「面白い」と言ったからだろうか。作者が「面白い」と言ったからだろうか。誰かが「面白い」と言ったからだろうか。違うだろう。自分で「面白い」と思ったからだ。では、なぜ「これはSciFiだ」を自分で決めてはいけないのだろう。なぜ、出版社でもレーベルでも作者でも、あるいはそのほかの誰であっても、「これはSciFiだ」と言ったからという理由で、あなたも「それはSciFiだ」と決めなければならないのだろう。
誰かが「これはSciFiだ」と言ったからという理由で、あなたも「それはSciFiだ」と言う理由は、何があるだろう。もちろん、ある。
あなたが、それを決められない
からだ。つまり、
あなたが、SciFiを知らない
からだ。知らないなら、決められようもない。「誰かがそう言ったなら、そうなのだろう」と思うしかない。だが、決められないなら、読んで、観て、決められるようになってもらうほかはない。
もし「ジャンルというものが作品に先んじて存在している」と思うなら、これらは意味がわからないかもしれない。だが、各々の「これはSciFiだ」に基づいて、SciFiは存在する。もちろん、それは各々の「これはSciFiだ」の総和ではありえない。
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