第15話SciFiはどうやって生き残ったか
ヴェルヌとウェルズの時代、SciFiはそのようなものとして読まれ、ジャンルが開拓されました。
その直後、SF(それが何であれ)が現われ、それがSciFiと思われた時代がありました。
偉大なるヒューゴーとキャンベルは、それに対して「それってどうなの?」と言い、SciFiはSciFiとして蘇えりました。
しかし、それによってこそSciFiは先鋭化し、人々の望むものから離れてしまいました。
ですが、生き残っていた古き良きSF(それが何であれ)や、ラノベなどにいくらかはSciFiの精神が含まれたことや、読者と向き合うSciFiによって、SciFiは命脈を保ち、現在に至っています。
このようにSciFiは二度、絶命の危機に瀕しました。「SFってなんなんだろう?」のどれかで書きましたが、偉大なるヒューゴーとキャンベルが「それってどうなの?」と言えたのも、SF(それが何であれ)による収益があったからこそかもしれません。
そうやって見てみると、SciFiとSF(それが何であれ)は、奇妙な関係にあることがわかります。つまり、多くの人が求めているのはSF(それが何であれ)であり、SciFiはSF(それが何であれ)に息の根を止められかけるとともに救われてもいるのです。
つまり、はっきり言えばこうなります:
猿が人間の営みを支えている
猿の皆さんに感謝します。大いに感謝します。(拍手!)
それはそれとしてヴェルヌとウェルズ以降ですが、問題は先鋭化です。大きくは二つあり、面倒臭い理屈をこねるか、サブジャンルの開拓です。
理屈をこねる方向から片付けましょう。物理、化学、数学、哲学とかを前提とするようなものです。皆さんが嫌いなSciFiを思い浮かべてもらえば、そういうものでしょう。こちらは、素直にSciFiの衰退に繋がりました。
サブジャンルの開拓ですが、アジモフの「ロボットとは何者なのか」を書き続けたのもありますが、ここではサイバーパンクとスチームパンクを見てみます。
サイバーパンクは、もはやSciFiでもSF(それが何であれ)でも、わざわざサイバーパンクとは言われないほどになっています。もっともパンクのあたりが随分穏かにはなっていますが。
またスチームパンクですが、これの歴史はちょっと面倒です。ヴェルヌとウェルズ、とくにヴェルヌの方ですが、その作品は「現在ではスチームパンクである」と言えてしまうかもしれません。そうも言えるかもしれませんが、とりあえずここではそれは置いておきます。すると次にはAD&Dのサプリメントである「Spelljammer」と「Space: 1889」(GDW, 1988)があり、ちょっと遅れてギブスン&スターリングの「ディファレンス・エンジン」があります。こういうのを見ると、時期が重なっていて、どれがオリジンなのかとは言えないことがたまにあります。
まぁ「Spelljammer」は、宇宙船はあるけどあくまでファンタジーだとしましょう。「Space: 1889」の方は少し問題が面倒です。バローズの「火星のプリンセス」とかの雰囲気が入っていますが、一応宇宙船があったり。そこに「ディファレンス・エンジン」が入ったことで、状況が複雑になります。
SciFi読みから見れば、スチームパンクとは「ディファレンス・エンジン」が参照されるものでしょう。では、現在、普通に「スチームパンク」と言った場合、どのようなものと理解されているでしょうか。適当に検索してみてください。画像検索も見てみらうといいかもしれません。すると、それは「Space: 1889」の世界観に近いものになっています。TRPGなのに! 売れてないのに! ということは、「Space: 1889」の影響があるにしても、おそらくはそれは直接的なものではないはずです。にもかかわらず、なぜそんなことになっているのでしょうか。結局はわかりやすさの問題でしょう。つまり、現在スチームパンクとして一般に参照されているのは、結局のところ「火星のプリンセス」とか、当時のSF(それが何であれ)なのだろうと思います。「ディファレンス・エンジン」と「Space: 1889」によって、蒸気と歯車のイメージが付け加えられているものの、古き良きSF(それが何であれ)がスチームパンクという装いを得たわけです。ついでに書くと、検索すると「Spelljammer」風のものも入ってたりします。これは「Spelljammer」から直接来ているとは考えにくいため、結果として「Spelljammer」に似た雰囲気にも到達したか、たまたま「Spelljammer」を知っていた人が懐古的に、そっちにまで拡大しようとしたのかでしょう。
SciFiはどうやって生き残ったかを考える際、サブジャンルの開拓期における作品のイメージと、それが定着した時期におけるイメージの差を考える必要があります。この二つのイメージは、だいたいにおいて全く別物です。開拓期に提示されたイメージが、解釈され翻訳され、定着したものになります。問題はもちろん開拓期のイメージです。それは見たことがないイメージです。多くの人にとって理解困難です。開拓期の作を誰かが評した言葉が現われますが、だいたいにおいてその時点で既にまったく作を誤解したものになっています。そして、その評をさらに誤解して、その次の、そしてさらにその次の解釈が生まれます。ここにおいて、開拓期に提示されたイメージは、猿にも、おっと失礼、多くの人に理解可能なイメージとして定着します。一周して、元々のイメージに戻るというのは見たことがありません。アジモフのロボットものが、かろうじて一周まわりかけているかもしれません。
さて、SciFiはどうやって生き残ったのかの片方は、これでわかるかと思います。つまり、猿に、おっと失礼、人々に見たことがなかったイメージを提供し続けたからです。そして、「馬鹿にもギリギリ、理解できたと思わせる」ものであったからです。商業に乗る場合、どうしても猿を通るため、その条件はだいたいにおいて満たされます。たまにそうでないものが現われますが。商業でない場合なら、そんなことを気にする必要はありません。
こちらの生き残った方法を取るSciFiであるには、猿が、おっと失礼、多くの人が見たことがないものを見せるものでなければなりません。あなたの頭にSciFi、あるいはSF(それが何であれ)として思い浮かぶものは、猿の、おっと失礼、人々の頭のどこかに既にあるイメージです。SciFiを書くならば、それは「まず最初に捨てるもの」であるはずです。
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