第14話SciFiに葛藤は存在しない

 小説に限らず演劇でも映画でも、およそストーリーがあるものにおいては「葛藤コンフリクトの提示」と「葛藤コンフリクトの解決」が存在するものとされています。「エッセイ3」(http://ncode.syosetu.com/n9102cz/) の「物語を作ることを考える」に挙げたプロップのファンクションの説明を読んでもらうとわかるかと思います。プロップのファンクションは現代的な、物語の分析の超基礎になっているものです。これ以前に遡ろうとすると、大昔のギリシアに戻っちゃいますね。日本だと「風姿花伝」に戻ってもいいですけど。

 プロップのファンクションは旧ロシアの魔法昔話、100話ほどを分析した結果です。「旧ロシアの魔法昔話か」と言うなかれ。ハリウッド映画を観て、プロップのファンクションで分析してみてください。これが結構分析できます。まぁ、これはちょっとズルな話ではありますが。それではあっても「旧ロシアの魔法昔話か」で済ませていいものではないことは言えるでしょう。

 これの予備部分を除いた出だしは、「加害」、あるいは「欠如」です。これが、解決の対象となる葛藤に相当します。葛藤の提示から解決までの過程は、概ね冒険になります。

 さて、では「SciFiに葛藤は存在しない」と題しているのはなぜかの説明に入ります。どういう物語であろうと、その登場人物の周りには空気が存在するでしょう。雰囲気という意味での空気ではなく、窒素、酸素、二酸化炭素などからなる空気です。これは物語が始まる前も、終ってからも存在します。宇宙船から空気が漏れるという物語でないかぎりは。

 SciFiにおける葛藤コンフリクト、あるいは問いとはそのようなものです。解決するのであれば、それはSciFi以外の何かに成り下がってしまいます。

 「成り下がる」という言葉に何かしら反応する人がいるかもしれません。

 偏見込みで、推理小説(あるいはドラマでも映画でも)を例に挙げましょう。犯人が捕まり、物語が終るでしょう。はっきり言ってクソです。犯人が捕まったことで読者はカタルシスを得るかもしれません。推理小説以外のものでも、葛藤コンフリクトが解決したことでカタルシスを得るかもしれません。はっきり言ってクソです。問題が解決する物語は、すべてクソです。

 なぜクソなのでしょうか。それは解決することがわかっているからです。著者がペンをとろうと思った瞬間に、もうその物語は終っているからです。あとは、どれだけ読者を馬鹿にするか、あるいは読者の猿ベースの脳機能が満足するかという話だけだからです。

 先にボドゥの「根本的な違和感」という言葉を引きました。それは解決するものでしょうか。それは発生し、消えるものでしょうか。そうではないからこそ、少なくとも文芸論あたりの言葉としての「葛藤」はSciFiには存在しえないのです。

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