あいつと私

久遠寺くおん

第1話 

 卒業式を明日に控えた我が天文学部一向は気紛れとばかりに夜の海に足を運んで、けれど三月の夜は未だに寒く、結局いつものように駄弁るだけ。

 そんな中でロケット花火を手持ちで発射させる馬鹿二名の声が、さざなみの音色を押し返していた。





 一回海に沈めてやろうかと眉間に皺を寄せてみたりしながら、色々な焦燥を押し流す為に、私はホットコーヒーが入ったコップに口をつけた。甘くて、苦い、それはきっと恋の味。

 砂に書いた『恋』という文字を足でそっと消して、十八年来の付き合いになる幼馴染みを迎え撃つべく顔を上げる。




「元気ないじゃん」


 屈託のない笑顔から覗く、真っ白い歯。オマエは芸能人かとツッコミたいのだけれど、向けられた微笑に言葉が融解してしまう。

 私の隣に腰を下ろした彼は鼻歌と共に夜空を見上げている。




「寒い、眠い、うるさい」


「イイじゃん。青春しているみたいで」


「セイシュンですか」


 ナニソレ食べれるの? と首を傾げる。困ったことに、半年前まで私はその青春とやらを謳歌していた。

 それはもう、ハシャギ過ぎだと言わんばかりに。でも、終わりは夏のようにあまりに呆気なくて。結構本気で死のうかと考えてみたり、けれども結局そこまで病めなくて。ああ、私は別にそこまでコイツのことは好きじゃなかったんだ、と誤魔化しながら過ごしていたら、気がつけば明日は卒業式で。





 ありきたりだけれど、コイツは東京の大学に。私は地元で就職と――ツマラナイ大人の階段はあと一歩で頂上に辿り着く。

 この期に及んでネバーランドに旅立ちたいと願っている私は重度のピーターパンシンドロームだ。




 けれども、見上げた星空はあまりに窮屈で、ネバーランドは見つけられそうにない。

 くそう、と唇を噛んで嘆息。二度とあの頃には戻れないのだ。そう考えると、自然と涙がこみあげてきた。望んでもいないのに、私たちはどうしようもなく大人になっていく。




「えー、泣かれても困るんですけど」


 薄情な我が幼馴染みは苦笑するだけで、抱きしめたり、キスをしたり、そんな気は回らないらしい。

 それもそうか――なんて泣きながらも冷静な私は案外、計算高い女なのかもしれない。そんな自己嫌悪に陥ること三十五秒。彼の肩越しに、彼が好きで、彼を好きな女の子を一瞥する。



 綺麗な亜麻色の髪の毛と、垂れ目がちの愛くるしい顔立ち。

 このコーヒーだって彼女が気を利かせて持ってきたもので、花火セットを持参した私とは偉い違いだ。





「彼女があんたのこと見てる。行ってあげなさいよ」


「あん? おお、あれはキスしてくれのサインですな」


「ナンテ破廉恥な。そんなことしてたら子供ができちゃうんだからね」


「女の子がいいなー」


 そう言って彼は遠い目を真っ黒い海に据える。その未来に私はいない。

 そりゃあそうだ。彼と彼女はラブラブなのだから。クラス公認の爽やかカップルとして、卒業文集にランクインするに違いない。




 一方私はそんな二人を妬む意地悪な女なのです。

 少女漫画に登場する性格の悪いアレだ。御伽噺なら意地の悪い魔女かもしれない。カーディガンの袖で涙を拭って、私は立ち上がる。




「帰る」


「うん? もう?」


「明日も打ち上げがあるんでしょ? だったらそれで充分。女の子は朝も色々と忙しいのよ。早く寝て、早く起きるのデス」









 卒業式は滞りなく終わって、最後のHRも五分前に終了。正門前は卒業生とその保護者で賑わい、ナンダカ憂鬱を助長させてくれる。

 殆ど無意識で探してしまう彼の姿は、長年の経験のお陰か直ぐに見つかる。




 学生服の胸元に添えられた赤い花を照れくさそうにイジル彼は、両親と談笑中。

 その隣に件の彼女が付いていて、私の醜い心がギュッと痛んだ。同じ大学に進学するのだという。近々同棲でも始めるのだろう。今や二人は親公認の仲だ。





 私と違って料理もできるし、礼儀作法もバッチリ。オマケに日本有数の偏差値を誇る大学に揃って現役合格。

 ナンデスカ、この完璧超人は。相手にするのが馬鹿馬鹿らしくなってしまう。そう、私は敗走した女。



 まあ、仕方がないのです。彼と彼女をくっつけたのは他でもない私なのだから。

 彼女が告白するのを、隣の教室で聞いていたのだから。




 恋愛ドラマよろしく「ちょっと待ったぁ!」と駆け込めばよかったのに。

 負けるとわかっていても、惨めだと知っていながらも。




 そんな風に睥睨を続ける私の肩を誰かが叩いた。振り向けばそこには昨日のロケット花火馬鹿がいて。

 柄にもなく頬を赤らめている。この展開はアレデショウ。告白デスカ。




 案の定、ロケット花火馬鹿は愛を囁いた。途端、周りから上がった歓声に私はこれでもかとおメメを大きくする。なんていうか、絶望的。

 ふと見た彼も拍手をしていて、オマケに私のパパとママまで衆人環視の中に混ざっている始末。




 殴ってやろうかと瞼を閉じた私の手首を握って、引っ張る花火馬鹿。連れられたのは、ベタにも校舎裏。

 桜色の花弁が舞い散る、粋な空間。体育倉庫の鉄扉に寄りかかりながら頬を掻く馬鹿花火は「どう?」と尋ねてくるのだった。




 どうも何も、好きではない。きっと私はこうやって卑屈に歳を取って、ひとりきりで最期を迎えるんだろうなぁと暗澹な気分に陥る。

 そんな私の態度から察したのだろう。花火馬鹿は「そっか」と呟いて微笑んだ。




 清々しい笑顔で――自分だけ、勝手に満足して。私に複雑な感情を押し付けて。

 男なんて大嫌いだ。デリカシーがなくて、自分勝手で、ガキで、臭くて、人を勝手に振り回す。




「いまどんな気分? 勇気を振り絞って言葉を作って、それでも断られちゃう気分っていうのはどんな感じなの?」


「ひっでぇ。鬼畜にも程がある」


 なんて言いながらも彼は相好を崩して「うーん」と唸り始める。




「当たって砕けた武士な気分」


「わからん」


「転ぶなら前のめりにってね」


「はっはっは。だっさー」


 そんな私にはけれど花火馬鹿を笑う資格はないわけで。

 だって私は踏み出そうともしなかった。だから転ぶことさえもできなかった。




「好きなんでしょ? アイツのことが」


 花火馬鹿は唐突にマジメな顔を作って言う。

 私はそんな彼の鼻頭にできたニキビを見ていた。


「――どうだかね」


「好きなら、好きだっていいなよ」


「当たって砕けるのはちょっと遠慮したいかな」


 これでもプライドだけは一丁前に高いのである。

 そんなみっともないマネは他の誰かが許しても、私が許さない。




「それならオマエは多分、アイツのこと好きじゃないんだと思う」


「そうかもしれない。今は迷走中なんだ」


 私は誰かを好きになった経験が他にないから、判断ができないのだ。

 でも彼の隣にいつまでもいたい。彼の笑顔を遠くで見ている自分がどうしようもなく嫌いだ。




 アイツはあの子と結婚するのだろう。気が早くて、中学生みたいだけれど、私はそう確信している。

 幸せな家庭を築いて――そして私は過去になる。





 毎年一緒に花火を見上げていたこととか、家出して秘密基地で一夜を過ごしたこととか。

 私たちの全てが、タダの想い出になっていく。




 大人っていうのはそういう生き物だ。利口で、自分を顧みないで、どうしようもなく大人で、自分の感情さえ素直に口にできなくなっていく。

 ああ、なんて残酷なのでしょう。




「――嫌だなぁ、ソレ」


 浮かんできたのは涙ではなく苦笑で。

 こんなときに泣けない自分はとことん捻くれているなーっと客観的に観測して。




 彼にとって私が想い出になるように、私にとっての彼も、今日を過ぎたら想い出になってしまう。

 きっと疎遠になる。だって東京だ。新幹線で一本とはいえ、一秒とかからずに声が届くとはいえ、その物理的な距離は大きい。




 絶望的ともいえる四百キロ。心の距離なんて関係がないんだ。




「ああ、そっか……」


 嫌なんだ。アイツと離れてしまうことが。過去に変わってしまうことが。

 アイツをただの想い出にしてしまうことが、たまらなく嫌なんだ。




 私にも彼氏ができて、彼にも彼女がいて。そういう未来がいつか絶対に訪れる。

 それはもう確定事項で。でもきっと、このままでは私は大人の階段を上りきれない。踏み外して、ガラスの靴までなくしてしまうのだと思う。彼との想い出まで、濁ってしまう気がして。




「花火馬鹿」


 殆ど反射的にそんなことを口走っていた。



「え? それ俺?」


「私はあんたのことが結構、嫌いだった」


「エー」


「でもきっと、打ち上げのときは砕け散ったあとだから、慰めの言葉をよろしくお願いします」


 そして私は走り出した。脳裏を流れる走馬灯――あれ、走馬灯? 彼と過ごした日々が車窓から眺める景色のように流れ去っていく。

 バレンタインデーにはお決まりの鉛筆チョコを上げていたり。

 今年はそれが渡せなかったこととか。

 クリマスにはプレゼント交換したり。

 真冬だっていうのに自転車の二人乗りで隣町の海に行ったり。

 二人で歩いた河川敷とか、一緒にカブトムシを探しにいったあの山とか。




 そういったアイツとの日常が、楽しかった。




 彼女に告白されたことを報告してきたり、デートの練習だといって町中を歩き回されたり、私の知らない笑顔を彼女に見せたり。

 何度殴ってやろうかと思ったかもう忘れてしまったけれど、これだけは断言できる。私は、アイツが大好きだった。世界中の誰よりも、愛していた。





 だから――私は彼の姿を探す。およそ一秒。

 アイツの黒髪を視界が捉えて、酸素を肺いっぱいに吸い込んで声を出す、その一瞬。アイツが振り向いて、互いに視線が交錯した。





 ああ……、と取り込んだはずの空気はどこからか抜けていく。

 その瞬間、全てを悟った気がした。錯覚なのかもしれない。いや、十中八九ただの妄想だ。でもわかってしまったのだ。




 アイツは私のことが好きなのだと。思い上がりも甚だしいけれど、そう思ってしまったのだ。




 アイツは私が好きで、私もアイツが好きで。

 でも同じくらい、いや、それ以上に、彼女が好きなのだろう。


 私たちは変わってしまった。変わらずには、いられなかった。



「――ねぇ?」


 アイツを呼ぶのに名前は必要ない。

 阿吽の呼吸というかテレパシーというか、以心伝心というか。そういった非科学的なもので私たちは繋がっている。




「どうしたー?」


 全てを理解したような顔で、彼は今日も微笑む。

 相変わらずの屈託のない笑顔で。私の胸を締め付ける。




「あんたと一緒にいるの、嫌いじゃなかったデス」


「ソウデスカ」


「ソウデスヨー」


「俺も、嫌いじゃなかったよ」


「それじゃあ、また何年後かに、笑い話でも。お幸せにね」


 数時間後には顔を合わせるのだけれども、きっとこうやって言葉を交わすのは、また何年後かの話になるのだろう。

 そのときお互いに笑い合えたらいいなって思う。




 こうして私は大人になっていく。けれども大人の階段を上りきるにはまだまだ時間がかかるみたいだ。

 溢れた涙と傷む胸を抑えて、私は歩き出す。




 その道の先が、またアイツの道と交わっていたらいいな、と微笑みながら。 

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あいつと私 久遠寺くおん @kuon1075

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