火炎使いの罠
その日の練習は、会場下見も兼ねて、町役場の駐車場に仮設した野外テントで行いましたね。
普通に考えれば、前日にあんな思いをすればもう行きたくなくなるものですが、不思議と抵抗はありませんでした。あのときの気持ちも、理子さんに初めて会った時と同じくらい、言い表す言葉が見つかりません。
ただひとつ、説明ができるとすれば、それは豹真への意地でしょう。逃げたと思われるのは、シャクに障りました。
さて、朝早くからとはいえ、人の行き来も結構あるところで祝詞を上げるのは気恥ずかしいものでした。町内会長さんをはじめとする大人たちのテンションもかなり高く、役場を訪れる人たちとの間に交わす挨拶には、どうしても僕たちが巻き込まれます。
来る人来る人、「がんばってね」と声を掛けてくるのにいちいち答えるの、面倒じゃありませんでしたか、理子さんは。
正直、僕の目にはあなたがたいへん不機嫌そうに見えました。当然だろう、とその時は思いました。この町から出て、偏差値ランクの高い学校に通って、それからもっと先へ行きたいあなたとしては、たかが田舎町の神楽になどつきあってはいられないはずです。
特に、絶対に上手く言えない僕の祝詞などには。
雷を起こすまいとすれば、どうしても「なんじ」はまともに発音できません。最も影響の小さい形で読み上げなければならないので、ダメ出しは避けられないのです。
前の日と同じところでつっかえることで、理子さんも大人たちも相当イラついているのは分かりました。
練習を滞らせているのはもうしわけないので、僕も対策を考えました
始めさもらへ、始めさもらへ、日御子の宣らしたまふや、ぬし……
なんとかごまかせないかと、「汝」を、同じ2人称の「ぬし」に置き換えてみましたが、それは認められませんでした。
特にこだわったのは、理子さん、あなたでしたね。
別に責めているのではありません。当然のことです。
「まじめにやってくれませんか、檜皮さん」
はじめて名前で呼んでもらえて、なんだかくすぐったい気持ちがしましたが、理子さんの言葉は辛辣で、心が折れました。正直。
「遊んでるんじゃないんです、私も、町内会の人たちも。そんなところでわざとふざけるなんて、小学生男子のすることです」
ひとこと多いな、と思いましたが、そこは黙っていました。代わりに町内会長さんがなだめてくれましたよね。
「そこはほれ、男の子やし、大目に見たってくれよ」
全然フォローになってないのですが、僕は素直に感謝しました。心の中で。
しかし理子さんは、大人相手にきっぱり言ったものです。
「朝早くから、お店やなんかお忙しいのに、ありがとうございます。でも、私の場合は頼まれたのではありませんし、自分で名乗り出たわけでもありません。あくまでも母が申し入れたことです。行事ではありますし、母の立ってのお願いでもありますので、お役目は果たします。でも、それならそれなりのことをしたいと思っておりますので、宜しくお願いします」
だいたい、こんな感じだったかと思います。
僕は呆然と見てましたし、大人も唖然としていました。
やがて、練習は再開されましたが、やっぱり僕は「なんじ」をはっきり言うことができません。言葉も、できる限り差し替えてみました。
始めさもらへ、始めさもらへ、日御子の宣らしたまふや、なれ……
始めさもらへ、始めさもらへ、日御子の宣らしたまふや、うぬ……
しかし、どれだけやってもダメを出され、大人たちは露骨にうんざりした顔で僕を眺め、理子さんは溜息を吐き続けました。
とうとう、シビレを切らしたらしい町内会長さんが前日と同様に休憩を提案した、そのときでした。
あの事件が起こったのは。
ヤカンでお茶を出すための火をかけていた、カセットコンロのボンベが破裂しましたね。
あのとき、周りには誰もいなかったので怪我人はありませんでしたが、近くに遭った新聞紙に引火したので、役場から職員が駆けつけて消火器を掛ける騒ぎになりました。
町内会長さんが平謝りに謝り、町の大事な行事ということで神楽そのものにお咎めはなかったようですが、その日の練習は中止になりましたよね。
あの後、カセットコンロを持ってきた大人が町内会長さんに大声で怒鳴られていましたが、あれは故障したものを使ったせいではありません。
こう言えばもう、察しはつくでしょう。
やったのは、豹真です。
当日用のアンプまでは設営できないので、横笛の音は、僕たちが練習しているそばで豹真がラジカセから流していました。
理子さんには聞こえなかったかもしれませんが、あの時、豹真はとあるプロ野球チームの応援歌を口ずさんでいました。
……夢を、ほーむらン……。
爆発は、その瞬間でした。豹真は、歌の文句に混ぜて「ほむら」を使ったのです。
僕は、帰り際に豹真を呼び止めました。
「何であんなことやったんだ! あのおじさん関係ないだろ!」
豹真はしれっと答えたものです。
「俺は人助けをしたつもりなんだけどな」
まかりまちがって雷を呼んでしまっても困るので、なるべく冷静に話しかけたつもりだったのですが、さすがに怒りがこみ上げてきました。
「誰が助かったんだよ、誰が!」
お前がさ、と鼻先に突きつけられた人差し指を、手の甲で弾くように押しのけると、豹真は口元を歪めて笑いました。
「あのまま行けば、町内会の皆さんの時間を食いつぶし、刀根理子にはバカにされ、役場に来る人の前で午前中いっぱい、いい晒しものだぜ」
そんなのは言い訳だと思いましたが、ここまでしゃあしゃあと言い抜ける豹真を追及するだけ無駄です。
だから僕は、努めて冷静に言いました。
「来年は君がお世話になるかもしれない人たちだってこと、忘れないようにね」
毎年交代なのだから、いかに小柄とはいえ、お鉢が回ってくる可能性は充分あるのです。
この皮肉が通じたのか通じなかったのか、豹真は僕をおいて駐車場を駆けて行きました。
こう言い捨てて。
「来年も、この調子で切りぬけてやるさ」
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