地震・雷・火事・オヤジ

 しかし、本当の問題は、その夜に起こったのです。

 帰宅して夕方まで寝ていたところ、どう見ても定時に退勤したとしか思えないくらいの早い時間帯に帰った父が、僕をその場に正座させて「雷」を落としました。

 地震・雷・火事・オヤジのうち、2つが揃ったわけです。

「お前は何を考えとるんだ!」

 父は痩せて背のひょろ高い男ですが、一旦怒ると、貧相な身体のどこから出るのかと思うような大声を出します。その勢いは、本物の雷にもひけをとりません。

 僕の言霊を鍛えたときも、ずっとこんな調子で怒鳴り通しでした。

「和洋、ここ座れ、ここ」

 父の説教は、向かい合って正座というのが基本です。

「何で怒ってるか、心当たりはあるな?」

 僕はこういうとき、「はい」とだけ答えて頭を下げます。

 いちいち説明しなくても、そこはもう阿吽の呼吸で分かるのです。

 晴天に突然轟いた遠雷の音に、父は僕が言霊を使ってしまったのを察したのでしょう。

「自分がやったのがどれほどまずいことか、分かってるな?」

 分かっているからこそ、神妙にしているのです。

 なにしろ、言霊は訓練すればするほど危険なものになります。

 それは、すでにお話しした僕や豹真のことを思い返してもらえれば分かりますよね。

 力を持つ言葉が日常会話の中に含まれていればなおさらのことで、常に注意を払っていないと周りの人がとんでもない迷惑をこうむります。

 豹真の使う「ほむら」は、普段使う言葉ではありませんが、僕の「なんじ」はどちらかというと警戒を要するほうだといえるでしょう。

「お前は、人に時刻を聞くこともできんのだぞ」

 つまり、「いまナンジ?」と聞いたり、「ちょうどニジ!」と答えたりした途端に、空はにわかにかき曇り、稲妻が轟音と共に振ってくるということです。だから僕は、絶対に時計を手放せませんし、時計のないところでは時間を聞くのを我慢しなくてはなりません。 

 そんなわけで、僕が言霊を使ってしまったことに対するの父の怒りは、それはもうただごとではありませんでした。

「で、そこには誰がいた?」

 樫井豹真だけ、と答えると、父はほっと安堵の息をついてつぶやきました。

「それならまだいい」

 状況によっては、ごまかすのが大変なのです。

 言霊の働きが一度や二度目立ったくらいなら偶然で済みますが、ものによっては日常会話の中で特定の言葉を口にすることさえできなくなります。

 いちばんわかりやすい例が、「雨男」。

 あれは、雨を呼ぶ言葉が普段の会話の中に含まれているために起こる現象なのです。

 訓練されていれば、発した言葉が雨を降らせます。訓練されていない人の場合は、言葉が効果を及ぼす人と及ぼさない人で個人差があります。

 さらに、言葉で雨を降らせる人でも、実際に天気を変えられる場合とそうでない場合があるのです。

「怪しまれたら、また……」

 それ以上は、申し訳なくて父に言わせるわけにはいかないので、僕は言葉を遮りました。

「それは分かってるよ」

 だから、僕たち言霊使いは、雨を操れる人ならばその言葉を避けることができます。ただし、どうしても会話が不自然になったり、無口になったりしがちです。

 それが嫌な人は、敢えて「雨男」の汚名を着て、行楽シーズンなどは爪はじきに甘んずるのですが、それはまだいいほうです。

 湿気を招き寄せたり、風で砂ぼこりや海の波を立てたり、僕のように雷を落としたりと言った人たちは、仮に事故を起こさなくても言葉遣いや立ち居振る舞いを気味悪がられ、転居を余儀なくされるのです。

 とにもかくにも、これで「僕が自分の非を認めて充分に反省した」という状態になりました。僕はこれまでの経験から、父の説教は終わったものと判断し、痺れる足をこらえて立ち上がりましたが、今回の話にははまだ続きがあったのです。

「お前は何も分かっとらん!」

 一喝されて再び着座した僕は、父のまなざしがいつになく厳しいのを感じました。

 こんな目で見つめられるときは、たいてい僕が致命的な失敗をやらかしたときです。

 つまり、言霊で人を傷つけてしまったとき。これは、身体の傷に限りません。心や、立場なども含みます。

 そんなわけで、僕も神妙な気持ちになって父の叱責を待ちました。

 ところが、僕が聞かされたのは意外なことだったのです。

「なぜ、豹真と闘った?」

 さすがに僕もむっとしました。あれは売られた喧嘩で、言霊を使ったのも、それを避けるためです。そこは気持ちを抑えて丁寧に事情を説明しましたが、父の怒りは収まりませんでした。

「事情はどうあれ、それで言霊を封じられた者もいる!」

 これまで父に聞かされてきたことによれば、私闘が知られれば、他の言霊使いたちが大挙してやってきて、言葉と自然とのつながりを断たれてしまうそうです。言霊使いにとって、それはほとんど死を意味するといいます。自分の言霊が動かなくなると、心と身体は急激に衰えていくものらしいのです。

 それまで他の言霊使いと関わったことがなかったので気にもしませんでしたが、いざ自分が当事者になってみると、豹真と闘ったときとは別の寒気がしました。

 しかし、父の語気はそこで緩みました。

「ただし、例外もある」

 それは知りませんでした。「例外?」と聞き返すと、父は重々しい口調で答えました

「正式に申し込まれた決闘なら、負けたほうが追放されて済む」

 それは初耳だったので、聞いてみました。

「どうして今まで教えてくれなかったの?」

 父は一瞬口ごもりましたが、答えてはくれました。

「知らない方がいいこともある」

 それっきり、父が豹真との闘いについて触れることはありませんでした。

 ここまでお読みになれば、その翌日のことに納得がいくかと思います。理子さんがまともに豹真と関わったのは、あの日だけですから。

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