ヒミツのごちそう
反響体X
第1話 ねぎ玉牛丼・並(おんたま変更) 480円
今日は全然ついてない。
宿題なんて忘れたことないのに今日に限って家に忘れちゃって先生にネチネチ叱られたし、カナちんとはちょっとしたことで喧嘩になっちゃって一日中気まずいし、及川君はやっぱり広田さんのことが好きみたいだし、相変わらずタイムは伸びないし……
だから私は、この店の前に立っていた。
赤と黄色の看板の時計台みたいな建物のお店――その名はすき家!……ってまぁ、牛丼チェーンなんだけどね。
中学生が部活帰りにすき家ってのは変なのかもしれないけど、サーティーワンの前でメニューをずっと見てるお兄さんもいたんだし問題ないない! それにお母さんが仕事で遅くなるんだからしかたない――いや、今日に限って言えばナイスタイミングだ。
こんなに凹んだ日には、おいしいごはんを食べるのが一番。そんなごちそうが、ここにはあるんだから。
「いらっしゃいませー」
店員さんの声を聞きながら席に座って水を出されるのと同時に、
「ねぎ玉牛丼・並をおんたま変更でお願いします」
って注文する。ここに来るときは必ずこれだから、わざわざメニューを開く必要なんてない。
「少々お待ちください」
すぐに出てくるってわかってても、待っている時間はじれったい。落ち着け、落ち着けーって心の中で念じながら、ふぅ、って一息。
そういえば昔から私ったらこんなで、お父さんによく笑われたっけ……
「お待たせいたしました」
あ、来た!
牛丼の上には万能ねぎがたっぷり。上にかかってるコチュジャンベースのたれがたまらないんだよね!! そしてその隣には温泉玉子。玉子を割ると確実に黄身を駄目にしちゃう家事が絶望的な私にはぴったりなのです。
ねぎの真ん中をちょっと凹ませて温泉玉子を落とすと……ほら、もうそれだけで凹んでた気持ちが満たされたような気がしちゃう。
「いただきまーす」
両手を合わせて箸を握ると、まずは中央の温泉玉子を混ぜる作業から。
普通のねぎ玉牛丼ならここにあるのは生卵の黄身なんだけど、ちょっと多い気がするっていうか……せっかくのたれの味が薄れちゃう気がするんだよね。その点この温泉玉子は丁度いい。黄身とは違って塊だから混ぜるっていうよりは崩すって感じだけど、肉の上のねぎと混ぜ合わせるのは何だかどろんこ遊びみたいで、ちっちゃいころを思い出して楽しい。
お肉は一緒に混ぜ合ない。このねぎ&玉子はあくまで牛丼の上にかけたソースなんだってのが私流のこだわり。
「よし……」
さて、準備完了だ。いただきます。
丼を持ち上げて、牛丼をかきこむ。
口いっぱいに広がるのは、牛丼の出汁の味と辛くないけどピリッと感じるコチュジャンの香り。そして、それらを包み込む玉子の味。一口噛みしめれば、それらが絡んだお肉の味とご飯粒、そしてねぎの青さが踊りだす。
ああ、これ……これなんだよねー
別に高級食材を使ってるわけじゃない。お肉だってくったくたに煮込まれちゃってるし、ねぎだってそこまで新鮮に感じない。おんたまだってもうちょっと温かくたっていいんじゃないかって思うよ?
でもね? お口の中で、玉子と出汁とコチュジャンがハミングしてるの。噛みしめるたびに、ねぎが、お肉が、ごはんが、別々の歯ごたえで飛び跳ねるの。
だったらさ、たったワンコインで幸せになれる私はものすごく幸せ者だと思わない?
「はふぅ」
ごくん、と大きな一口を飲み込んで少しだけ冷静になる。
牛丼は戦いだ。
丁度砂場でやる棒倒しみたいな感じ。お肉とねぎとご飯のバランスを崩さないよう、崩さないようにやってくのが大事。
最初の一口は幸せ全開になるための無礼講。でも、この先は冷静にいかなきゃいけない。
理想の食べ方としては、ねぎ・お肉・ご飯が縦にきれいに並んだミルフィーユ。けど、常に頬張って食べるのは流石に恥ずかしいし、丼の構造からしても一気に持ち上げるのは難しい。だから、私の口のサイズにあうように食べていくとどうしても底にご飯が残っちゃう。だから残ったご飯はその都度お肉なしで食べるしかない。
「くぅ……♪」
食べるしかないとか言ってごめんなさい。
ちがうの、好きなの。すっごく好きなの。
おつゆとコチュジャンが染みに染みた底のほうのご飯の味!
もうさ、おいしいところ大集合しましたよ! って感じのご飯がまた別の味わいでさ……
何ていえばいいのかな? 箸休め? ううん、こっちだって立派に主役なの。甘いのと辛いのを交互に食べるのに似てるのかな? 濃くなったご飯と、玉子にくるまれた優しいねぎと牛丼の味。そんなの選べないよ~、私ってば罪な女!
「いらっしゃいませー」
ゴウン、と自動ドアが開いて店員さんが挨拶をしているのを聞いて我に返る。
こ、こほん。
まぁ、そういうわけで冷静さが必要なんですよ、このごちそうには。
ああ、おいしいなぁ。
この味は、お父さんの味なんだよね。
仕事もしないでギャンブルばっかりして、お母さんを叩いて泣かせてばかりいたダメダメなお父さんの味。
でも、私には優しかった。きっと何もわかってない子だったから、お父さんを責めるようなことしなかったからだと思う。
何か悪い感じだったら決して近づかない、でも機嫌がよさそうだったらちょこちょこ後ろをついてく……割と現金な子だったなぁって思う。
そんなお父さんがギャンブルで儲けたときに連れてきてくれたのがすき家だった。
うん、今ならわかる。ものすごくけち臭い。
でも、それが私にはすごくうれしかった。家族3人で外食なんてありえなかったから、お外で食べるってだけで幸せだった。
そこで『お母さんには内緒だからな』ってお父さんが注文してくれたのがねぎ玉牛丼。『ええい、今ならおんたまもつけてやる!』――たった10円の話なんだけど、それがとっても特別に思えて……ちょっと大きくなったら『ねぇねぇ、お父さん。今日は勝ったんだよね?』とか言ってせがんでたっけな。
私が10歳の時に離婚してそんな祝勝会は開かれなくなっちゃったけど……お母さんが仕事で遅くなるとかでお金を渡されると、つい足を運ぶようになってた。
別にお父さんとまた一緒に暮らしたいとは思わない。やっぱりダメダメな人だし、お母さん殴るし。
それにお母さんに不満があるわけじゃない。そりゃあ口うるさいけど、私を全力で育ててくれてるし何より笑うようになったお母さんを見てるとこっちまで嬉しくなる。
でも、やっぱりちょっと寂しのかもね。
まぁとにかく、こんなお父さんの思い出たっぷりなねぎ玉牛丼(おんたま変更)は間違ってもお母さんには話せないわけで、こうしてこっそり食べるのが流儀なのです。
この味は罪の味。そしてちょっとだけ目の奥がツンとなって幸せいっぱいになる魔法の味。
「んっ……」
丁度最後の一口分、うまく三層構造が出来上がって口に含む。
うん……なんだかんだ言ったけど、やっぱり私はこの味が大好きなんだ。うん、それだけ!
今日一日ついてなかったことも、食べながらいろんなことを思い出したりしたことも、最後の一口が終わると全部けろっとどうでもよくなるんだから、私ってば都合よくできてる。
最後にお茶を飲み干して、
「はぁ……」
って幸せの吐息をこぼせば全て世はこともなし。
お値段たったの480円。お母さんからもらった夕飯代は1000円だから、おこずかいもいい感じに増えるし最高なのです。
これが私のヒミツのごちそう。
ああ、お腹いっぱい! 幸せです!
「ごちそうさまでした」
ヒミツのごちそう 反響体X @economyP
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