廃公爵ワルテナの恐ろしい武勇伝

玖田蘭

廃公爵ワルテナの恐ろしい武勇伝

「吾輩は、この世界で一番恐ろしい男なのだ!」


 「廃公爵」ワルテナ・ヴィッテンブリッツ・ラグランドの口癖は、いつもこうだった。

 

 人魔が共存する世界の片隅にあるラグランド公爵領で、彼はおどろおどろしい城の中いつもそう高笑いを上げるのだ。アンデッドの少女を傍に侍らせたワルテナ廃公爵も、もとは人間であった。100年ほど前までは、彼も人間の国の公爵位を持ち善良な領主として民を治めていた。


 しかし、ある日をきっかけに彼はあっさりと、人間であることをきっぱりすっぱりやめてしまう。


 やがてデュラハンを従者に従え恐怖で領地を支配した彼は「廃公爵」と自称するようになっていた。どれもこれも、ワルテナにとっては遠い昔の話である。



「リーンよ、吾輩の武勇伝を聞きたいであろう? そうか聞きたいか! ならば仕方がない、聞かせてやろう」


 ラグランド廃公爵家の彼の執務室には、退廃的な雰囲気が漂っている。そこで彼は、愛らしいメイドの少女に向かって手招きをした。


 廃公爵は悪逆非道の悪魔であったので、アンデッドのメイドであるリーンにお手つきをすることにも何ら罪悪感は生まれなかった。可愛らしい少女を膝の上に乗せて、ワルテナはふふんと鼻を鳴らす。美しい廃公爵の禍々しくも赤く煌めく視線を受けて、メイドは無感情に首を縦に振った。


「つい先日、吾輩は小憎たらしい人間どもの領地に侵攻してやったのだ。湖の生き物を虐殺し、奴らの憩いを片っ端から奪ってやったわ! 人間どもの呆気にとられた顔と言ったらなかったぞ。お前にも見せてやりたいくらいだった」


 嬉々としてそんなことを語るワルテナに、リーンはもう一度頷いた。「武勇伝」を話しているときの彼にうかつに何か話しかけると、首が飛びかねない。無論首を斬られたからと言ってアンデッドのリーンが死ぬわけではないのだが、折角のお仕着せが汚れるのは嫌だった。彼女だって曲がりなりにも女の子である。



「ふふふ、驚いているなリーンよ? しかし吾輩の武勇伝はこれだけではないぞ! 人間どもが大切にしている畑に、吾輩は水精霊を使役して大雨を降らせてやったのだ。大切な食糧の種が水浸しになったのだ、これで人間どもも吾輩をさらに恐れるであろう。ふははははっ! 今思い出しても腹がよじれるわ!」


 人間であったときのワルテナは、人間たちの中でも随一の魔導士であった。その魔力の高さ故に人外に身を落としたが、火水雷風土の五属性の精霊を扱うことなどは朝飯前である。

 血の通わないリーンの唇に指を這わせながら、ワルテナはなんとも満足そうな高笑いを上げた。死を告げる鳥たちすら恐れおののくというその笑い声に、城の外で風が戦慄く音がする。



「ふむ、そう言えば10年ほど前にも、領民どもの畑を残らず燃やし尽くしたことがあったな? あの時の人間どもの様子といえばまさに阿鼻叫喚の地獄絵図よ! あ奴らも恐ろしい吾輩に畏怖の念でも込めたつもりか、次の年の貢物が倍に増えたな。そうよ、人間どもなどそうして吾輩に搾取され続けておればよいのだ」


 愉快痛快と笑う廃公爵が、愛おしげにリーンの頭を撫でている。彼が怒り狂えば人間たちの住む領地には雷雨が降り、彼が喜べばそれは晴れ渡る。リーンの役目はできるだけ彼の機嫌を損ねないように、それとなく彼の機嫌を取ることだった。


「おいリーンよ、吾輩は素晴らしいだろう? まさに魔の中の魔、「廃公爵」と呼ばれるにふさわしい悪魔よ」

「はい、ワルテナ廃公爵様はこれ以上なく恐ろしい、我等人外のものですら恐れる悪魔でございます」

「そうであろうそうであろう! お前はよく出来たメイドだ。吾輩の欲しい言葉をいつだって用意しているな。褒めて遣わす」


 満足げに胸を反らせたワルテナが、リーンの髪に唇を落とした。その声音は穏やかで優しいものであり、その姿からは恐怖の廃公爵の姿は垣間見ることが出来ない。


 元は優しい男なのだ。100年に渡ってワルテナに仕えてきたリーンは、そのことを知っている。自ら悪魔などと名乗っているが、彼は元々慈愛に満ちた領主であった。如何に魔道に落ちたとしても、そこを棄てることはできないのだ。


 リーンは執事のデュラハンから聞いている。彼が生物を死滅させたという湖は、湖とは名ばかりの底なし沼であり、害獣が領民を苦しめていたのだという。それをワルテナが全て討伐したことで、湖には清浄となり元の静寂と憩いが戻ってきたらしい。

 彼の武勇伝は大概が人間たちの利益になっているのだ。土地に大雨を降らせたことにしても、彼の土地はちょうど酷い干ばつに遭っていた。人間たちの間ではワルテナが降らせた大雨が土地に潤いをもたらし、民の生活を渇きと上から掬い上げたと英雄譚にまでなっているのだという。


「ふふふ、リーンよ。お前は実に従順なメイドだ。吾輩は非道な男であるが、お前は長く我が公爵家に仕えているからな。特別に吾輩の膝を許しているのだぞ」


 上機嫌にリーンの頭を撫でながら、ワルテナは一層誇らしげに胸を反らした。メイドのお手つきすら悪びれないとは言ったものの、この城で彼に仕える人型のメイドはリーンだけである。まめなワルテナは、彼女の部屋にそれとなく花を活けておくことも少なくない。


 優しい男だと、人としての感情が欠損したリーンですらそう思う。彼が焼き尽くした畑にはなぜか次の年から作物がわんさかと穫れるようになり、年貢として納められる作物も必然的に多くなったのだという。そんな話がデュラハンたちや、お使いで出かける街中で聞こえるたびに、リーンは彼が優しい人間の男にしか思えなくなってきていた。


「ワルテナ様」

「どうしたリーンよ?」

「わたくしの問いに、答えてくださいますか」


 控えめなメイドの問いに、ワルテナは一度目を丸くしてから鷹揚に一度頷いた。


「いいだろう。寛大な吾輩がお前の問いに答えてやる」


 相変わらずリーンを膝に乗せたまま、ワルテナはそう答える。血色の悪いメイドの唇がわずかに開かれると、そこから鈴の音のような声がこぼれ出した。



「ワルテナ廃公爵様は恐ろしいお方です。我ら魔道のものの主にして、人間をも支配なさる偉大なお方でございます」

「そうだろう。続けよ」

「はい。そのように偉大な廃公爵様は、何故人間を虐げこそすれ虐殺はなさらないのです? 名だたる魔族の王は、人間を亡ぼすことで名を挙げてまいりましたのに」


 未だ人と魔が対立しあっていた数百年前、百魔の王と呼ばれた魔族たちは大陸の片っ端から人間を始末していった。今でこそ協約があるため無差別の虐殺は許可されていないが、所詮人間からの要求などワルテナが気にするようなことでもないのだ。

 リーンがそう問えば、ワルテナは何かを考えるように首を傾げた。



「うむ、吾輩のように素晴らしい悪魔を目の前にしてお前がそう聞きたくなる気持ちもわかる。わかるぞリーンよ。しかしだな、たまには考えることもしてみるがいい。吾輩のような絶対的な存在の前で思考が停止するというのもわからんでもないがな」


 そう尊大に前置きをして、ワルテナはリーンの耳に唇を近づけた。上機嫌に表情を緩ませて、さらに続ける。


「人間どもが死に絶えれば、我等は畑を耕さねばならんだろう。吾輩は高貴な生まれゆえ、土仕事は向かんのだ。あれは、出来る者がすればよい」

「ポルターガイストたちも、畑仕事はできます」

「ふむ。そうだな、そうか、それもそうか……しかしガイストどもは吾輩を敬うことをしないな? 実に不遜な奴らだ。大体執事のデュラハンにしたって、吾輩に垂れるべき首を持たぬではないか」


 そう自分の臣下たちの欠点を一通りあげつらって、それからワルテナは一度大きく息を吐いた。


 彼は人間が嫌いになり切れないのだろう。彼が人間であったころをリーンは知らないが、時折垣間見せる表情から推測するに、彼はおそらく人間が大好きだ。それを、無理やり「恐怖の廃公爵」なんていう設定にしてしまったがために、この100年間意地を張り続けてねばならなくなったのだ。


「要はだな、人間どもは吾輩に頭を下げればよい。残虐な吾輩はそれでも人間どもを虐げ続けるがな」


 満足げにそう言い切ったワルテナに、リーンは「左様でございますか」と一つ頷いた。彼は彼で、この生活に満足しているのかもしれない。いや、そもそも本気で虐げている結果が、領民達の間で「聖公爵様」と呼ばれている所業なのかもしれないが。


「やはり、廃公爵様は恐ろしいお方」

「そうだ、吾輩はこの世界で一番恐ろしい男なのだ!」


 おどろおどろしいラグランド城の中。リーンがワルテナの膝から降りて一礼すると、廃公爵――民衆には聖公爵と呼ばれる恐ろしい男の高笑いが、またいっそうに響き渡ったのだった。

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