屋上のバレンタインデイ

綿貫むじな

屋上のバレンタインデイ

 学校の屋上で、流れる雲を見つめていた。夕方に傾きかけた日は、ほのかにオレンジ色に雲を色付けている。うっすらと霞がかった青空は、恐らくこの後雨が降るかもしれない事を示していた。屋上は金網で囲われていて、金網の上には有刺鉄線で更に囲われている。屋上からの飛び降り防止の為の措置だ。この日ばかりはこれがあることに感謝した。もしかしたら、無理やりにでも上って飛び降りていたかもしれないから。さすがに有刺鉄線を超えてまで飛び降りる衝動は持ちえなかった。

 ぼんやりと空を眺めている。純粋な少年少女は今もやきもきしているのかもしれない。今は五時間目が終了し、今日は六時間目の授業が無いので部活動にいそしんだり、あるいは帰宅したりする人がどぎまぎしながら机の中や下駄箱の中を見ようとしているんだ。屋上からは学校の裏庭の様子も伺えるのだが、そこには大きな樫の木が生えていて、学校の恋する人々は良く告白の場所としても使われたりしている。今もたぶん、そこには一組のカップルが誕生したり、あるいは恋破れたりする男女がいるのかもしれない。今はそこの様子を見る気にもならないけれど。

 すると、屋上の立て付けの悪い金属製のドアの開く音が響いた。ギシギシギシと耳に煩い音を立てながらドアが開くと、一人の女子高生が姿を現した。黒髪のショートカットで、制服を着崩して少し遊んでる風な雰囲気を醸し出している。耳にはピアスをしており、化粧は校則違反にならない程度の絶妙なメイクをしている。


「あれ?アキじゃん何してんの?」

「ミオ……」


 ミオはゆっくりとした足取りで、紙袋に雑に詰められたチョコレートの山をけだるそうに持ってこっちに近づいてくる。


「随分といっぱいもらったんだね」

「いや女の子からこんなに貰ってもうれしくねーんだけどな。チョコもあんまし好きじゃないし」


 ミオは頭をポリポリとかきながら複雑な顔をして、ギッシリ紙袋に詰まったチョコレートを眺める。ミオは長身でどっちかというとかっこ良い感じの顔だちだから、女子からの人気が相当高い。バレンタインデイともなるとこんな風にチョコレートをいっぱいもらう。本人的には毎度の事でうんざりしており、チョコレートをどうやって処分しようか頭を悩ませている。


「ワタシとしては女子からモテてもしゃーねーんだけどなぁ。なんだろうねああいう風潮は。おかげでこっちは本命の男子に告白もできやしねえっつうの」

「あははは」

「で、こんなとこで何してんのさアキ。本命にアタックしに行ったんでないの?」

「……うん。行ったよ」

「結果は……聞くまでもなさそうだな」


 ミオはこちらの顔を見て、そう言った。自分では気づいてなかったけど、目には涙を溜めて、顔はくしゃくしゃになっていたみたいだった。とめどなく涙と嗚咽が漏れてきて抑えきれなかった。涙はコンクリートの床に落ち、染みとなって広がっていく。


「だめもとで、とは思ってたけどやっぱりだめだったよ……わかってたけど、やっぱり切ないよね」

「まあ、そりゃあなぁ。秘めておいた方がいいよってワタシは思ってたけどさ、思いを打ち明けたいって衝動に突き動かされちゃったんだもんね、しょうがないよ」


 ぽんぽんと肩を叩いて引き寄せるミオ。彼女のこういう態度、ちょっと女子にモテる理由がわかる気がする。ちょっと惚れそうになるもの。


「でもさ、今フラれて良かったじゃん?アキが次のステップに踏み出せるいい機会だったって事だよ。いい男はいくらでもいるって事さ」

「……それは、そうだけど……」

「まぁ、アキと一緒に人生を歩もうって気になる男の人を探すの、ちょっと大変かもしれないけどね」


 ミオは金網に近づいて背もたれ、背伸びしながら空を見上げて言った。


「僕だって、なんで男で生まれてきたんだろうって思ってるし、今でもこの体が嫌でしょうがないよ。……可愛くなりたかったし、綺麗になりたかった」


 愚痴ると、ミオがつかつかとこちらに歩いてきて、僕の頭を両手で抱えてこつんと額を合わせた。


「つらいだろうけど、人はみんな配られたカードで勝負するしかないんだよ。でもあまりにも辛かったら、良ければワタシに愚痴るくらいはしてほしいかな。一人で悩んで飛び降りたりされたら、ワタシも悲しいもの」


 ドキッとした。僕がさっきまで抱えていた衝動を見透かされている。ミオは人の心が読めるのだろうかと思うくらい、時々いろんな人の心を見透かしているのだ。


「なんで、僕がそう思ってるとわかったの」

「いやわかるよ。アキ、かなり態度に出るしわかりやすすぎるもの」


 顔から火が出るようなほど熱くなった。いろいろとバレバレだったって事か。でも、それほどまでに人に気を配っているというのだから、やっぱりミオはいろんな人に慕われたり、モテたりするんだなあという納得感があった。

 ミオはすっと頭を離し、両手を僕の頭から離して後ろを向いてチョコレートの山が入った紙袋を右手に持った。そして一人でつぶやくかのようにぼそっと言う。


「世の中、本当にままならないよね……。思い通りにいかなくてやきもきする」

「何か言った?」

「ううん、なんでもない」


 ミオはくるりとこちらを向いてにっこりと笑いながら、ひとつの提案をする。


「ねえ、帰り際にパフェでも食べに行かない?私のおごりでさ」

「本当?じゃあ絶対に行く!」


 そうして屋上から昇降口に移動し、僕たちは上履きから下足に履き替えている。いつの間にか太陽はよりオレンジ色を強くし、そろそろ昼から夕方になろうとしている事を示している。昇降口の下駄箱は橙色に照らされて煌いていた。

 僕は上履きからスニーカーに履き替え、昇降口の入り口に立って彼女を待っていたが、少し待っても彼女がくる気配がない。


「……遅いな」


 戻ってみると、下駄箱にもチョコレートがギッシリつまって回収に手間取っているミオの姿があった。


「あ、アキ!手伝ってくんないかな?悪いけどアキのカバンにもこれ詰めさせて」

「はあ、しょうがないな」


 ここまでモテるのか。うらやましいもんだと思いながら僕のカバンにもチョコレートを詰めていく。


「こんなに貰っても困るんだよなぁ……」

「そういえばさ、ミオの本命の子って誰なの?告白しようと言って今年も出来なかったって言うけどさ」


 ミオは少しびくっと体を震わせつつも、にっこりと笑って言った。


「秘密」

「ええ、なんだよそれ」

「おっしえないもーん。絶対にね!」

「ちぇっ」


 チョコレートを片付け、ようやく下足に履き替えたミオ。僕もミオのカバンもパンパンにチョコレートで詰まっている。さすがに、ちょっとこの分量をもって歩くには重いものがある。


「歩きづらい……どっかに捨てる?」

「それはダメ。くれた子たちの思いを無下にするわけにはいかないでしょ」

「でも毎回チョコレートの処分に困ってるくせに何いってんのさ」


 二人でぶちぶち文句を言いながらも、喫茶店へ向けて歩いていく。それははたから見れば、きっと仲の良いカップルに見えたに違いない。

 僕は彼女の笑顔を見ながら、いつか彼女にも、そして自分にも良いパートナーが現れるといいな、と願っていた。

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