書籍化記念番外編SS
【書籍化記念SS】第1章挿話 魂の欠けたところを埋めてくれる存在(テイムル視点)
テイムルは物心がついた頃からずっとうすぼんやりした虚無感を抱えていた。
剣術や礼法の稽古をしている時、勉学に励んでいる時、その虚無感は一時的には忘れることができた。けれど、ふとした瞬間漠然と、自分は何のために生きているのだろう、と思うことがあった。
ただ、白将軍家の跡取りとして、教育を受けている。
何のためだろう。血をつなぐためか。歴史をつなぐためか。
なんとなく違う気がする。
ある時、十歳くらいの頃だろうか、父にそれを相談したことがある。
テイムルの父は教育にうるさい人で、剣術も勉学も出来が悪いと容赦なく殴ってきた。しかし、ちょっとした団欒の時に見せる表情や態度はとても優しかったので、テイムルは彼を恐ろしい人だとは思っていなかった。だからこういう抽象的なことも父に質問することができた。
父は何にも迷うことなく、いつか訊かれることを予測して用意していたかのように、こう答えた。
――それはお前がまだ自分の太陽を得ていないからだよ。白将軍はひとりでは不完全な存在で、魂に欠けたところがある。それを埋めてくれるのはこの世で唯一の太陽だけで、太陽がこの世に遣わされた時お前のその空虚な感じは消えるだろう。
そのあと、彼は自分も自分のための太陽がいるからがんばれるのだ、ということを語った。うらやましい。今の太陽に御子ができてその御子が自分の太陽として君臨してくれるようになったら、テイムルのこの欠けたところを埋めてもらえるだろうか。
父の言葉は本当だったと、テイムルは改めて思った。
ユングヴィの背後に半身を隠して大きな蒼い瞳で自分を見つめている『蒼き太陽』の姿を見た時、テイムルはすべてのかけらがひとつになって形を得たように思った。自分はやっと完全体に戻ったと感じた。三年前のエスファーナ陥落で失った魂の破片を取り戻した。
膝をつき、涙で震える声を抑えて、「殿下」と呼びかける。
ソウェイルがユングヴィの後ろから少しだけ出てきた。
なんといたわしいことか。美しい蒼色の髪は短くざんばらに切られており、生成りで無地のカフタンを着せられている。その身なりが非常に貧相で、苦しい生活を強いられていたのではないかと思った。
でも、もう、大丈夫。
また、会えた。
「テイムル」
その小さな唇が、名を、呼んでくれた。
「おれのこと、心配してた?」
言葉遣いが最後に会話した時とかなり変わっているが、そんな些細なことは今はどうでもいい。
「もちろんですとも。何度も死んでしまいたいと思ったくらいには」
「そんなのおおげさだ」
「とんでもございません。殿下はそれくらい尊いお方、テイムルの上に君臨すべき
「そっかあ」
納得していなさそうな表情ではあったが、なんとなく飲み込んでくれたらしい。
「ごめんな、会いに来れなくて」
「これ以上待たされたら本当に死んでしまうところでした」
「それはたいへんだ」
そう言いながら、彼はユングヴィの後ろから完全に出てきた。
ちょこちょこと、不確かな足取りでこちらに近づいてきた。
テイムルが戸惑っていると、両腕を伸ばしてきた。
あまりのことに驚いて、テイムルは両目を見開いた。
ソウェイルがくっついてきて、ぎゅ、と抱き締めてくれた。
「これで元気出る?」
こんなことは三年前別れる前にはしてくれなかったことだ。
ぬくもりが、柔らかい。
生きていることの喜びが、心の底から湧き上がってくる。
テイムルも、抱き締め返した。その手が震えた。
そして、ああ、と思うのだ。
きっとユングヴィは元気がない時は抱き締め合うことを教えたのだ。ソウェイルが抱き締めればユングヴィは元気になると教えたに違いない。だからこんな行為でも下々の者にすることをためらわなくなったのだ。
なんと優しく嬉しくありがたいことだろう。
「生きていてよかったと思います」
「そっかあ、よかったあ」
ソウェイルを抱き締めたまま、ユングヴィのほうを見た。
彼女は非常に渋い顔をしてテイムルを見つめていた。いつもへらへらと笑っている彼女らしからぬ緊張した顔だ。彼女なりの怖い顔かもしれなかった。
「謝らないからね」
「何の話?」
「ずっとソウェイルを隠してたこと」
テイムルの脳裏にいろんな感情がよぎっていった。自分からソウェイルを奪った憎悪、ソウェイルにまともな恰好をさせていない嫌悪、頼ってくれなかった虚脱感、信頼関係の崩壊、あらゆる負の感情が噴出した。
けれど、テイムルはそれを一度すべて飲み込んだ。
彼女はソウェイルにひとを抱き締めることを教えてくれた。
だいたい、五体満足で生きていること以上に大切なことがあるだろうか。
「だって、外にはソウェイルにとって危ないことがたくさんあると思ったんだもん」
「いいよ」
蒼い神聖な髪を撫でた。
「僕は運命に感謝するよ。もう、これだけで充分だよ」
ソウェイルが体を離してテイムルの顔を見上げた。目が合った。ほっとした表情をしている。
「よかった。ユングヴィが怒られたらどうしようかと思ってた。だから、おれ、ユングヴィのためによけいなことしちゃいけないと思ってた」
「とんでもない」
本当はもっと言いたいことや言うべきことがあるのだけれど、今だけは――
「おれ、テイムルのこともすきだから、元気出してくれてうれしい」
その言葉だけで、すべてが満たされた。
生きていこうと、思えた。
三年前に止まった時が動き出し、すべてが眠りから覚めて再開される音を聞いた。
<おわり>
また来月末頃、今度はアフサリー視点のサヴァシュの話を公開します。
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