第23章:紅蓮の女獅子と蒼き太陽
最終話 the epic of "Blue Sun"
ジャハンギルは緊張していた。
なぜか南の王の執務室に呼び出されたからだ。
いつもは北の王の居室や母の居室で適当に扱われているというのに、今日になって急にどうしたのだろう。
渡り廊下を歩きながら、自分は父に呼び出されるようなことをしただろうか、と考える。
わざわざ呼び出されてまで説教されるような失敗の心当たりはない。クソがつくほど真面目でバカがつくほど正直なジャハンギルは両親に隠し事をしたことがない。
また、姉のアナーヒタがサータム帝国に嫁いでからというもの、この国は平和だ。何の立場もない王子が特別大急ぎでしなければならない用事があるようにも思われなかった。
すれ違う文官たちがギルに頭を下げる。まだ十四歳のため特別重要な公務以外で母の
軽く会釈する。
文官たちが微笑んだ。
これでも一応王子だ。このままだと相手に頭を下げさせたままだということに気づいたギルは、あえて目を逸らして前に向かって歩き始めた。文官たちも向こうのほうへ立ち去る。
そこでふと、あることに気づいた。
まだ十四歳、母の
もうすぐ十五歳、
それに気づいた途端、ギルは足元の床が崩れるような不安を感じた。
もしかしたら、正式に宮殿を追い出される日を言い渡されるのかもしれない。
黒髪のギルは宮殿では邪魔だ。蒼い髪の弟たちに王位を譲らなければならない。そうでなければ自分に待っているのは死かもしれない。あの温厚な父と親馬鹿な母がそんなことを強いるとは思えなかったが、どこかに事実上の追放はありえる。
そういえば、いつか父がギルを東部州にやるというようなことをほのめかしていたのを思い出した。
自分は十五歳になったら地方にやられるのかもしれない。その地で一生を終え、二度と王都に戻ってくることはないのかもしれない。
それでも、国に波乱をもたらさないためには、それがいいのだ。
一にも二にも、国の平和だ。しかも相手は生意気盛りとはいえそれなりに可愛い同母弟たちである。譲る時は、譲る。それが長男である自分の役割ではないのか。
思えば十五年間大事にされてきたものだ。ギルは小さい頃から季節の祭事のたびに父についていったものだった。外国への視察旅行にも同行させてもらったことがある。
国の政治にこれっぽちも興味のない弟たちのために自分が国の民たちを見つめてきた。双子の治世を支えるために最大限のことをしてきた。
あと少しで、そういう人生が終わる。
父の執務室に辿り着いた。
扉の前でクバードが待っていた。
「お待ちしておりました」
「クバードも呼び出されたのですか」
「はい、陛下が必ず同席するようにとおっしゃられました」
「何の用事でしょう」
「さあ、お聞きしておりませんが――」
クバードの手が伸びる。ギルの頬を撫でる。大きくて硬い、だが温かい手だ。
「陛下が何をおっしゃられてもクバードはジャハンギル殿下の味方です。何もご心配召されぬよう」
ギルは頷いた。クバードはこう言っているが、話は逆だ。ギルが心配するそぶりを見せるとクバードが心配する。クバードを心配させないためにも、自分はしっかりしていたい。
クバードが扉を開けた。
部屋の奥、蒼い
父の目の前、文机の上に、紙が一枚だけ置かれている。遠目からでは内容はわからないが、蒼と金の縁取りは何か公的な重要書類のように思われた。王家の紋章が入った、長期間保管するための書類だ。
「ジャハンギル」
父の蒼い瞳に見据えられる。唾を飲む。
「そこに座れ」
いつものように口答えをすることはなく、「はい」と頷いて文机の前に座った。
父の手が、机の上の書類を取った。
「読め」
手に取った。危うく手が震えるところだった。
文面を読む。
喉がからからに渇く。
「……これ、何ですか?」
「読んでわからないのか?」
ソウェイルが苦笑した。
「王位継承に関する証書だ」
心臓が、爆発する。
「お前がそれで納得できるなら、今すぐお前の目の前で、花押を書く」
何度も、何度も。同じ文面を読み返す。
「王としての花押を。俺の治世でもっとも大切な書類に」
一度深呼吸をしてから、問いかけた。
「でも、おかしくないですか」
「何がだ?」
「これだと、次の王が僕になってしまいます」
ソウェイルが笑った。
「お前が十五になったら、お前を立太子する」
両目を見開いて父の顔を見つめる。
「俺は自分の子供たちを殺し合わせない。今のうちに後継者を指名する。俺に何かあった時は、アルヤ王はお前だ」
「ですが」
紙を持ったまま立ち上がった。
「僕の髪は黒いのですよ? 僕は『蒼き太陽』ではありません! アルヤ人の誰が僕を神と仰ぎましょうか」
「そんな必要はない」
父はあくまで落ち着いていた。今日この日が来てギルがこう言うのを予想していたかのようだった。
考えていたのかもしれない。
彼は、ずっと、この日のことを考えていたのかもしれない。
自分の弟を死なせた日から、この日を待ちわびていたのかもしれない。
「これから先の時代、王が神である必要はないんだ」
「では……弟たちは……」
「あの子たちは王にはなりたくないんだそうだ。だからおそらく神官になる。神が必要じゃないわけではないからな。それでも政治をするよりはいいと本人たちが言っている」
わかっていたかのように、クバードは黙ってこちらを見ている。
「王は政治をすることができれば神事はやらなくてもいいということだ」
「そんなの……」
「で、どうなんだ? やるのか、やらないのか」
一度軽く頬の内側を噛んだ。
あの時も、この時も、民のことを思って活動してきたのは自分だ。
国の平和を祈り、大陸の平和を祈り、世界の平和を祈ってきたのは、弟たちではなく、自分なのだ。
「やります」
本当は、こう言える日を望んでいたのかもしれない。
「僕は、王になりたいです」
ずっとずっと、こう言いたかったのかもしれない。
弟たちに、遠慮しなくてもいい。
『蒼き太陽』に、遠慮しなくてもいい。
「王にならせてください。お願いします!」
深く頭を下げた。
父がちょっと笑ってから「顔を上げろ」と言った。
「書類を返せ」
書類を差し出す。
ソウェイルは
「ギル」
「はい」
「俺は王様というのはやりたいやつがやるべきだと思ってる。弟たちにやる気がなくてお前にやる気があるんだったらお前に決まってる」
ギルは大きく息を吐いた。
「でも東部に勉強に行かせるのは変わらないからな。ずっと宮殿の中にいて世間知らずなままだと苦労する、俺みたいにな」
「えっ、あ……はい。それは行くのですね……」
「まあ二、三年で帰ってくればよろしい。あんまり長く王都の外にやるとリリがうるさいだろうからな」
そして「なあクバード」と微笑む。
「お前もついていけ。お前は全力でお前の太陽を守れ」
クバードが「はい」と返事をした。
ことり、と何かが置かれる音がした。
見ると、机の上に
「あまり根を詰められませんよう」
いつの間にか茶を用意してくれたらしい。
そう言って微笑む妻に向かって、ラームテインは苦笑して「ありがとう」と応じた。
「あなたは一度集中するとすぐ周りが見えなくなるんですから。ずっと机に向かっていると姿勢も悪くしますよ」
「そうだね、休憩するよ。声をかけてくれて助かる」
「まったく、私と結婚する前はどうやって暮らしていたんですか」
子供たちの声が聞こえる。
「ししょうー、これわかんなーい!」
「教えてーっ! 読んでーっ」
「ああ、はいはい」
書き物をしていた帳面を閉じた。妻が「あら」と呟いた。
「閉じてしまっていいんですか? いつも文鎮で留めているのに」
「いや、この帳面はもうお終いなんだ。ここで一区切りをつけて、次から新しい章に移る。別の冊子を用意するよ」
「そうですか」
「そう」
窓の外を見る。
「ここでこの作品は一区切り。また次の時代が始まったら、次の物語を書くよ」
ソウェイルはひとり塔の上を目指していた。
鉄の扉を開けて外に出ると、風が頬を撫でた。
空を見上げる。
太陽が輝いている。
ソウェイルは空に向かって両腕を伸ばして笑った。
「なあ、ユングヴィ。俺、立派な王様になれたか?」
<完>
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