第8話 サータム人のお父さんと、アルヤ人のお母さん 1
千年の歴史を持つ古都タウリスは街並みが全体的に優美で、アナーヒタは輿の中から密かに景色を眺めて楽しんだ。
スーリを介して父に相談したところ、無事にユースフと合流できたら二人で視察も兼ねて城下町の散策に出てもいいと言う。
当然護衛の兵士やお付きの侍従官もいる。真の意味では二人きりではないだろう。
しかし対等な立場の男性と外出したことのないアナーヒタにとっては実質逢引きだ。
楽しみが、またひとつ増えた。
ユースフたち一行はすでにタウリス城に到着してアナーヒタを待っている。
遠路はるばる花嫁を迎えに来る――なんと浪漫的なことだろう。
しかし、アナーヒタより世情に強いホスローは
「これはアルヤ王の強さの表れなんですよ。アルヤ王は他国の皇帝に遠路はるばる花嫁を迎えに来させることができる、ということです」
アナーヒタは居住まいをただした。
羽目を外し過ぎてはいけない。立場をわきまえなければならない。王女である自分は楽しいだけではだめなのだ。
こんな好待遇はあともう少しだ。自分はもうすぐアルヤ王の王女ではなくサータム帝の皇妃になる。能天気に観光を楽しんでばかりはいられない。タウリスは自分がこの目で見られるアルヤ王国最後の州都だ。
それでも、それでも、最初で最後の旅を楽しむことを許されたい。
父が、それを許してくれる。
父の庇護下にいられるのも、あと、もう少しだ。
到着したその日はもう夜が更けていたので、アナーヒタはすぐにアナーヒタ用にと整えられた部屋に入らされた。
父は非公式にユースフと挨拶を交わしてから寝ると言っていた。アナーヒタとユースフが面会できるのは明日の正式な挨拶の場だ。
でも、もう、同じ城内にいる。
胸の高鳴りを押さえながら一生懸命寝ようと試みる。
早く会いたい、私の旦那様――そんなことを考えながら掛け布団を抱き締める。
あとちょっとだ。明日の朝になれば顔を合わせることができる。
そうはいっても顔合わせだけだ。正式な夫婦になるのはもっとずっと先だ。
けれど今のアナーヒタには自分を客観視することができない。
スーリが笑いながら「おやすみなせいませ」と言って窓掛けを引いてくれた。
「おやすみなさい。ごきげんよう」
「よく眠られませね。旅の疲れが出ませんように」
扉が閉まった。ひとりきりになる。
しばらくの間興奮して布団の上でごろごろと転がった。寝つくまでに時間がかかった。長旅の疲労がなければひと晩じゅう起きていたかもしれない。
嬉しい時も悲しい時も朝は平等にやってくる。
時が来るのはあっと言う間だ。
月が沈み、太陽が昇って、アナーヒタは朝の光を全身に浴びながらタウリスの早朝の空気を吸ったのだった。
運命の日が来る。
アナーヒタはありったけの宝飾品を身につけた。どれもこれもタウリスの街の宝石商から掻き集めた一級品だ。
髪結いに金の髪をまとめさせる。植物の油で丁寧に撫でつけ、花の香りを散らし、瞳の色であり王家の色である蒼い薄布をかぶる。少ししゃれっ気を出して布の下から少々前髪をはみ出させる。若いアルヤ娘の流行りだ。
もともと肌の白いアナーヒタはさほど濃く白粉を塗らなくてもいい。肌の色を少しだけ平らにならしてから、明るい頬紅を丸めに入れて柔らかい印象にしてもらった。
頬紅だけではない。母親に似た冷たい顔立ちを気にしているアナーヒタのために、化粧師は暖色や中間色で目元を彩ってくれた。作業しながら、できる限り暖かく、華やかに、を意識していると語ってくれた。アナーヒタは理解してくれていることに安心してすべてをゆだねた。
仕上がりを見ると、顔の形まで変わったような気がした。
気分がさらに高揚していく。
彼の目に、可愛い娘に映りますように。
父が迎えに来た。
今日は父もめいっぱい着込んでいた。丈の長い衣装を着て、暑いだろうに肩飾りを乗せ、ターバンの上には重そうなターバン飾りをつけている。
「嫁にやるのはもう少し先なんだけどな」
その笑顔が寂しそうに見えた。アナーヒタは「ごめんなさい」と言いながらもにやけた。
「わたし、浮ついておりますね」
「見ればわかる」
「申し訳ございません」
「しょうがないな、ちょっとぐらいなら許してやる」
父の手が伸びる。髪形を崩さないよう、また化粧も落ちないよう、なぞるように慎重に頬を撫でる。
「今までがおとなしすぎたんだ」
「さようでございますか」
目を細める。
「大きくなったな」
それには何と返答すべきか、アナーヒタにはわからなかった。ついつい黙ってしまった。
「繰り返すけど、もうちょっと先だからな。今日は会って話をするだけだぞ」
「もちろんです」
父が踵を返して歩き出そうとする。
アナーヒタは自ら父の腕に自分の腕を絡ませた。父は「こらこら」と笑ってくれた。
「お前のこういうところをもっと見たかった」
そう言って少し遠くを見る。
「ギルや双子はやりたい放題の言いたい放題なのに。お前だけはずっとおとなしかった」
「きっと生来そういう気質なのです」
「そうなんだろうか。俺はずっとお前はどうしてやるべきだったのか考えてる」
父の侍従官たちの案内で謁見の間としてしつらえられた部屋に向かう。
一歩踏み締めるごとに花嫁に近づいていくのを感じる。
王は謁見の間の正面にある民のための扉は使わない。控えの間にある小さな扉から、壇上、玉座のすぐそばに出られるようになっている。
控えの間の終わり、小さな両開きの扉で、スーリ、ホスロー、ヴァフラムが待っていた。
ホスローとヴァフラムが扉を開けてくれた。
明るい広間だった。
高い天井からは日の光が差して、壁に掛けられた絹布も床に敷かれた絨毯も蒼い。
まるで楽園かのようだ。
否、アルヤ王国こそが、この世の楽園なのだ。
玉座の正面、一段下に数名の青年が立っている。
アナーヒタは緊張で息を止めた。
中央に、ユースフがいる。
今日は彼も着飾っていた。絹の
つい、目と目を合わせてしまった。
さらに緊張を高めて体を強張らせたアナーヒタに対して、彼は安心したのか少し頬を緩めて微笑んでくれた。
やっと、会えた。
「こっちに来い」
父が玉座のほうへ向かって歩き出す。
横幅のある長椅子状の座席は、本来は王ひとりが独占するべきものだが、今日はアナーヒタを王の隣に座らせてくれるらしい。アナーヒタは十八にもなって幼女のように父の隣に座らせてもらえることを喜んだ。
サータム帝国の一同が軽く首を垂れる。
王が玉座につく。
その、一瞬手前のことだった。
怒鳴り声が響いた。
『覚悟しろッ!!』
サータム語の声が広間の天井に反響した。
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