第6話 さあ行こう、お前の新天地へ

 王が自ら帝国の都に赴いて直接皇帝に王女を引き渡すというので、多くの白軍兵士が随行することになった。はっきり言って、見送りの人数よりともに行く人数のほうが多い。


 アナーヒタはこの上なく恥ずかしかった。これほど大仰な花嫁行列になるとは思っていなかったのだ。

 唯一の王女の花嫁行列だ、盛大なものになるのは仕方がない。しかし、自分は宮殿の奥深くで限られた人々としか交流せずに生きてきた。こんなに注目されるのは人生初かもしれない。消えてしまいたかった。


 国中が――否、大陸中が自分の動向を見つめている。

 これほどの重圧はない。

 王女として十八年間生きてきて、今が一番つらい気がする。


 その上、アナーヒタは見送りの人間からも圧力を感じていた。

 彼らはけしてそんなつもりではないと思うのだが――むしろアナーヒタの身を案じてくれていてもっと安らかな気持ちで旅立ってほしいと思ってくれているに違いないのだが、アナーヒタは勝手に不安を感じて緊張していた。


 見送りの人間の中に、シャフルナーズとオルティがいる。


 言葉が出ない。


 あの鉄の女シャフルナーズが、泣きじゃくっている。


「どうぞ、どうぞ、お体をご自愛ください。もう生きてお会いすることは叶わないかもしれませんが、このシャフルナーズ、生がある限り王女殿下の御身を案じておりますゆえ」


 台詞の合間に嗚咽が交じる。


 アナーヒタだけでなく、普段の彼女を知る人間は誰もが予想外の光景に絶句していた。


 この女が泣く日を見ることになるとは思わなかった。

 アナーヒタと彼女の付き合いは十数年に及んだ。リリや乳母たちといった後宮ハレムの人間以外ではもっとも世話になったと言ってもいいだろう。しかし彼女が泣いたところを見たことはなかった。彼女はけして仕事の場では泣かないのだ。


 だが、その彼女が今になって、禁を破って王女の送別という政治的行事に参列しながら泣いている。


 これは、一大事だ。


 けれど彼女は特別アナーヒタの別れを惜しんでいるわけではないと思う。もちろんそれなりの愛情は抱いてくれていたものと思うが、いつもだったら、仕事中にこんなに泣くことはなかった。


 異常事態である。


 妊娠するということは、こんなにも自分を失うことなのか。


 いずれきたるその日を想像して、アナーヒタは勝手に震えた。


「悪いな」


 シャフルナーズの隣に立っているオルティが、ソウェイルに対して気まずそうに言う。


「本当は俺が一緒に行くのが一番いいんだろうけどな。今は無位無官とはいえ、クバードが行かないんじゃ、俺が代理を務めるべきなんだと思う。本当ならな」


 ソウェイルは三度も首を横に振った。


「とんでもない! アナの結婚を祝ってくれるのも俺の身を心配してくれるのも嬉しいけど、まずは自分自身の家族をなんとかしてくれ。まずは何に置いても自分の家族だ」

「そうだよな。俺もこいつのここのところのこの情緒不安定を見ていると、なんというか……すまんな……」

「いいんだ、本当に、気にするな。今ここでシャフラのそばを離れたら一生言われるんだから。俺は詳しいんだ、三人の妻に罵詈雑言を浴びせられながら生きてるから知ってる」

「苦労してきたんだな」

「一応五人の子供の父親だ、任せろ。先輩としていろんな助言を用意しておくから何でも聞いてくれ」


 シャフルナーズが「申し訳ございません」と言って泣き崩れた。オルティも膝を折ってその肩を抱き、「あーあ、あーあーあ」と言葉にならない声を上げた。


「もういい、もういいから。シャフラは家に帰ってちょっと休もう」

「ちょっとどころか、わたくし、もう何日宮殿に参内していないか」

「休め。これは上司命令だ。その体調じゃ俺が気をつかうわ。とりあえずつわりが収まったらまた考えよう、俺が戻ってくる頃にはまた状態が変わってるだろ」


 間から覗き込むように顔を出す青年がある。本物の白将軍のクバードだ。アナーヒタにとっては乳兄弟でもある。さほど親しいわけではないが、それなりに見知った相手ではある。


「そうです、陛下。オルティさんが動けないのですし、本当に僕が行かなければならないのでは?」


 彼も真剣そのものの顔をしている。


「太陽をお守りするのが白将軍の務めです。陛下の御為にどこまでもともに参るのが僕の唯一なすべき道なのだと」


 するとソウェイルが苦笑した。


「本当にそう思ってる?」


 クバードが目を真ん丸にした。


「お前は、お前の思うとおりに生きろ」

「ですが陛下――」

「お前が本物の太陽だと思う王子が次の太陽だ。次の太陽を守れ」


 あからさまに動揺してうつむいた。

 そんなクバードにソウェイルが微笑みかけた。


「俺の白将軍はテイムルだけだ。最初から最後まで、テイムルひとりだけなんだ」

「そうおおせになりますか」

「『蒼き太陽』だけが唯一至上の太陽である必要なんてない」


 ためらいながらも、クバードは、頷いた。

 そんなクバードの両脇から、双子が能天気に顔を出す。

 シャーザードがクバードの右腕に、シャーダードがクバードの左腕にまとわりついて、無邪気に「だれだれ?」「だれにする?」と問いかけた。クバードが困った顔をしているうちに、ジャハンギルが後ろから出てきて、双子の首根っこをつかんで後ろに引きずる。


「アナーヒタ」


 双子を両脇でつかまえつつ、ジャハンギルが真剣な顔をした。


「僕らはここまでしか見送れません」

「わかっています」


 この弟たちとも、今生の別れか。

 そう思うと寂しさが込み上げてきて、アナーヒタは一瞬言葉を詰まらせた。

 だが、自分のほうが姉だ。年上の人間として、彼らの前ではしっかりしていたい。


「しっかり勉強するのですよ。それからクバードの言うことをよく聞いて」


 するとジャハンギルはこんなことを言った。


「サータム帝が無体を強いるようでしたらいつでも僕を呼んでください。帝都だろうとどこだろうと、絶対に助けに行きます」


 四つも年下の弟にこんなふうに言われるとは思ってもみなくて、涙が溢れてくる。

 抱き締めることでごまかした。それでも変な自尊心が邪魔をして弟に涙を見せたくなかった。ジャハンギルは察したのかわからないが、アナーヒタを強く抱き締め返してくれた。


「弟たちの面倒を見て、母上様をお守りして暮らすのですよ」

「はい……!」


 ジャハンギルを離した。


「満足か」


 ソウェイルが問いかけてくる。


「そろそろ、行こうか」


 アナーヒタは、しっかりと頷いた。


 振り向く。


 花嫁行列のために用意されたらくだとその輿のそばに、三人の人影があった。


「では、参りますか」


 輿にもたれかかっていた青年が体を起こした。真っ赤な髪、黒い瞳、どこか陰のある笑みを見せる背の高い男は、父王の義弟でもある赤将軍ホスローだ。


「俺たちがしっかりがっちりお守りするんで、皆様ご心配なく!」


 らくだの首を撫でていた青年が片目を閉じて笑う。褐色の短髪に同じく明るい褐色の瞳、日に焼けて色黒の、朗らかであっけらかんとした笑みの男は黄将軍ヴァフラムである。


「タウリスで皇帝陛下にお会いするまでずっとおとも致します。何でも申しつけられませ」


 ホスローのかたわらでおっとりとした笑みを見せる女性、明るい色の長い髪を下ろして帽子をかぶり、やはり明るい色の瞳の目を細めて微笑むのは、桜将軍スーリだ。


「俺ら三人が陛下と王女殿下をお守りするからよ。どーんと構えて王都で待っててくれ!」


 ヴァフラムはそんな威勢のいいことを言い放った。

 クバードが不安げな声と顔で「本当に、頼んだからね」と念押しする。


「あああ、大丈夫かなぁ、くれぐれも王女殿下に失礼のないように」

「俺たちに対して失礼だぞ。なあホスロー!」

「俺は大丈夫だけどヴァンちゃんは基本的にアホだからな。俺は大丈夫だけど」

「どの口が言うてんねん、うちからしたらホスローとヴァンちゃんで二人一組や」


 三人の将軍がからっと笑った。

 アナーヒタからしたらこの三人もほぼ初対面の人間なので緊張する。しかも三人とも後宮ハレムにはいなかった気質の人間だ。本当にうまくやっていけるかどうか心配だが、父が特別信頼している三人だというからなんとかなると信じるしかない。


「それじゃ、旅立ちますか」


 ソウェイルに肩を抱かれる。


「お前の新天地へ」





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