第4話 本当の強さとは

 話はとんとん拍子に進んだ。翌日、黒軍の訓練場でアイダンとユルドゥズの一騎討ちが行われることと相成った。黒軍の幹部たちは快く場所を提供したし、ホスローもサヴァシュも止めなかった。

 アイダンは安心していた。みんなが自分の勇姿を期待してくれているように思えたからだ。


 人生は強さこそがすべてだ。


 自分の手で、自分の未来を勝ち取る。


「では、ユルドゥズが勝ったら、ユルドゥズが蒼将軍家を相続し、なおかつアイダンはそこにお嫁に来る。アイダンが勝ったら、すべてなし。ということで」


 ギゼムが笑顔で言う。いつになく楽しそうだ。


 騎乗して向き合ったアイダンとユルドゥズの周りを、見物しにやって来た連中が取り囲む。


 スーリをはじめとするアルヤ人の女たちは心配して「やめなさいよ」「こんなの無茶よ」と言うが、チュルカ人たちは大盛り上がりだ。


「いいぞ、やれやれ! 派手にやれ!」

「戦士の何たるかを見せてやれ!」

「黒軍の誇りを賭けてやれ!」


 高みの見物、どこからともなく持ってきて用意された椅子に座り、サヴァシュが言う。


「なつかしいな。俺がガキの頃も俺の姉貴が自分の結婚をかけてこんなことをしていたっけな」


 草原のチュルカ人ではよくある話なのだ。

 自分はチュルカ人の女としてあるべき姿を見せようとしている。

 やる気が出た。


「いいですね、ユルドゥズ」


 ギゼムに言われて、ユルドゥズが泣きそうな顔をする。


「嫌ですよ! 何にもよくないです! 何が悲しくて好きな女の子と決闘しなきゃならないんですか、怪我でもさせたらどうするんですか?」


 アイダンは「ああ?」と頬をひきつらせた。


「テメエごときがこの私に傷をつけられると思ってんのか?」


 ユルドゥズはぼそぼそと「自信はないけど」と言った。弱腰だ。こんな男と生涯添い遂げることになるなどあり得ない。


「テメエの身を心配しな。私は殺す気で行くからな」


 黒軍兵士たちから勝ち鬨が上がった。


「行くぞ」


 アイダンは腰の剣を抜いた。馬上で振るう大振りの剣だ。黒軍で用いられる一般的な剣である。使い慣れた、握り慣れた柄の剣だった。


 ユルドゥズもしぶしぶながら剣を抜いた。アイダンが今握っているものと同じ剣だ。自分の剣がないと言うので黒軍で貸し出したのである。

 自分の武器を持たない――それもまたアイダンの怒りに火をつけた。チュルカ人でありながら、それもグルガンジュ族の王族の血を引きながら日常的に剣や弓を取らないユルドゥズに腹が立つ。


「用意」


 ギゼムが高らかに宣言した。


「はじめ!」


 先手必勝、アイダンはユルドゥズの真正面に突っ込んだ。


 一撃で叩きのめしてやる。


 剣を振る。


 首を落とす。


 そのつもりだったのに――


 ユルドゥズの剣が、アイダンの剣を受けた。


 硬い。


 ユルドゥズがアイダンの剣を払い除ける。

 その腕力に驚く。

 強い。


 第二撃、今度は下から斬り上げるように剣を振るった。

 それをユルドゥズは馬を引いてかわした。

 ユルドゥズの馬が後ろ足で立つ。その絶妙な均衡にユルドゥズは耐え抜く。足腰がしっかりしている。


 ユルドゥズが一馬身距離を置こうとする。


 アイダンは追いかけた。


 手綱をつかみながら、アイダンは焦るのを感じていた。


 この男、想像以上にやる。


 馬同士の距離が開いた。剣では届かない。


 アイダンは剣をしまった。そして腰に提げていた弓袋から弓を取った。


 背に負うていた矢筒から矢を取る。

 つがえる。

 射る。


 その一連の流れは黒軍随一だと言われていたが――ユルドゥズは難なくかわした。


「あっぶね」


 そう呟く様子には余裕さえ感じられた。


 弓をつかんだまま突っ込む。

 ユルドゥズがさらに引く。


 彼は逃げる一方のように見える。

 だがアイダンにはわかる。

 逃げることができる時点で、判断力や馬を操る能力がある、ということだ。


 次の矢を放った。

 ユルドゥズは身を低くしてかわした。


 さらに距離を詰めようとする。

 ユルドゥズがさらに逃げていく。

 このままでは訓練場を出てしまうのではないか。


「やっちまえ!」

「追い詰めろ!」


 男たちの野太い声が聞こえる。

 期待に応えるためにも、やるしかない。


 駆ける。

 どこまでも、どこまでも、追いかける。


 やがて、訓練場の果て――蒼宮殿の壁際に追い詰める。


 逃がさない。


 アイダンは弓をしまい、ふたたび剣を抜いた。


 剣と剣がかち合う。金属音が鳴り響く。


 だがユルドゥズの押す力が重い。おそらく単純な腕力だけでは敵わない。


 ユルドゥズから武器を奪いたい。


 アイダンはユルドゥズの手の甲を狙った。手を斬れば剣を握っていられなくなるだろうと思ったのだ。


 意図を察したのだろう、ユルドゥズは自ら剣から片手を離した。


 腹の底が熱くなるのを覚えた。


 怒りだ。


 真剣勝負だというのに、こいつは武器を手放そうとしている。


 ユルドゥズが剣から右手を離し、身を引いたことによって、アイダンの刃は宙を切った。


 次の瞬間だった。


 アイダンは目を丸く見開いた。


 ユルドゥズは剣を捨て、鞘を握った。


 鞘の先端で、近づいてきたアイダンの腹を突く。


 みぞおちに入った。

 手綱を離しそうになった。

 苦しい。


「アイダンちゃん」


 ユルドゥズが焦った声を出す。


「もうやめよう」


 怒鳴った。


「逃げるな!!」


 その直後だった。


 ユルドゥズは、鞘を腰に戻した。


 そして、馬から降りた。


 戦いの最中に、馬から降りたのだ。


「もういい」


 悲しそうな顔をしていた。


「こんな乱暴なことをしてまで君が欲しいわけじゃない」


 悔しい。


「俺の負けでいいよ」


 呼吸を整えるのもそこそこに、アイダンも馬から降りた。ユルドゥズと同じ高さに立つためだ。上から叩き切る卑怯者になりたくなかった。


 剣を振りかぶった。

 脳天に振り下ろす。


 ユルドゥズが手を伸ばす。

 アイダンの刃をつまむようにつかみ、止める。


 押しても引いても、彼はアイダンの剣を離さなかった。


 アイダンも剣を捨てた。

 ユルドゥズも剣から手を離した。

 剣が地面に転がる音がした。


 ユルドゥズに体当たりをする。

 彼はそれを受け止めた。

 二人で地面に倒れた。


「くそっ」


 ユルドゥズの体に馬乗りになる。

 腰の革帯ベルトから短剣を取り、振りかぶる。

 彼の冷静な目がそれを見つめている。


 彼の鼻先で、短剣を止めた。


「このままだとお前の鼻がえぐれるぞ」

「やりたかったらやってもいいよ」


 彼はあくまで、落ち着いていた。

 これではまるで熱くなっているのが自分だけかのようだ。


 両手で握っていた短剣から、左手を離した。右手で柄を握ったまま、自分の体の脇に下ろす。


 最初から最後まで、ユルドゥズは冷静だった。

 それがすべてのように思われた。


 強さとは、何だ。


「アイダンちゃん」


 ユルドゥズが優しい声で言う。


「泣かなくていいよ」


 言われてから、自分の頬を涙が伝っていることに気づいた。


「アイダンちゃんは強いよ。すごく強かった。俺、逃げることしかできなかったでしょう?」


 左の手の甲で自分の頬を拭う。


「でもさ、俺、本当に強いっていうのはそういうことじゃないと思ってるんだ」


 ユルドゥズの手が伸びる。

 彼の手が、アイダンの頬に触れる。

 彼の手も、大きく、筋張っていて、戦う者特有の厚みがあった。

 父の手に似ていた。


「戦いたい時に戦うんじゃなくてさ、守りたい時に戦うのが、本物の戦士なんじゃないのかなぁ」


 短剣から完全に手を離した。


 いつの間にか、みんな静まり返っていた。二人に声をかける者はいなかった。


「いや、わかんないけど。俺、戦争行ったことないし。アイダンちゃんの言うとおり、平和な時代に能天気に生きてきたよ」


 声を絞り出す。


「でも、私にはお前を倒せなかった」

「え、いや、俺の上に座ってるじゃん今」

「負けを認めたくない」

「認めなくていいんじゃん? 今その剣で俺の首を掻き切れば終わりだよ。アイダンちゃんの勝ち」

「そんな投げやりな」

「もともと俺が始めたくて始めたんじゃないしね」


 アイダンの頬の涙を拭った後、長い黒髪を少し撫でた。そして、「よし」と気合を入れた声を出した。


「もうおしまい。俺は諦めて実家に帰ります」


「おい」


 そこで割って入ってくる声があった。


 声のしたほうを見ると、いつの間にか立ち上がって近づいてきたらしいサヴァシュがそこに立っていた。


「気に入った」


 アイダンは長い睫毛をしばたたかせた。


「アーと結婚するかどうかは別として。俺は、ユルドゥズ、お前を認めてやる」


 ユルドゥズの上から退きつつ、「どういうことだ」と尋ねる。ユルドゥズも上半身を起こす。


 二人を見下ろすサヴァシュの目は、優しかった。


「今、お前、言ったな」

「何をですか?」

「戦いたい時に戦うのだけが戦士のすることじゃない。本当に強いってのは、そういうことじゃない。……俺も、心からそう思う」


 ユルドゥズも目を真ん丸にした。


「それをわかっているお前に、託したいものがある」





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