第3話 蒼将軍家の相続問題

 アイダンは八人兄弟の上から二番目の長女だ。長男ホスローを筆頭に、アイダン、次男、三男、次女、四男、三女、四女といる。


 どんな取り決めがあったのか知らないが、両親は、息子にはアルヤ系の名前をつけ、娘にはチュルカ系の名前をつけた。どちらにも平等に馬を与えて言葉を教えたが、息子にはアルヤ人の服を着せ、娘にはチュルカ人の服を着せた。したがって息子たちは自分たちを生粋のアルヤ人だと信じており、娘たちは自分たちをチュルカ系アルヤ人だと思い込んで育った。


 アイダンは自分をアルヤ人だとすら思っていない。この国の神を信仰していないからだ。


 義兄のことは嫌いではなかったが、彼を崇拝してはいなかった。善なる太陽神と悪なる闇の神の果てなき闘争の神話より、ありとあらゆる生き物に神が宿り狼を自らの祖先とする神話のほうを身近に感じていた。


 自分はあくまでチュルカ人の娘として生まれた。そして、アルヤ在住チュルカ人として育った。


 アルヤ人社会にはなじまなかった。なじみたいとも思っていなかった。自分を育てたのは最強のチュルカ人戦士であるサヴァシュであり、また平原チュルカ人の王女であるギゼムであり、草原からやって来た黒軍のチュルカ人騎兵たちだ。


 その自分が、アルヤ王国の平和に染まり切って堕落した軟弱なチュルカ系アルヤ人と結婚させられようとしている。


 気分が悪い。


 こういう時はギゼムに会うに限る。


 ギゼムはアイダンのすべてを肯定してくれた。チュルカの戦士であることの誇りをたのみ、女であっても騎乗して弓を射ることをよしとしてくれた。


 だらしない甥に物申してくれるはずだ。

 そして、嘆いてくれるはずだ。

 この国には、もう、騎馬戦士は必要ない――弱腰なそういう考え方を喝破してくれるはずだ。


 蒼将軍家の門をくぐる。

 家令を筆頭とした家来たちから下働きの召し使いたちまで揃って頭を下げてくる。それを当たり前のものとして受ける。


 玄関を抜けてから、ふと、振り返った。


 そういえば、この家は今でも蒼将軍家と呼ばれている。エスファーナが首都と定められて以来二百年にわたって蒼将軍を輩出してきた家だからだ。

 ギゼムはその最後の蒼将軍に嫁いだ。そしてその夫亡き後ひとりでこの家を守っている。


 蒼将軍ナーヒド――どんな男だったのだろう。


 何はともあれ、ギゼムだ。


 家の女中に案内させて、彼女の部屋に向かった。


 歩きながら女中が言った。


「今、奥様にお客様がお見えですよ」


 アイダンは瞬きした。


「そんな中に私が入っていって大丈夫なのか?」


 女中が微笑む。


「オルティ様とユルドゥズ様ですから」


 複雑な心境だ。


 アイダンはオルティに好感を抱いていた。彼こそ戦士の中の戦士、グルガンジュ王国の誇りを受け継いだ生粋のチュルカ人だからだ。

 筋の通った言動、戦う者として完成された体格、何もかも理想どおりで憧れの存在であった。彼に会えるのは嬉しい。それに、アイダンが今ギゼムに求めているものを彼もまた肯定してくれるのではないかと思った。


 しかし、同時に、ユルドゥズもいる。

 渦中の男だ。問題の男で、アイダンは言うなれば彼の悪口を言いに来たわけである。ここで喧嘩をするのはさすがのアイダンも気が引ける。自分もいい加減二十二だ、正面切って人と対立するのは避けたい。


 とりあえず、ギゼムとオルティがいるなら大丈夫だろう。

 あの二人だったら、軟派なユルドゥズを否定してくれるだろう。


 部屋の扉を開けた。


 ギゼムの部屋はアルヤ風に整えられていた。そもそも幕家ユルトではなく石造りの家である時点でチュルカ風も何もないのだが、アルヤ絨毯が敷かれ、象嵌ぞうがん細工の家具が置かれている。

 どうやら亡き夫ナーヒドの趣味を忠実に再現したものらしい。

 結婚とはそういうものか。


 奥にギゼムが座っており、手前にユルドゥズの背中が見える。そして横、ギゼムとユルドゥズ両方の顔が見える位置にオルティが座っている。


 アイダンはむっとした。

 ユルドゥズだけでなく、ギゼムとオルティもアルヤ風のゆったりとした服を着ている。袖の手首は広がっていて、袴の足首も絞られていない。

 まるでチュルカ系アルヤ人の家に来たみたいだ。


「いいところに来ましたね」


 ギゼムが微笑む。アルヤ語で話す時、彼女はアルヤ人の貴婦人のように丁寧な言葉遣いをする。


「お前とも話をしたいと思っていたところです」

「何を?」

「とりあえずお座りなさい」


 言われるがまま、オルティの向かいに座った。


 ユルドゥズがだらしなく相好を崩した。人目もはばからず「アイダンちゃん」と猫撫で声を出す。気色悪い。


「話はあらかた聞きましたよ」


 ギゼムが言う。

 アイダンは顔をしかめて「何の」と尋ねた。

 ギゼムはにこにこと微笑んでいる。


「このユルドゥズがお前に求婚しているそうですね」


 話はここまで広がっていたのか。


 ユルドゥズの顔を見た。

 彼は照れても恥じらってもいない。先ほどと何ら変わらぬ笑顔だ。


「その話がどうかしたんですか? 私としては気色悪いんでこれ以上深く追及しないでほしいんですけど」


 ぶっきらぼうに言うと、ギゼムは笑みを消した。


「そうですか、お前としては納得がいっていないのですね。残念です」


 アイダンは目を丸くした。


「お前とユルドゥズが結婚してこの家を継いでくれたら、と思っていたのですが」


 青天の霹靂だ。仰天してしまった。


「えっ、なに?」


 ギゼムは至極真面目な顔だ。


「ユルドゥズにこの家を譲ろうかという話になっているのです。そこにお前が嫁に来てくれたらと考えておりました」


 首を横に振りながらギゼムの前に手をついた。


「正気ですか?」

「ええ、私は真剣ですよ」

「どうしてこんなクソ野郎に」

「そういう汚い言葉は慎みなさい」


 ぐっとこらえる。


「クソも何も、私からしたら信用のおける弟の息子で、身元のしっかりした甥ですから。それに実家では継ぐものがないというので――アルヤ風に長男である兄があれこれを相続してユルドゥズは行き場がないというので、では、ちょうどいいかしら、と」


 とっさにオルティの顔を見た。

 オルティは肩をすくめていた。


「オルティさんは何て?」

「姉貴の好きにすればいい。俺が口を挟む気はない。今日も意見しに来たというよりは証人になりに来た感覚で、何か言おうというわけじゃない」

「でも――」


 アイダンはうつむいた。


「私は、この家はオルティさんが相続するものだと思っていた」


 オルティが「は?」と呟く。


「どうしてまたそんな突拍子もないことを」


 だがアイダンからすれば現実的な話だったのだ。

 ギゼムからしたらこの十個年下の弟こそ唯一の血縁だ。なおかつ、身の回りで一番しっかりしていて家の管理のようなことにも向いている。何より、アイダンは彼なら叔父として仰いでもいいと思っていた。自分の第二の実家であるこの家を、オルティが守ってくれる、というのは、安心安全だと思っていたのだ。


「アイダン」


 ギゼムが優しい声で呼ぶ。そちらのほうを向く。


「実は、オルティは近々婿に行くことが決まりました」


 衝撃を受けた。


 ギゼムは何のこともない顔で言う。


「フォルザーニー家に入ることになったのです。あちらはあちらで別にもうすでにご当主やそのご子息がいて特別することはないでしょうが、常に人手を欲しているそうですから、やることはあるでしょう」


 そして、「それに」と苦笑する。


「もうオルティを解放してやりたいという気持ちもあります。この子は二十年無我夢中で働いてきました。居心地のいい家を探して定住に挑戦してもいいでしょう」


 言葉が出ない。


「だいたい、この家はナーヒドさんの家だしな」


 オルティが言う。


「俺はナーヒドさんとは相性があまり良くなかったからな。姉貴がいなければこの家にいる理由はない」


 息を飲む。


「継ぐならお前だろう、アイダン。お前が一番ナーヒドさんに可愛がってもらっていたんだからな」


 拳を握り締めた。


「憶えていない」


 はあ、と溜息をついたのはギゼムだ。


「まあ、仕方がありませんね。お前は三歳かそこらでしたから」


 それでも彼女が悲しげなのは胸が痛む。


「それに旦那様とサヴァシュさんがあまり仲が良くなかったのです。だから今までこの話はしないようにしてきました。旦那様よりサヴァシュさんを選ぶというのならば、それはそれで私にとっては悲しいことですから」


 アイダンにとってはサヴァシュこそ唯一無二の父親だ。


「ですから、なおのこと。まずユルドゥズにすべてを譲って、アイダンがユルドゥズを気に入ってくれたら正式にこの家に入る、というのが私にとっては理想の形なのです」

「勝手なことを」


 呟くと、ギゼムが「すみません」と珍しく下手に出た。


「そう、勝手なことですね。私の願望です。ですが悪い提案ではないと思っていました」

「だいたい私はこいつが嫌いだ」


 ユルドゥズが「えっ」と言った。


「なんで? 俺嫌われるようなことしたっけ」

「言っただろ、私は私より弱い男と結婚する気はないと。テメーみたいなへらへらしてる奴なんざ輪をかけて反吐が出る」


 すると今度はオルティが笑った。


「どうだろうな、イッキ兄は俺より強かったからな」


 ユルドゥズが目を真ん丸にしてオルティのほうを見た。


「ユルドゥズがアイダンより弱いとは限らないぞ」

「それは面白い話ですね」


 ギゼムも声を漏らして笑う。


「では、力試しですね。アイダンとユルドゥズのどちらが強いか、見てみましょう」

「えっ、ちょっ、ちょっと待ってください。どういうことですか、俺は何をすれば――」

「決闘だな」


 オルティとギゼムは、戦士なのだ。


「決闘しろ、決闘」


 アイダンはすぐさま頷いた。


「やろう。やってやる」


 ユルドゥズが「ええー」とか細い鳴き声を上げた。






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