第2話 チュルカの戦士がいらぬ時代

 我慢できなくなったアイダンは、次の勤務の時、黒軍の幹部たちに事のあらましをぶちまけた。


 アイダンは期待していた。


 グルガンジュ族の生き残りという本来重いさだめを背負っているはずの若者が、黒軍のチュルカ人騎兵隊に身を置く者とはいえアルヤ生まれアルヤ育ちの女に求愛している。それも、緊張感のない笑顔で、能天気に巨大な花束を抱えて、だ。


 そういう青年を、みんな揃って批判してくれるものと思っていた。

 ここにいるのはみんなチュルカの戦士で騎馬隊の隊員だ。

 荒ぶるチュルカ騎兵は軟弱な同胞の若者を否定するものと思い込んでいたのだ。


 ところが、幹部たちは声を上げて笑った。


『よいではございませんか、姫』


 ある男が、チュルカ語でそう言う。


 黒軍は今でもチュルカ語とアルヤ語の二言語併用を常としている。基本的に身内で話す時はチュルカ語で、他の部隊の人間と話す時はアルヤ語と決めている。


 アイダンはまぎれもなくアルヤ生まれアルヤ育ちだ。だが、サヴァシュの子に生まれ、ギゼムに育てられた。情けないことにチュルカ語を忘れ完全にアルヤ人として暮らしているホスローとは異なり、アイダンは今でも流暢にチュルカ語を話せる。黒軍の中にいる時は基本的にチュルカ語で過ごしていた。


 自分はチュルカ人だ。平原で育つことこそ叶わなかったが、心は草原の戦士だ。


 その草原に生まれたユルドゥズがあんな調子なのだと思うと、アイダンはなおのこと腹が立つ。


 しかし草原に育った連中がユルドゥズを非難してくれない。


『しかしなかなか面白い男にございまするな、その、ユルドゥズという男は。叶うことならばうてみたい』

『会うて如何する』

『どうもせぬ。新時代の若者の言葉を聞いて新たな風を感じてみたいだけにございまする』


 アイダンは唖然としてしまった。


 年かさの男たちがまだ笑っている。


『サヴァシュ将軍のおっしゃるとおりにござる。拙者も生きている間に姫の花嫁衣装を見られるというのならばそれはそれでありがたき幸せ』

『貴殿は私に結婚しろとおおせか』

『興味がないものをわざわざせよとは申し上げませぬが、いい機会が巡ってきたのでそのような話もしてみようと思うた次第』


 また別の男が言う。


『実のところ、我々も気をつかっており申した。おなごだからとて必ずしも嫁に行かねばならぬとは限らぬ世になり申せば、絶対嫁に行けなど口が裂けても申し上げられませぬ。しかし、姫が年頃になってからは如何せんと様子を窺っており申したのも事実。ご興味があればよい若者を斡旋しようかとも思っており申したものを、なかなかそういう話題になりませぬので』


 思わず下唇を噛んだ。


『姫は我々にとっても娘のようなもの。孫の顔が見たいと思っておりまする』


 孫とはつまり、アイダンに子供を産めということだろうか。話が飛躍しすぎだ。


 ちなみにサヴァシュからすると血のつながった孫はもういる。アイダンには婿に行った弟がいて、去年彼に子供が生まれたのだ。サヴァシュはこの初孫を非常に可愛がっている。兄弟たちは、この弟が親に孫を見せる大役を果たしてくれた、自分たちはお役御免だ、と気楽に考えている。


 黒軍の幹部たちの半分はサヴァシュと同世代だ。それぞれ自分の家庭を持っている者がほとんどだが、それでもチュルカの戦士の血を引くアイダンをとりわけ可愛がって姫と呼んでくれていた。アイダンはそれを当たり前のように受け止めていたが、こうして孫を見せてほしいと言われると急に重荷になった気がする。


『情けないとは思わぬのか』


 彼は、確かに言った。


 ――そうは言ってもソウェイル王のこの太平の世だよ。今のご時世、強いとか弱いとかある?


 気に入らない。


『あの男、今の時代に武勇などいらぬというようなことを言いよった』


 幹部たちが黙る。


『まるで、ソウェイル王の平和な時代は戦士など求められておらぬ、と。意訳するとそうなるのではないか、と思うようなことを口にしよったのだ』


 黒軍は大陸最強の軍団だ。

 アイダンはそれに誇りをもっていた。

 強いことは正義だ。力があるということは国を守れるということであり、大陸のどんな国をも圧倒する誉れ高いことだ。


 否、正義というのは大袈裟かもしれない。アイダンの父親がそうと言ったことはない。それにギゼムやオルティは口を揃えて言う――戦争は最悪にして最後の手段だ、と。アイダンも頭ではわかっているつもりだ。


 しかし、自分は戦士の女として生まれた。

 戦士たるもの強くあらればならない。


『戦士であることを否定されたように感じまいか』


 少し間を置いてから、幹部の女が言った。


『おそれながら申し上げます、姫』

『何だ』

『その若者の申すことが間違っておるとは思いませぬ』


 アイダンは目を丸くした。


 女は苦笑していた。


『ソウェイル王の御世に次の戦があるようには思いませぬ。我々は無用の長物にございまする』


 アイダンが首を横に振っても、彼女は話すことをやめなかった。


『特に今は火砲の時代にございまする。万が一戦になっても、軍の主力部隊は我々騎馬隊の黒軍ではなく砲術部隊である赤軍になりましょう』

『そんなこと――』

『今はまだ弓のほうがあらゆる意味で速くて有利かと存じまする。ですが銃が弓を超えるのは時間の問題かと。それに、馬での移動速度と砲弾の飛ぶ速度と比べると、まあ宙を飛べるほうがいいのは確かかと存じまする』


 ホスローの顔が浮かんだ。

 あの男は頭が悪そうでいて実は四年間きっちりと砲術学校で学問を修めており、大砲や鉄砲隊の運用に秀でたところがあるらしい。アイダンは兄のそういうところを認めるつもりはなかったが、すでにアイダン以外は全員認めているといってもいいかもしれない。


『陛下のことだから解体するとまではおおせにならぬとは存ずるが――』


 副長の男が、改まった顔で言った。


『桜軍、赤軍、地方五部隊、白軍――そろそろ黒軍の改革に手をつけられる頃やもしれませぬ』


 悔しい。


『もう、チュルカの戦士はいらぬ時代になったのか』


 誰も答えなかった。


 一同が黙りこくった。


 静寂は外から打ち破られた。


「黒軍の副長殿はおらぬか!」


 アルヤ語の男の声だ。


 副長がのっそりと立ち上がり、アルヤ語で「ここだ」と返しながら天幕テントの入り口を開けた。


 天幕テントの入り口のすぐそこに、蒼軍の軍服を着た男性が三人ほど立っていた。胸につけた徽章からするに、偉くもなければ下っ端でもない、小隊長くらいの階級の中年の男たちである。


「頼みがあって参った」

「おう、どうした」

「南の門のあたりに遊牧民の一団が押し寄せて暴れている。治安出動にご協力願いたい」


 アイダンは目をまたたかせた。


「武力行使で除くのか?」


 男たちがアイダンを見て不思議そうな顔をした。


「まあ……、結果としてはそういうことになろうな」

「蒼軍は今でも戦闘行動を取ることがあるのか」


 うちひとりが「当たり前だ」と答えた。


「我々は王都の治安を預かる身。暴徒があれば武力をもって鎮圧する」


 うらやましいと思った。

 黒軍は無用の長物なのに、蒼軍は今でも武器を取って戦うことができる。


「私も連れていってくれ」


 男のうちのひとりは「貴様何を言っている」と顔をしかめたが、もう別のひとりが「おい、よせ」と制する。


「こちらの方はアイダン嬢だ。サヴァシュ将軍とユングヴィ元赤将軍のご令嬢で――」


 次の時、アイダンは目を丸くした。


「ナーヒド将軍の養い子だぞ」


 それを聞いて、蒼軍の他二人も改まった態度で「申し訳ございません」と頭を下げた。


 ナーヒド――よく聞く名前だ。


「白軍より王都警邏の務めを割譲されて以来、このような仕事は蒼軍で引き受けております」


 そう言い、三人が敬礼した。


「アイダン様もご見学なさるとおっしゃるならばお連れ致します。大した規模の乱闘でもございませんので、お手を煩わせることもないかと存じますが」

「そう……、そうか」


 引っかかるものを感じながらも、アイダンは頷いた。


「連れていってほしい」




 蒼軍の男たちの言うとおり今回の事件も大したことではなかったが、アイダンは果敢に戦う男たちを眺めていろいろ考えてしまった。

 戦うというのは、どういうことなのだろう。




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