第7話 幸せな笑み
「――というわけで、結婚することになりました……」
夕飯の時間帯を狙って蒼宮殿に行ったら、ソウェイルだけでなくリリも待機していて、二人がかりで祝われた。こんな恥ずかしいことがあるだろうか。
「やっと! やっとこの時が来た!」
「俺たちはお前を待たせていたのか?」
ソウェイルが「苦節二十年」と言って涙を拭うふりをする。オルティは「どうして第三者のお前が?」と顔をしかめた。
一方リリはこんなことを言う。
「まことによろしい。これで娘をもうけてジャハンギルと結婚させればこの国は安泰ぞ」
ソウェイルが「ええ!?」と叫んだ。
「すぐ妊娠しても十五歳差だろ」
「なんぞ問題があろうか。結婚とは家と家のためにするものである。当人たちの個人的な属性など意味はないのだ」
「よその国からお嫁さんを貰おうと思ってた……」
「この大陸にはアルヤ王国の次期国王が婚姻政策を取らねばならぬほど富める国はない」
オルティの隣でずっと黙っていたシャフラが、真っ赤な顔をしてちぢこまる。
「娘、ですか……。子供、産めるでしょうか……。作るのでしょうか……」
彼女らしからぬ小さな声に、オルティは溜息をついた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。ソウェイルがこういう話題を好んでいるということは知っていたが、今日はリリまでおおはしゃぎだ。せめてひとりずつ対応したかった。
いや、まとめて済ませてもう二度とこんなことにはしないと思えばよかったのか。こういうことには答えがない。答えが出たとしても二度目がないので答え合わせはできない。
二度目はないだろう。
自分は生涯シャフラと一対一で添い遂げると思う。
特に根拠はないが、ここは、シャフラより魅力的な女性はいないからだ、ということにしておきたい。
おぼろげだった将来像が、焦点を結んでいく。
悪くない人生だ。
少なくとも、肩にのしかかっていた重圧はなくなった。
これからはシャフラの仕事の邪魔にならない程度に好きに生きていきたい。
まだあと二十年は生きられるだろう。たかが二十年、されど二十年だ。その間子供のひとりやふたり作っておくのもいい。オルティはもう次世代にあれこれを引き渡すために必死になることはないだろうが、それでもつなげるものがあるならつないでおきたかった。
しかしまずはともかくシャフラ自身だ。当面は彼女が幸せそうにしていれば十分だ。
彼女には二十年苦労ばかりさせてしまった。
それを癒すためにしばし二人でぼんやり過ごしてもいいのではないか。
ただ、シャフラがあまりにもぼんやりしているので、仕事に支障をきたさないかが心配だ。そこはソウェイルがうまくやってくれると信じたい。
オルティの心を読んだかのように、ソウェイルが「まあいいだろ」と言う。
「俺はお前ら二人が幸せになってくれるならいい。別々の道をゆくって言うんなら止めはしなかったけど、どうせならまとめて俺のそばにいてくれるほうが安心だ。俺も最大限二人の生活を守るために努力する、お前らには世話になってきたからな」
苦笑してしまった。この間姉とソウェイルへの恩返しが済んだという話をしたばかりだったのだ。そのソウェイルが自分たちに恩を感じているというのならお互い様で、それが友情なのかもしれなかった。
「お前としては、この結果はどこまで織り込み済みだったんだ?」
彼が首を横に振る。
「結婚させるために罷免するのはあまりにも酷い上司じゃないか? 個人の事情に頭を突っ込んで。そりゃ俺は過去に身近な男女をくっつけてきた前歴があるけど」
「そうだな、結構王命で結婚したな……」
「そうなってくれればいい、とは思ってたけど、後は当人たちの気分次第だろ。そこまでうまくやれるなら俺は予知能力者で魔術師どころか神だ」
アルヤ王国の『蒼き太陽』にまつわる不可解な仕組みを嫌というほど思い知らされてきたオルティは、何も言えなかった。
「じゃあこれからオルティはシャフラの家に引っ越しするんだ?」
「そういうことになる。まだ当面は準備のために姉の家に世話になろうと思うが、年内にはな」
「年内には子作りが始まるのだな」
「産休育休の予定を組まないとな」
「お前ら最低だな」
シャフラが赤い頬を自ら押さえて、大きく息を吐く。
「シャフラ」
ソウェイルに名を呼ばれて、弾かれたように顔を上げる。
「今、幸せ?」
問われると、彼女は笑みを浮かべた。
今までに見たことのない笑顔だった。
緊張のない、穏やかで、少女のような透明感のある、それでいて今にも泣き出してしまいそうな感情のたかぶりも添えたその笑顔は、まさしく満面の笑みというにふさわしい。
彼女にもこんな顔ができるのだ、と思うと、オルティは誇らしい。
「はい。幸せです」
ようやく会えた叔父が結婚してこの家を出ていくことになってしまった。
ユルドゥズは伯母の家の中庭でひとり膝を抱えて夜空を見上げていた。
もともと会えたからと言って何か用事があるわけではなかった。ただ会って互いの無事を確認できればよかった。
チュルカ語も話せない、かろうじて弓と馬ができるだけの自分には、グルガンジュ王国の再興などといった大それたことはできない。叔父の期待には応えられない――と思っていたら叔父もそこまで考えていなかった。いいのだか悪いのだか。
これからどうしよう、と半べそで考える。
実は、ユルドゥズは兄との相性があまりよくなかった。
兄は優秀な人で、亡き父からチュルカの戦士としての心構えを受け継いでいた。本当に戦いに行くことはないものの、それなりに強くたくましく生きている。妻も三人あって、結婚もせずいつまでも実家に居座っているユルドゥズは子守に追われていたし、なんとなく居心地が悪い。
家もなく職もないのはユルドゥズのほうだ。
伯母や叔父に何か指示されて唯々諾々と暮らしたかったのかもしれない。
とにかく、今日も何の成果もなく兄の家に帰るのは嫌だ。泊めてもらおうか、朝が来るまでどこかでぶらつこうか。
ここでこうしていても仕方がない。とりあえず、家の中に引っ込んで、伯母に夕飯をねだろう。
そう思っていたところだった。
鋭い気配を感じた。
誰かがどこかから自分を見ている。
殺気だ。
さすがのユルドゥズも戦士の血を引く者としてそれくらいはわかる。
腰の短刀に手を伸ばす。
厳重に警備されているこの家で強盗やらが出るとは思えなかったが、伯母や叔父とは対立せずともユルドゥズと対立する可能性はある。
覚悟を決めて問いかけた。
「誰だ」
するとチュルカ語の返事が来た。
『そちらこそどなただ。見たところ平原チュルカ人のようだが、どちらからどういう経緯でここに?』
若い女性の声だった。低く唸るような警戒心をあらわにした声だったが、ユルドゥズは少し緊張を解いた。
玄関方面の柱廊の柱の陰から、女性の姿が見えてくる。
月明かりに照らされた彼女の姿を見て、ユルドゥズは息を飲んだ。
美しい女性だった。
長く滑らかな黒髪を数本の三つ編みにしている、黒地に銀の刺繍の北方チュルカ人の民族衣装を着た女性だ。見るからに平原の北部の戦闘民族の娘だが、きっとアルヤ人との混血なのだろう。二重まぶたの目、厚い唇はたいへん魅力的だ。
胸を射抜かれてしまった。
「すみません、俺、チュルカ語が話せないんです」
そう言うと、彼女は美しい顔を虫でも見たかのように歪ませて、アルヤ語で言った。
「お前ナメてんのか。その服、グルガンジュ族だろ。オルティさんとギゼムさんに失礼だと思わねぇのかよ」
乱暴な口調が一周回って可愛い。
「あの、あの、あなたは……? どちらのお姉さんで……あの、お名前は……?」
彼女はなおも気持ちが悪そうな表情をしたまま、こう答えた。
「今日は気分がいいから教えてやるよ。私はアイダン。黒将軍サヴァシュの長女だ」
運命の女性と出会ってしまった。
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