第4話 オルティの優先順位

 翌朝、オルティはフォルザーニー宗家の本宅の正門前に来た。


 シャフラに会うと決めたのはいいが、いつどう声をかければシャフラが捕まるのかわからない。


 彼女は日中蒼宮殿で政務に励んでいる。最近はどちらかといえば外務が多いソウェイルに代わって内務の仕事をしていることが多い。


 ソウェイルの考えたとおりの言動を取る彼女に、ソウェイルは多くをゆだねている。周囲もそれをわかっていて、彼女を宮廷における第二の王として認めている。今の時代、シャフラの言葉は王の言葉であり、シャフラの行動は王の行動だ。


 彼女はもともと官僚出身だ。若い官僚たちは彼女に全面的な信頼を寄せている。頑迷な老人たちはいまだに女の風下に置かれるなどと陰口を叩いているようだが、表向きはシャフラがまとう王の威光にひれ伏すばかりだ。


 議会も彼女にたてつこうとはしない。

 議長を筆頭とする議会幹部たちがフォルザーニー一族で占められているためだ。

 昔の議会は王の権力を制限する厄介な機関であったが、今の議会は王に背かない。シャフラが間に入ってすり合わせをしているので、互いに反発するほどの意見の相違を見たことがないのである。

 それでも衝突しそうになれば、彼女は議会で権力を握っている父や兄に秘密裏に掛け合った。彼女の父親は娘にあれこれを吹き込まれた結果自分たちに従順に見える若い王を可愛がっていたし、王もなんだかんだ言って議会が自分の意のままになるので放置している。


 宰相シャフルナーズ・フォルザーニー――アルヤ王国の歴史において、第二王妃リリと並んでこの時代を象徴する女性である。


 そんなのに気軽に会おうと思うのが間違いだ。


 もうこの何年も一緒に仕事をしてきた気がしていたが、それはオルティが仕事でソウェイルに張り付いていたからだろう。


 ここに立つと変な思い出がよみがえってくる。

 もう二十年近く前のことだが、ベルカナの遣いでシャフラを訪ねた日のことだ。

 あの時、十六歳の少年であったオルティに、フォルザーニー家の門を守る私兵が言った。


 ――アルヤ人の姫君は身分や民族にかかわらず私用では男性とお会いにならないよ。恋文なら預かってあげるから帰りなさい。


 呆然と立ちすくむオルティに、あの頃と変わらぬ揃いの服を着た私兵たちが立ちはだかる。


 本来なら、彼女には手紙を渡すことすらできない。


 呆然と屋根を見上げていると、私兵に話しかけられた。

 オルティは最初驚いて肩をすくめてしまったが、彼らは言う。


「オルティ将軍代理殿ではございませんか。我が家にご用がおありでしょうか」


 言われてから、はっとした。


「ご当主様でしょうか、シャフルナーズ様でしょうか?」


 シャフラが政治の出世街道を駆け上がったのと同時に、自分もソウェイル配下の一の武官として顔と名前を売ってきたのだ。


 これならシャフラの隣に並び立ってもおかしくない――と思いたいがやはり住所不定無職である。


「いや、少しシャフラと話ができたらと思ったのだが、やっぱりいい」

「さようでございますか」


 もうひとりの私兵が言う。


「シャフルナーズ様ならご出勤されたので、宮殿で陛下のおそばについているはずですが」

「早いな」

「陛下にお会いできる政治家の中では一日でもっとも早くご挨拶すべきである、とのご信条のようでして」


 どんなに偉くなってもこういう真面目なところがあるからソウェイルの信頼を勝ち得ているのだろう。シャフラは本当に立派だ。


「オルティ殿も陛下のもとへゆかれては?」

「そうだな」


 無官の自分が、と思うと気が重かった。会いに行ってもいいが、ソウェイルがこの時間仕事をしているというのなら、彼に公私混同させてしまう。気が進まない。


 溜息をついて、宮殿のほうに向かった。


 ソウェイルの公務の予定は一日中ぎちぎちに詰まっているわけではない。体があまり丈夫ではない彼は時々茶の時間を設けていた。そういう時を狙っていけば話ぐらいはできる。


 シャフルナーズ宰相よりソウェイル王に会うほうが楽、というのも、何とも言えぬおかしな話である。



 十六歳だった頃のことを思い出す。


 自分はあの時も、この時も、彼女に触れられなかった。二人の間には遠い距離があった。


 オルティは気づいていた。


 彼女は自分に少なからず好意をいだいてくれていた。


 長年それに目をつぶってきた自分がいったいいまさら何の用事だろう。黙って消えたほうがいいのではないか。

 今も彼女が想っていてくれる保証はない。ここで進退について相談しても冷たく突き放される可能性は否めない。


 逆に、もしも彼女が今もそうであった場合も、いったいどうするというのか。

 無位無官の自分が彼女に何を与えられるだろう。

 また言い訳をして逃げるはめになりそうだ。


 彼女の仕事の邪魔にはなりたくない。


 今の自分は本当に邪魔だ。


 話しかけることすら、本来なら許されない。



 そう思っていたのだが、クバードに手引きをしてもらってソウェイルに会いに行ったら、王の執務室にソウェイルとシャフラが揃っていて、オルティが入ってきた途端二人とも手にしていた書類を放り出した。


「いや、お前らそれは職務放棄だろ。真面目に仕事をしろ」


 ソウェイルが勢いよく首を横に振る。


「会いたかった! どうして会ってくれなかったんだ、俺は何度も遣いの者をやったのに」

「すまん、単に気分じゃなかった。ああやって逃げるように出ていった手前決まりが悪くて、お前は忙しいだろうと自分に言い訳をして他の人間に挨拶するのを優先した」

「わーっ、俺オルティのそういう素直なところ好きーっ」


 シャフラがふらつくような足取りで近づいてくる。震える手を伸ばし、オルティの左の二の腕をつかむ。少し振り払ったら簡単にはねのけられそうなくらい弱々しい手つきだったが、オルティは黙って受け入れた。


「どうしてわたくしには何もおっしゃらなかったのですか。いつお話しできるかと、ずっと今か今かとお待ちしていたのですよ」


 オルティは溜息をついた。


「お前こそ忙しいだろうと思ってな。白軍のことはお前には直接関係ないし、ソウェイルから話を聞いているものだと思って」

「なんとまあ侮られたものです、王も、わたくしも。これではまるでわたくしより陛下のほうがお暇みたいですし、わたくしには武官のことは何もわからないとおっしゃっているようなものではありませんか」

「後者はともかく前者はそうだろ」


 ソウェイルが外野から「そうでーす」と言った。心底真面目に政治をしてほしい。


「で、今日はいかがなさいましたか。お会いできるのは喜ばしいことですが、なぜ今日という日を選んだのです?」


 昨日ホスローに勧められたから、と言うのも失礼すぎる。それこそホスローより彼女のほうが優先順位が低いかのようではないか。


「いろんな人に今後のことについて相談していたんだが、いよいよお前の意見も聞きたいと思ってな。ただ、大昔、フォルザーニー邸に行ったら、シャフラのようなアルヤ人の姫君はお前のような無名の若者とはお会いにならない、みたいなことを言われたことがあって、今でもまだ一対一で私的な会話をするのは気が引けるんだ」


 シャフラが目を見開く。


「そんなむごいことを申した者があったのですか。くびにします」

「いやいや、やめてくれ。もう十数年前の話だ」


 ソウェイルがそわそわしている。


「とうとうお前とシャフラが一対一で個人的な話をするのか……」

「個人的な話以外ないだろ。今の俺は住所不定無職だぞ。ちょっと前までは仕事の話がいくらでもあったが」

「いつ? いつする?」

「シャフラが暇な時でいい」

「じゃあ今から暇だということにする」


 オルティはようやく気づいた。

 こいつはシャフラの上司なのである。こいつが職権を濫用すればシャフラの仕事もいつでもなくなるのだ。


「なんなら俺今ここ出ていこうか? この部屋をお前ら二人に明け渡して」

「ちょ、ちょっと陛下、突然何をおっしゃいます」

「そうだよな、こんな部屋じゃ雰囲気もへったくれもないもんな。じゃあ午後。今日の午後は急に体調不良になったということで」

「なりません! このわたくしが体調管理のできない女だと思われては困ります」


 シャフラも珍しく興奮していてうわずった声を出す。


「なんとか今から予定を調整いたします。明日の夕方にいたしましょう。今日のうちに書類を整理して、明日の午前中確認するだけにして、昼には宮殿を出られるようにいたします」

「そんなに急がなくていいぞ」


 なぜかソウェイルが「急ぎですぅ!」と言う。


「やだ! 優先順位の一位はオルティ! オルティより大事な用事はない!」

「そんな子供みたいなこと言うな、来年三十五だろ」

「最悪俺が全部なんとかするから。財務官も法務官も総務官も全部俺が相手をするから」


 シャフラが「できるなら最初からそうなさってください」と声を荒げた。本当に、できるならそうしてほしいものだが、これ以上言っても無駄なのでオルティはシャフラと待ち合わせだけして宮殿を辞した。




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