第13話 ホスロー将軍の家

「紹介するわ」


 アーレズは不安でおびえていた。


「俺が一番目のホスロー」


 まず、兄弟で唯一の赤毛でもっとも年長の自分を指す。


「これが二番目のアイダン」


 長い黒髪を数本の三つ編みにしたチュルカ人の女だ。美しいが愛想がなく、にこりともしない。


「三番目のダウリスは木工職人のところに弟子入りして一緒に暮らしてないから割愛。四番目のクロシュも大きな商家に婿入りしたから割愛。――これが五番目のメレク」


 おっとりとした顔で手を振るこの女も、腰を超えるほど長い黒髪をいくつかに編み込んでいるチュルカ系の娘である。


「六番目のシャープール。これがお前と同い年」


 アルヤ人の少年が「よろしくな」と八重歯を見せて笑った。


「七番目のミュジデ」


 アーレズより少し年下の、姉たち同様に髪を編み込んだ少女が「いえーい」と手を挙げる。


「で、八番目、最後にチャウラ」


 十歳くらいの小柄なチュルカ系の少女が「チャウラだよ!」と元気よく自己紹介した。


 男子はアルヤ系の名前がついていて、女子はチュルカ系の名前がついている。ホスローとシャープールがアルヤ人の膝丈の上着にターバンを巻き、四人の娘たちがチュルカ人の細かな刺繍の入った服を着て黒髪を三つ編みにしているところからするに、そういう教育方針らしい。


「とりあえず今家にいる兄弟はこの六人」

「六人……」

「このほかに俺らの親父でご隠居のサヴァシュというおっさんと住み込みの召し使いのお姉さんたちが三人いるんだけど、いっぺんに紹介したってどうせ覚えられないだろ」

「全員一緒に暮らしてるのか?」

「そうだ」


 足し算すると十人になる。


「祝祭日には出ていった男二人も帰ってくるから楽しみにしてるんだな」


 まだ増えるらしい。


 ここまでですでに恐怖を感じるほど緊張しているアーレズだったが――


「忘れるとこだった」


 そう言って、ホスローが自分の腕に絡みついている女の頭を指した。


「これ、俺の嫁のスーリ」


 ホスローと腕を組み、「いやあん」と笑って彼の肩に猫のようにぐりぐりと額を押しつけたのは、おなじみのスーリだ。


「忘れんといて、いけずぅ」

「俺がわざわざ言わなくてもお前ら知り合いなんだろうがよ」

「ええやん、言うて。もう一回。スーリは俺の、何?」

「嫁」

「いややわぁ! 子供の前で! やーん!」

「なーに喜んでんだお前は」


 わかってはいたが、アーレズはそれでも改めて衝撃を受けた。


 スーリがいつぞやに言っていた優しいという旦那が、この、王都の治安の悪いところにいそうな男なのである。

 もっと真面目そうな男を想像していたのに、蓋を開けてみればごろつきの頭領みたいな雰囲気だ。左右の耳には複数の小さな銀の耳飾りをつけていて、口調が荒い。声の抑揚は穏やかで表情の変化にも乏しいのでそこまで怖いとは思わないが、想像と違いすぎる。


 その前に――そもそも、スーリに本当に伴侶がある、ということを認識したくなかったかもしれない。本人を目の前にするまでは、アーレズの中にはどこかにまだスーリが結婚していることを認めない気持ちがあったかもしれない。なんなら、スーリと相性の悪そうな男だったら、もしかしたら、と思う気持ちもあったのかもしれない。


 スーリはところ構わずホスローに絡みついている。スーリのほうがこの旦那に入れ込んでいるのだ。

 この間に入れるとは思えなかった。

 がっかりだ。


「合計十一人」


 気が重い。


「今日からお前の家族だ」


 集団行動は大嫌いだ。


 女の子たちがわらわらとまとわりついてくる。


「嬉しい! お兄ちゃんたちが出ていって寂しかったの。男の子が増えて安心だわ」

「ね、ね、アーレズ兄ちゃんって呼んでもいい?」

「一緒に遊びに行こう! ね、川に行こう? みんなお前だけで行っちゃだめって言うの」


 ホスローが手を叩く。


「はいはい、お前ら、べたべたしちゃだめ。最初からかっ飛ばさないこと。少しずつ少しずつ追い詰めていくぞ」


 言い方というものがあるのではないか。


「まずは、兄ちゃんと仲良くなってから」

「ええー! ホスロー兄ちゃんばっかりずるい!」

「当たり前だろここの家長は俺なんだからよ、まずは俺が長でこの家では絶対なんだということを刷り込まなきゃだ」

「偉そうにしやがって!」

「それが長兄に対する口の利き方か? 長男は偉いんだ、理解しろ」


 先が思いやられる。


 ここまでアーレズはほとんど口を利いていない。兄弟の話を一方的に聞かされているだけだ。話したいことがあるわけでもないし、母のおしゃべりをひたすら聞いている時間も長かったので、沈黙していること自体は苦ではない。けれど、一度にこんな人数の話を聞くのは初めてで目眩がする。


 助けを求めて、一見おとなしそうなアイダンに目をやった。

 目が合った。

 邪悪な目で馬鹿にしたように笑われた。

 彼女はあてにならないことを悟った。


「夕飯の時に中高年も紹介するからな、楽しみにしてろ。なお、女性陣はもっと騒がしくて噂好きで根掘り葉掘りするものとする」


 困る、と叫びたくなるのをこらえる。


「では」


 嫌な予感がした。


「お前のほうからも自己紹介をしろ」


 全員の視線が一斉に集中した。先ほどまで他の人の声がかすれるくらい騒がしかったみんなが沈黙し、アーレズを見つめた。

 居心地が悪い。


 一度、ぎゅ、と目を閉じる。拳を握り締め、叫び出したいのをこらえる。


 逃げられない。


「俺は、アーレズ。……十五歳」


 こんな話などしたことはない。世界は誰もアーレズに興味などないはずだった。アーレズが自分のことを説明する機会など、いまだかつて一度もなかったのだ。

 何を話したらいいのかわからない。


「……終わりです」


 そう言うと、女の子たちが「ええー!」とつまらなさそうな声を上げた。


「どこで暮らしてたの?」

「どんな食べ物が好き?」

「お嫁さんにするならどんな子がいい?」

「きょうだいは?」

「得意な武術とかは?」

「馬は好き?」


 ホスローが「ちょっと黙れ」と妹たちを止めた。

 そしてその次の時、彼は平然とこんなことを言った。


「アーレズは、ソウェイル兄ちゃんと橙将軍のカノさんの息子だ」


 この国で最大の機密に相当する禁忌を口にしたのではないか。

 衝撃を受けて硬直しているアーレズをよそに、ホスローの弟妹たちが頷く。


「じゃあ、わたしたちからしたら甥っ子だね」


 どういう人間関係だろう。


「改めて説明してやろう」


 ホスローは混乱しているアーレズに気づいてくれたらしい。


「俺たちの母親である先代の赤将軍ユングヴィが、ソウェイル王の育て親なんだ。血はつながってないし、本当に母乳を与えたわけじゃないが、実質的に乳母だったと思ってくれればいい」

「はあ」

「お袋は俺たちに王を本物の兄だと思えと教えてきたし、王も俺たちを実の弟、妹のように思って可愛がってくれてる。信頼してくれてる」


 なんとなくわかってきて頷く。


「そういうわけで、兄貴にとってはこの家は信頼のおける家なんだ。大事な実家だと思って、大事なお前を俺たちに預けてくれたわけだ」


 ホスローが、大事なお前、と言った瞬間、心臓がちくりと痛んだ。


 王にとって、自分は大事な息子なのか。大事な実家に預けられるほど、アーレズのことも信頼しているのか。

 先ほど会ったジャハンギル王子やまだ見ぬ双子がいれば次の王はまかなえる。側室の息子である自分は本来大したことのない存在だ。

 それでも、彼は、アーレズを、大事、と言ってくれるのか。


 いや、そこでほだされてはいけない。あの男はそれでも十六年カノや自分を放置してきた男だ。

 その上、特に理由はないが、なんとなく父親という存在がむかつく。


「お前はいつまでもここにいていい」


 ホスローが言う。


「ここではお前に何の役割も求めない」


 目を瞬かせる。

 ホスローが目を細めて笑っている。


「子供でいる必要もなければ大人でいる必要もない。俺ら兄弟に揉まれて適当にうまくあしらい方や付き合い方を学んで集団行動に慣れろ」


 今までアーレズが学んでこられなかったものだ。


「ま、別に、蹴ったり殴ったりはしないから安心することだな」


 ところがそこで彼は「ただ、ここでひとつ」と言って予想外の方向に話を進めた。


「なんと、兄貴に重大なお願い事をされています。いや、アルヤ王に重大な命令を下されていますと言ったほうがそれっぽいか? うちではだいたい同じ意味なのでどっちだっていいんだけどよ」

「えっ、俺に関すること?」

「そう」


 ホスローがにたりと笑った。


「お前に剣術と馬術を教え込めって言われてるんだよなあ」


 全身が震えた。


「明日からはしごくぞ」

「えっ、今、何も求めないって――」

「つべこべ言わずに特訓を受けろ」


 混乱して脳内が回るのを無視してホスローがアーレズの肩をつかむ。


「兄貴は最終的にお前を軍学校に放り込む気だ。アルヤ語、サータム語、数学、大陸史、基礎科学、全部やってもらうからな。覚悟しとけ」

「た……頼んでない」

「アルヤ王がやれっつったらやるんだよ」


 スーリが能天気に「がんばって!」と言った。


「うち、応援だけしてるね!」



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