第11話 髪とともに切り落とされるわだかまり

 スーリに連れられて訪ねた部屋で、ソウェイルが待っていた。


「こっちに来なさい」


 絨毯の上に白い布を敷き、その上に膝をついている。

 何をする気だろう。


 アーレズが部屋の出入り口を入ってすぐのところに突っ立っていると、彼は軽く眉根を寄せた。


「こっちに来い、と言っている」


 唾を飲み込む。


 カノと彼の間のわだかまりは解けたようだった。彼女が無事アルヤ王という保護者に引き取られたのはいいことだ。

 だがアーレズ自身が彼と打ち解けられるかといったらまた別の話だ。


 原因はカノにあるのもわかっている。カノが彼から逃げなかったらこんなことにはならなかった。

 そうとわかっていても、どうしても、この男が十五年間自分を放置していた事実は消えない。


 カノにそんな行動を取らせないようもっと強い信頼関係を築いておけばよかったのではないか。

 本人たちには言えなかったが、アーレズは時が経てば経つほどそんな思いが膨らんでいくのを感じた。


 ここ数日、毎晩仕事を終えて帰ってくる彼にしなだれかかる母を見ていた。


 気分が悪い。


 加えて、ただただ単純に、年上の男性が怖かった。

 アーレズは今まで母と二人きりだった。年上の女性との二人きりの生活に慣れていたのだ。

 家の外では、家なしの浮浪者に絡まれることもあり、それなりに撃退してきた経験はある。けれど家の中にまで入ってきて命令口調で話す男はいなかった。


「お父さんの言うことが聞けないのか?」


 怒鳴られているわけでもない。子供の頃よくカノに向けられていた苛立ちや呆れという負の感情をぶつけられている気はしなかった。

 それでもなんとなく近寄りがたい。


 警戒して動けないアーレズの背を、スーリが軽く押した。


「行くんや」


 よろけるように前へ出る。


 後ろを向いた。

 スーリが扉の前で両足を張って立っていた。

 逃げられない。


 しぶしぶ、彼に近づいていった。


 彼が少し表情を緩めた。そんな顔色のひとつひとつが気になる。


「ここに座れ」


 白い布を指してそう言うので、仕方なく従って座った。膝を折り、正座をした。


「よしよし、いい子だ」


 頭を撫でられた。アーレズはもう十五歳だというのに、だ。腹が立つ。


「じゃ、そのまま動くなよ」


 彼が床に手を伸ばした。膝元に置いていた何かを手に取った。


 アーレズは目を丸くした。


 大きなはさみだった。


「何を」

「動くなと言っただろう」


 右手ではさみを持ったまま、左手でアーレズの前髪を引っ張る。


「やめ――」


 じょきり、という音を立てて、はさみが入った。

 長く伸びた前髪が、膝の上へ落ちていった。


「何す――」

「動くなと言っている」


 先ほどは髪をつまんでいた左手でアーレズの肩をつかんだ。その手の力が信じられないほど強い。これが大人の男性の力か、と思うとやはり怖い。

 逃げられない。


 すさまじい音を立てて髪が布の上に落ちていく。何年も伸ばしたままだった黒髪が、アーレズの頭から離れていく。


 これでは顔が見えてしまう。

 顔を見られたくない。


 しかし今のアーレズにはそうと言うこともできない。焦りを募らせるだけで何もできない。


 ただされるがまま、時が過ぎるのを待った。


 前髪も、後ろ髪も、どこもかしこも切り落とされてしまった。


「スーリ、鏡」

「はい」


 どこから持ってきたのか、スーリが金の枠にはまった化粧鏡を持ってくる。そして強引にアーレズの手に持たせる。


 鏡を見て、アーレズは血の気が引くのを感じた。

 前髪は眉の少し上、側頭部は耳が出るくらいまで、襟足もうなじが出るまで短く切られてしまった。


「よし、完了」


 ソウェイルが言うと、スーリが手を叩いた。


「陛下は器用ですわ。お上手です」

「そうだろ、そうだろ。俺は昔から手先だけは器用なんだ」


 こんな頭では外に出られない。


 ソウェイルの手が伸び、アーレズの手から鏡を抜き取るように奪った。全身が硬直する。


 彼が、左手でアーレズの右頬を、右手でアーレズの左頬をつかむ。


 目を逸らすことすら許されない。


「すっきりしたな」


 彼は緩く微笑んでいた。


「それで、一緒に歩こうな」


 その言葉を聞いた瞬間、かっとなった。

 怒りに任せてソウェイルの手を振り払った。ソウェイルが「おっ」と呟いた。


「行かないからな」

「アーレズ?」

「俺は王都になんか行かない。ここに置いていけ。エルナーズさんと暮らす」

「そんなにエルが好き?」

「タウリスだったら――いや、王都じゃなかったらどこでもいい」


 拳を握り締める。


「あんたと一緒になんか行かない」


 アーレズにとってはせいいっぱいの反抗なのに、ソウェイルは小さく声を漏らして笑った。


「怒ってる、怒ってる」

「何がおかしい?」

「いいことだ。お前にちゃんと喜怒哀楽がある。俺はそれが嬉しい」


 悔しさのあまり涙が出そうだ。


「もっと怒れ。泣いてもいい。好きなように、好きなだけ、感情を表現しろ」

「クソ野郎!」

「それはちょっと口が悪いな。外で俺に対してそんな口を利いたら兵隊さんにしょっぴかれるから気をつけろ」


 それでは中ならいいのか、と思ったが、たぶん、いいのだ。

 この男は今それほど怒っていない。むしろ余裕そうだ。これから先もアーレズが多少反抗したくらいではこんな調子かもしれない。

 腹が立つ。


「いまさら父親ヅラしやがって」


 ものすごい怒りに胸の内が焼け焦げ、喉から怨嗟の声を吐き出す。


「俺は絶対認めないからな。あんたを父親だなんて思わない」

「そうは言っても世界中の誰もがお前のその目と顔を見たら俺の子だと思うだろうな」


 指摘されて、自分の頬を押さえる。だが少し掻きむしったところで顔の形が変わるわけでもないし、さすがのアーレズにも自分の目を潰す勇気はなかった。


「よしよし」


 また、腕が伸びる。

 今度は抱き締められた。

 彼の体から香辛料のいい匂いがした。


「なん……、やめろよ」

「お前の弟たちが小さかった頃よくこうしてた。ギルは大きくなって嫌がるようになっちゃったけど、双子には今も時々こういうことをしている」

「俺だってもう十五だし、だいたいこんなの、気色悪ィ」


 腕の中でもがいた。思いのほかすぐ離されてしまった。拍子抜けしてしまった。案外あっさりしている。

 と思ったら、違うらしい。


「ほら、立て。片づけるから」


 すぐには素直に立ち上がれなかった。

 スーリにも「立って」と言われる。


「うちが片づける。髪の毛捨ててくるわ」


 スーリの手を煩わせてはいけないと思って立ち上がる。スーリが「ありがとう」と微笑む。


 彼女は切り落とされた黒髪をこぼさないよう慎重に白い布をたたんだ。そして、それを抱えて扉のほうへ向かった。


 スーリが部屋から出ていく。

 ソウェイルと二人きりになる。


「ごめんな」


 ソウェイルが言った。


「カノのゆくえをずっと追っていたのは本当だ。だが王の権力を振りかざしてひとりの女性を追い回すというのはできなかった。それにやらなければいけないことは他にも山ほどあった。カノひとりのために国政を中断することはどうしてもできなかった」


 アーレズはまた動揺した。もっと聞きたいような、もう聞きたくないような、複雑な心境のまま黙って続きを待った。


「今回のタウリス訪問も、申し訳ないが、お前とカノに会うために設けたわけじゃなかった。どうしてもサータム帝国の皇帝と会わないといけない用事があった。お前は何にもせずにこの城の中で俺のそういう仕事が終わるまで待っていてくれればいい。けど、まったく無関係の他人の話でもないから、理解できなくてもそれとなく把握しておいてくれ」


 サータム帝国――西の隣国だ。タウリスの西側にある湖、そのさらに西側の山岳地帯を越えたところにある。しかしアーレズにとっては遠い異国の地で、そこに何があってこの国とどんな関係なのか知らなかった。


「……今は何もわからなくていい。少しずつ教えてやる」


 言いつつ、また、アーレズの頭を撫でる。


「スーリには言うなと口止めしておいたけど」


 目と目が合う。自分以外には誰にも見られなかった蒼い瞳が見える。


「橙の剣が話しかけてきたのはスーリでもスーリの剣でもなく俺だ。あいつが俺に助けを求めてきた」


 アーレズは目を丸くした。

 彼の表情は変わらない。


「大陸のみんなが大好きな蒼い魔術師には魔法がひとつだけ使えてな。遠く離れていてもすべての神剣の声が聞こえる。今回もそうだった」

「遠く離れていても?」

「そう」

「でも、剣は普通は聞こえないものだって言ってた」

「お前には剣の声が聞こえるのか? そりゃ願ったり叶ったりだ」


 言ってから我に返って口を閉ざした。


第六の月シャハリーヴァルの四日」


 胸の奥に、突き刺さる。


「何の日かわかるか?」

「俺の誕生日……」

「十五回目のな」


 じわり、じわりと、温かいものが広がる。


「橙の剣は律義で真面目な奴なんだ。だからカノが俺に会いたくないと言っている以上は俺には何も言わないでおこうと思っていたらしい。でも、アーレズが、もう十五歳になってしまったので。時間切れだと思ったみたいだ」

「……騙された、と思ってたけど」


 あの剣は、ずっと、アーレズの父親代わりだった。


「剣は剣なりに俺のこと考えててくれたんだな」

「そういうことだ」


 ソウェイルが言う。


「俺の代わりにお前を見守っててくれたんだ」

「そうか……」

「だからお前にやってもいい」


 まばたきをする。


「母さんのものだ。母さんのものを勝手にひとにやっていいのかよ」


 彼は喉の奥を鳴らして笑った。


「新鮮な反応だ」

「何がだ」

「お前は神剣を貰うということがどういう意味なのかわかってないんだ」

「それが、どうした」

「まあいい。これからまたゆっくり自分の運命を知っていけばいい」





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