第10話 16年ぶりの再会
カノが震える足で一歩、二歩と少しずつ後ずさった。
『蒼き太陽』は四歩、五歩と大股で歩み寄っていった。
二人の距離がどんどん縮まる。
カノの背中が壁につく。
その様子を、アーレズは息を詰めて見つめていた。
何もできない。あまりにも突然で頭の中が真っ白だ。
壁に後頭部をつけた状態で、カノが声を絞り出す。
「なんであんたがここにいるの」
『蒼き太陽』が答えた。
「半年前からタウリスに行くって言ってましたし二ヵ月前に宰相団も議会も承認してますし半月前にエスファーナ出てますしね」
想像していたより口調がくだけている。その軽い表現はまるで庶民同士で友達と接するかのようだ。
「でも、だって――」
「でももだってもあるか」
「あたしは会いたくなんてなか――」
次の瞬間だった。
彼の手が上がった。
危ない、と叫ぼうとした。
立ち上がり、手を伸ばした。
アーレズが一歩を踏み出す前に、彼の拳がカノの頭頂部のすぐ上、壁を殴った。
二人の体が、触れ合うかどうかのところまで近づいた。
カノは呆然と彼を見上げていた。
彼は無言でカノをにらむように見下ろしていた。
時間が止まった。
どうしよう。
母を守らなければと、アーレズがそう認識した時、カノが口を開いた。
「怒ってる……?」
彼が答えた。
「怒ってる」
カノの瞳が潤む。
「めちゃくちゃ怒ってる」
それでも――アーレズは気づいた。
彼の声は、穏やかで、落ち着いていた。
「十六年。この十六年間、ずっとお前に怒ってた。何が何でも連れ戻して泣くまで責めてやろうと思ってた」
「そんなに?」
「でもお前が謝るならゆるしてやる」
彼女の滑らかな頬の上を、涙が流れていく。
「あんたは子供の頃からそういう奴だったよ」
「俺はなにひとつ変わってない」
「でも世間様はみんなあんたのことを立派な王様だと言うようになったよ」
声を、なおも、喉がからからに乾いてしまうのではないかと思うほど、絞り尽くす。
「あたしはそんなあんたに迷惑ばっかりかけて、酷いことして、逃げた。逃げて、どうしようもなくなって、クソみたいな生活を送っている間に、あんたは立派な王様になってた」
彼が苦笑する。
「自覚があるなら帰ってきて頭を下げろ。俺は立派な王様だから怒る自分を止められる」
カノが両手で自分の両目を覆った。
その手首を彼がつかんだ。
顔から手を引き剥がす。
カノはその手を彼の肩に伸ばした。
彼も自分の手を彼女の背中に回した。
かたく、かたく、抱き締め合う。
「俺たち、親友だろ」
十六年分の、穴を埋めるように。
もう二度と、離れないように。
カノが声を上げて泣き出した。
「ごめんねソウェイル」
その声はまるで少女のようだった。
「ごめんね、ごめんね。ごめんねソウェイル」
「わかったならもういい」
「ソウェイルごめんね。だいすき」
彼の――ソウェイルの肩に顔を押しつける。
「あたし、あんたのことが大好きだよ。だって、親友じゃん」
ソウェイルの大きいが少し華奢な手が、カノの黒髪を撫でた。
「あんたに嫌われたらもうおしまいだと思ったんだよ……」
「よしよし。俺が怖かったんだな。悪かった」
たかがそれだけのことだったのだ。
気が抜けた。
アーレズはその場に座り込んだ。
十五年間ずっと抱き続けていた想像図とはまったく違う光景がそこにあった。
少なくともアーレズの目には、二人は深く愛し合っているように見えた。恋人もいなければ友達らしい友達もいないアーレズに二人が言う『親友』の定義はよくわからなかったが、少なくとも憎しみ合いいがみ合う関係ではないことは伝わってきた。
なんだ。
母が言うことがすべて真実だとしたら、自分はけして望まれて生まれてきたわけではないだろう。彼は自分の存在すら知らなかったかも――もしかしたら今も知らないかもしれない。
でも、おそらく、二人は仲がいい。
彼女にとって、彼は憎しみの対象ではないのだ。
それだけで、アーレズは自分の存在が許された気がした。
ひとしきり泣いてから、カノが顔を上げた。
「ちょっと、エル!」
二人が体を離す。カノの目がまだ扉のほうにいたエルナーズとスーリのほうを向く。
「なんで今日だって言わなかったの!? 今もふつうにこれから準備するみたいな雰囲気だったじゃん!」
エルナーズがいけしゃあしゃあと答える。
「今日じゃないとも言ってないじゃない」
「それは、そうだけど」
「俺が言ったのはとりあえず部屋から出ないでということだけで。陛下がどうしてもお会いになるとおっしゃるから、この部屋で面会できるように状況を整えただけで」
カノがエルナーズをにらむ。
「裏切ったね」
エルナーズが邪悪な笑みを浮かべた。
「逆に、俺が裏切らないとでも思った?」
溜息をついたのはスーリだ。
「ごめんなさい。うちも知ってたけど、うちはもっと時間をかけて、ゆっくりカノさんを説得してから、と思ってたん。陛下とエルがこんな強硬手段に出るとは思ってなくて……陛下はまだ一ヵ月くらいここにおられると聞いてたし、まだ時間はあると思って……」
ソウェイルが口を尖らせる
「悠長なことを言うな。俺は一刻も早くカノに会って抱き締めたかった」
どうしてそんなことを平気な顔で言えるのだろう。いつだったかスーリとエルナーズが王はチャラいと言っていたのを思い出した。
「すいません……エルが……エルがどうしてもって言うから……」
エルナーズが「いけしゃあしゃあと俺を悪役にしてはるわ」と呟いた。
「まあいいか。結局会えたんだし、めでたしめでたしだ。スーリの言うとおりこれからタウリスでの仕事が始まるからエスファーナに帰るのはだいたい四週間後になるけど、それまでここに軟禁するということで」
「ちょっと、さらっと怖いこと言わないでよ」
ソウェイルがにこりと微笑む。
「俺がそうと決めたらそう。この国には俺に逆らえる人間はもういないので、これ以上逃げられないと思え」
カノが肩を落とした。
「あんたやっぱりちょっと変わったわ」
「大人になったと言ってほしい」
カノから完全に身を離す。
「さて」
彼が振り向いた。
アーレズは心臓が跳ね上がるのを感じた。
目が、合った。
「初めまして、だな」
つかつかと歩み寄ってくる。
どうしたらいいのかわからなかった。逃げたい、と思って尻で後ずさったがそんな状態では大して動けない。
ソウェイルはアーレズのすぐ目の前にしゃがみ込んだ。
手を伸ばしてきた。
体が硬直した。
彼はそんなことなど意に介さず、アーレズの長い前髪を掻き分け、耳にかけさせ、出てきた顔を包むように頬をつかんだ。
「うーん……カノか俺かと言われたら俺じゃない……?」
スーリが目を逸らしながら言った。
「陛下にそっくりやと思います」
「あらそう。客観的に見てそうならそうなんだろうな」
頬を撫でる。
「捕まえた」
捕まってしまった。
「お前、名前は?」
「アーレズ……」
「『
そう言われると、胸の奥がじんわりと温かくなってくる。
ここに捨てていかれるところだった。
「お父さんと一緒に王都に帰ろうか」
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