第3話 スーリお姉さんの話 2
アーレズはスーリに表通りで歩きながら話をすることを提案した。裏路地の悪い連中のなかに聞き耳を立てる者もあるからだ。そういう意味ではアーレズも彼らを信用しているわけではなかった。信用していなくても会話はできるということだ。
表通りは人の流れがすさまじい。子供が転べば踏み潰されてしまうくらいだ。この中なら、誰がどんな話をしていても声が掻き消されていく。
スーリはアーレズに十神剣というものについて説明した。
アーレズが時々持って歩いているこの剣が神剣と呼ばれていること。神剣はこの世でたった十本しかない魔法の剣であること。その剣に選ばれた持ち主十人を束ねて十神剣と呼ばれること。それから、十神剣は最高司祭として、戦の神が現世に人の形を取って現れたものとして扱われるということ。
「十神剣は難しい言葉で太陽の眷属といってな、『蒼き太陽』のもとでひとつにまとまって、家族みたいに仲ようせえ、っていわれててん。便宜上兄弟という言葉をつこうてんの」
スーリの柔らかい歌うような声が人混みに消えていく。
「ほんまに全員が全員仲ようしてるのとちゃうねんけど、まあ、うちは平和主義者やから、仲ようしたい派なんや。それで、陛下が――『蒼き太陽』が十神剣を十人揃えたいと言わはった時、うち、率先して手ぇ挙げたん。お姉さんに会いに行ったるわー! て。女同士わかり合えることあるやろ! 的な」
そういう存在がこの国にあることは一応知っていた。各所にある寺院で施しを受ける際に僧侶から説教を受けることがあったからだ。
また、行く先々で、将軍と呼ばれている人々がいることを折につけて聞くことがあった。東部州の黄将軍ヴァフラム、北部州の緑将軍アフサリー、西部州の空将軍エルナーズ――南部州だけは聞いたことがなかったが、まさか本来そこに収まるべき人物が自分の母親であるカノだとは思っていなかった。
カノは今日に至るまで本当に何にも説明してくれなかった。
けれど、言われてみれば納得はする。
確かに、この世には――否、自分の腰元には、母と自分だけが抜ける剣がある。
それをわざわざひとに言ったことはなかった。ひとが聞いたらどんな反応をするかわからなかったからだ。剣と会話できることと同様に、だ。
もっといえば、カノでさえ、アーレズが剣を抜けることを知らないはずだ。
剣はアーレズが家に一人の時にしか抜けない。しかも、彼は、カノには内緒だ、と言っている。アーレズは剣との約束をしっかり守っていた。
それがどういうことなのか、深く考えたことはなかった。
スーリと話しながら、初めて考えてみる。
スーリの口ぶりから察するに、橙将軍というものはこの世でカノただ一人だけということになる。
では、剣を抜ける自分は何なのか。それはいったい何を意味しているのか。
それをスーリの前で口に出したらややこしいことになる。
わからないことはわからないままでいい。知らないで済むことなら知らないほうがいい。わざわざ首を突っ込んで酷い目に遭うのはごめんだ。
あくまで、カノが、剣を抜ける、というていで通す。
「スーリさんは、どうしてタウリスに?」
それでも最低限のことだけは確認しておきたい。
母との生活を守るためだ。
母は自分の経歴をひとに知られることを何よりも嫌っている。何かから――おそらく王から逃げるため、だ。
スーリは、最初、王の回し者だ、と言った。
十神剣というものが本当に太陽の眷属であるなら、スーリは王と直接つながっているに違いない。
スーリがここにカノとアーレズがいることを王に報告したら困る。
カノの機嫌を損ねる。
アーレズにとってそれより嫌なことはない。
「どこで俺らがタウリスにいることを知ったんだ? 誰にも何にも言わないで移動してたし、お役人に見つかるようなことはしてないつもりだったけど」
内心では緊張していたが、アーレズはこういう時顔に出さない技を身につけていた。あくまで涼しい顔と声でそう問いかけた。
スーリが答える。
「神剣同士共鳴するところがあんねんな」
「それは、将軍同士で、ということ?」
「ちゃう。うちの剣と、カノさんの剣――その剣が、ということや」
にこりと笑って目線を下に落とし、アーレズの剣に向かって「なあ」と声をかける。
「あんたはアーレズのこと守ってはんのやろ。ようわかるで。て、うちの剣が言うてる」
そして桜の剣の言うことはスーリにしかわからない。それが真実かどうか確かめるすべはない。
疑っても仕方がない。そもそも神剣というものの仕組みが超常現象で、常識の範疇で考えても無駄なのだ。ましてやアーレズの神剣の声を聞いている。それはこういうもの、と思って納得するしかない。
しかし、どうしたものか。
スーリが言うことが本当なら、剣が自分たち親子に付きまとっている以上逃げられないことになる。
「それが、どうして今……」
それがわからなかった。
もしそうであったとしたら、もっと早く迎えに来る可能性もあったのではないか。
スーリはさらさらと言い淀むことなく説明してくれる。
「アーレズが十五になったからやろ」
「俺が?」
「成人してもうた」
思わず鼻で笑ってしまった。
「十四と十五で何かが大きく変わるとは思えない」
「そうやろか? うちは十五になったのと同時に結婚を許可されたからめっちゃ大人になったなと思った」
その言葉を聞いた途端、アーレズは動揺してしまった。
結婚しているのか。それも、彼女は二十四歳だと言っていたので、九年も前に結婚していたということになる。
この悔しさは何だろう。
「十五で結婚したんだ……」
気づいていないらしく、スーリは明るい声で続けた。
「せや。十五になったら結婚できるくらい大きくなったということやで。そっちの剣はあかんと思ったんやろ。これ以上待てへんと思ったんや」
なぜか小声になってしまった。
「スーリさんの旦那さんは今どこで何してんの?」
「え? 何やて?」
「なんでもない……」
この明るく可愛らしい女性を合法的に独占できる男がいる――もやもやする。
「スーリさんは一人で王都から西部までこの剣を追いかけてきたということか」
「そうなるな。まあ、生まれはこっちやから、たまには里帰りもええな、と思ってたし、ちょうどええわ」
「そうだろうな。スーリさん、見るからに西部の女だもんな」
「ほんま? なんでやろ。うち王都の奥様やねんけどな……もうこっちの知り合いはエルしかおらんし十年近く王都で暮らしてるからそんなに西部西部しとらんと思っとったけど」
「あっそう」
彼女が「あかん話が脱線してしもた」と言って眉間にしわを寄せる。表情がころころとよく変わるひとだ。
「やからな、うちとしては、二人に王都に来てほしいねん。カノさんに十神剣に戻ってきてほしいんや。陛下と会うてほしい」
アーレズには何とも答えられなかった。
母が嫌だと言うのは目に見えている。かといってスーリを強く拒むことも、今のアーレズにはできない。
「俺らのこと、見つからなかったことにはできないのか?」
いまさら尋ねた。
スーリは叫ぶように「当たり前や!」と答えた。
「手ぶらで帰られへん!」
「まあ、そうだよな」
「でも時間にゆとりはあるで」
彼女が指を立て、振る。
「まだ何も言うてへんからな。ほんまに今日会えるとも思ってへんかったし、エルには一応会うてくると言って出てきたけど、今日は会えへんかったことにしてもええで」
「どういうことだ」
思わず立ち止まった。
スーリも立ち止まった。
都市の人間は流れを遮る者に敏感だ。みんな立ち止まった二人を器用に避けていく。そうすると二人の空間がぽっかりできてしまってちょっと目立ってしまうのだが、アーレズはその居心地の悪さよりスーリの顔を見ることを優先した。
「それ、スーリさんにとって何か得があんの?」
スーリは首を横に振った。
「自分も心配しとると思うけど。うちはな、カノさんを変に刺激して夜逃げされるのが一番怖いねん」
すとんと腑に落ちる回答であった。
「囲い込むって言うたらおかしいけど、カノさんに息子さんがおると聞いて、うち、まずその息子さんを説得せなあかんと思ったんやわ。母親を説得する時はまず子供からや」
「ずいぶん素直だな」
「警戒する? けど嘘に嘘を塗り固めたら余計怪しむやろ。こういうのは一にも二にも信頼や」
スーリの言うことももっともだ。彼女の言うことは筋が通っている。確かに、疑う必要はなさそうだ。
「何度も言うで」
スーリの薄い色の瞳が、しっかりとアーレズの顔を見つめている。
「カノさんの説得に協力して」
アーレズは唾を飲み込んだ。
アーレズにとってはまったく得のない話だ。
だからといって、交換条件を提案できるほどアーレズは強くない。
しばらく、二人で向かい合っていた。
少し経ってからのことだった。
左のほう、来たほうから歩いてきた中年の男が強気にも避けずにスーリにぶつかってきた。スーリは色気のない声で「うおっ」と声を上げよろめいた。
「このあほんだら! 危ないやろ!」
アーレズはとっさに怒鳴り返した。
「テメエのほうだろクソジジイ!」
そして手を伸ばした。
体勢を崩して転びそうになるスーリを支える。
スーリの背に触れる。
いい匂いがする。
でも、人妻なのだ。
それにひどく落胆している自分がいる。
自分が悪い奴だったらどんなにいいだろう。母を説得するかわりにあなたに触れさせてくれ、と一言言えたら、どれほど楽な人生を送れただろうか。
「ありがとう」
スーリの手がアーレズの服の胸をつかんだ。
ぶつかってきた男は舌打ちをしながら去っていった。喧嘩にならずに済んだ。アーレズは胸を撫で下ろした。
「なんや危ないな。移動しよか」
「ああ」
さて、どうするのが正解か。
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