第20話 あなたには救われてほしい 2

 オルティに案内されたのは、タウリス城の中でも小さな庭、小さな噴水がひとつだけ設置されている狭い中庭だった。柱に囲まれていて四方が回廊に面している、オルティのことだから気を利かせて人目につく場所を選んだのだろう。この時間帯だと少し肌寒かったが、スーリは分厚い肩掛けを身につけていて暖かそうだ。


 彼女は噴水を囲む長椅子状の石に腰掛けていた。


 かがり火に彼女の白くて滑らかな頬が照らし出されている。

 上の歯で下唇を軽く噛み、膝の上で手を握り締めている。

 確かに、先ほどみんなでユングヴィの棺の前にいた時よりかなり硬そうだ。オルティが可哀想と言うのも分かる。


 ホスローも不安になってきた。

 スーリは男ばかり四人に囲まれてしまった。四人の中では一番背の低いラームテインでさえ彼女より頭半分くらい大きい。


 まず、ヴァンが当たり前のような顔をしてスーリの隣に座った。何のためらいもなく、だ。彼は「よっ!」と軽く声をかけながら笑って腰を下ろした。

 それから、オルティがその場にひざまずくように片膝をついた。オルティの目線がスーリより低くなった。


 ホスローは、ずるい、と思った。ヴァンとオルティは女の子を怖がらせないようにするにはどうすればいいか分かるのだ。突っ立ったままの自分――とラームテイン――が情けない。

 とりあえず、オルティの隣にしゃがみ込んだ。


 ラームテインは無言でその場に立っていた。オルティの思惑に反して彼が一番威圧感がありそうである。オルティが慎重すぎる。


「――さて、もうちょっと具体的に訊いてもいいか?」


 オルティがスーリに問い掛ける。スーリが素直に「はい」と頷く。


「出身地は?」

「カレギール県のヤームチー村です」

「いつ、どういう経緯でタウリスに出てきたんだ?」

「二年前の冬です。弟妹が七人おって、親が毎日そろそろ上から順番に売っていくて言うから、うち、怖くて。どんな怖いところに行かされるんやろ、国外には行きたない、と思ったら家を飛び出してました」

「タウリスについてからは?」

「華月楼、という妓楼におりました。道端に寝泊まりしとったら、優しそうなおじさんに寝るところも食べるものもあるからついておいで、と言われて。ついていったらそういうお店でした」


 確かにちょっと尋問みたいだ。


「それから一年くらいは姐さんについて踊り子の勉強しとったんです。去年の春、十三になってからお客さんも取るようになって――」


 スーリが手にさらに強く力を込めたのが見て取れた。


「それから――」

「ああ、その話はもういい。大丈夫だ」


 少し息を吐く。


「で、先月ユングヴィさんに引き取られたんだったな」

「そうです」

「まあ、ユングヴィさんの言い出しそうなことだ、だいたいのことは分かる。俺も長い付き合いだったからな」


 オルティが苦笑すると、スーリが軽く頭を下げた。


「で、タウリスで赤軍の小僧どもの子守をしてくれていたんだったな」

「何もしてへんけど……お洗濯とか食事とかのお世話です」

「大丈夫だ、分かってる。ユングヴィさんが余計なことはさせないだろう」

「そうなんです。ユングヴィさんが特別なことは何もせんでいいと言わはったんで、ほんまに実家の弟たちにするようなことだけしました」


 ホスローは少し悲しかった。ユングヴィはスーリを妹だと思うようにと言っていたが、やはりスーリの方が姉のつもりだったのである。


「それから?」


 オルティの声は優しいが、その言葉は心をずたずたに引き裂く。


「ユングヴィさんが亡くなってからは、何をしていた?」


 ホスローは心臓を握り締められるような苦痛を覚えた。


 スーリは何と答えるだろう。


 スーリはこの一週間をどう捉えていたのだろうか。


 怖いのに知りたい。知りたいが――教えてほしいが、叫び出したいほどに恐ろしい。


 先ほどヴァンとラームテインの前では黙っていたというのに、こんな形であばかれることになるとは、と思うと苦々しい。


 しかし、一周回って、もういいかもしれない、と思えてくる。


 スーリがここで話した場合、自分は自分から罪を犯したことを申告しなかったクソ野郎であることを白日の下にさらされるわけだが、それはそれでいいのかもしれない。やはり責められてなじられてとことん追及されて頭を下げた方がすっきりするのかもしれない。これから先が針のむしろの上だろうが、びくびくしながら生きるよりは多少いいのかもしれなかった。


 スーリに言われるのなら、それで構わなかった。

 被害者は彼女だ。

 彼女が救いを求めるなら何でも――


「何もありませんでした」


 ホスローは目を丸くした。


「何もせんとホスローの傍におっただけです」


 スーリの褐色と言うには少し明るい瞳が、まっすぐオルティを見ていた。

 オルティの黒い瞳も、まっすぐスーリの目を見つめ返していた。


「……ほんまです」


 少しの間、みんな黙っていた。

 ややしてから、オルティが言った。


「何か言いたくないことがありそうだな」


 ホスローが縮み上がる。


「遠慮しなくていい。俺が聞いている。不安に思わなくていいから、正直に話していい」


 オルティの優しさに心が締め上げられる。


「……ほんまです」


 スーリの声が震える。


「ほんまやて言うてるやん……」


 彼女の細い肩が、震えている。

 華奢で弱々しいその肩に、すさまじい重みがのしかかっている。


 見ていられない。


「言えよ」


 スーリが弾かれたように顔を上げた。


 我慢できなかった。


「本当のこと言えよ。みんなの前で全部ぶちまけろよ」


 これ以上彼女に背負っていくものが増えるのを見たくない。


「俺に乱暴されたって、あちこち痣を作って痛い思いをしたって、みんなに話せばいいだろ」


 自分の声が上ずったのを聞き取って、ホスローは一回黙った。興奮しているようだ。視界も狭くなってスーリしか見えなくなってしまったように思う。深呼吸をして、落ち着け、落ち着けと言い聞かせる。


 ヴァンとラームテインは、何も言わなかった。彼らは何を考えているだろう。先ほど自分が言ったことと矛盾しているのには気づいているだろうか。気づいているに違いない。


 自分が罪に問われても、スーリには救われてほしい。


 しばらくの間、噴水の拭き上がる音だけが聞こえていた。


「いやや」


 小さな小さな、消え入りそうな声だった。


 スーリがうつむく。

 大粒の涙がぼたぼたと膝の上に落ちる。


「言いとうない」

「スーリ!」


 オルティが「落ち着けホスロー」と言って肩をつかむ。それを振り払う。


「なんで言わねえんだよ! 全部話して楽になれよ!」

「ホスロー!」

「俺はもうお前がしんどいの見たくねえんだよ! 早くすっきりしちまえよ!」


 スーリが首を横に振った。


「ええんや。うちがそうしてほしかったんやから」


 そしてなぜか彼女の方が謝ってくる。


「うちのせいでホスローまでそんなこと言うようになってしもたんやな。ごめんな」


 服の手首で自分の頬を拭う。


「うちが酷くされたかったんや。そうやないとうちが自分で自分をゆるせへんのや。ホスローに尽くして、ホスローのために生活して、何かせんとほんまに気ぃ狂ってまうと思った」


 男たちは何も言わなかった。


「酷くされへんと自分の存在意義が分からへんのやわ。ほんまうち何なんやろ。何しとったんやろな。うちが教えてほしいわ」


 そして、「ごめんなさい」と繰り返す。


「やめろよ……被害者はお前だろ。なんでお前が謝るんだよ、俺を責めろよ」

「あかん。もうよう言われへん。この話終わりにしたい」


 また、一同は沈黙した。


「……よく分かんねーけどよ」


 最初に口を開いたのは、ヴァンだった。


「スーリちゃんはさ、自分のこと大事にしろや。ホスローがいいって言ってんだから、いいんだぞ」


 スーリは首を横に振った。


 次にラームテインが口を開いた。


「ひとに大事にされたことのない人間は自分を大事にするというのがどういうことか分からないものだよ」


 それについては、スーリは頷いた。


 スーリが顔を上げた。大きな瞳が涙に濡れて輝いていた。


「うちのことあれこれ考えてつらい思いしたんやろな。ありがとう。ホスローこそ、もう忘れてええよ」


 拳を握り締めた。

 もうこんなことを言わせたくない。


「じゃあ俺がスーリを大事にする」


 スーリの大きな瞳が、さらに真ん丸になった。


「俺にとってスーリが大事なんだ。だからスーリは俺のためを考えてもうそんなこと言うのはよしてほしい」


 上唇がつんと尖って、口が三角形に見えた。

 スーリは基本的に可愛い。

 こんな可愛い生き物に拷問したのか、と思うと、ホスローはホスローからスーリを守ってあげたい。


「俺がスーリを大事にする……」

「ホスロー」


 オルティが溜息をついた。


「なんか、俺、邪魔だな」

「いや、みんながやりたがらない役をかって出てくれてオルティはいい人だと思うよ」

「ラームさんにそう言ってもらえるととても救われる」


 スーリが笑みを見せた。


「ほんまに? ホスロー、うちのこと好きになってくれる?」


 そう言われると照れ臭かったが、ホスローは頷いた。


「そう言われると嬉しい。ホスローの大事なひとならうちも大事にするわ」

「よかった」


 ヴァンがなぜか手を振った。


「まあ、でも、それはそれでええんやけど、ほんまにうち何もできひんと自分が嫌になるんで、仕事があるんやったら何か仕事ください。何かしてたら気もまぎれるし、これから忙しくなるんやろうから、なんや役に立ったて思いたいやんか」


 オルティが「うーん」と唸る。


「それはそれで、ソウェイルに伝えてみる。あいつが王として何か考えてくれるだろ」

「陛下忙しいな、お母様が亡くなったばかりなのにな」

「いいんだ、あいつは無理なら無理と言うから。スーリと違ってな」


 スーリが小さく笑った。ホスローも息を吐いた。





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