第19話 あなたには救われてほしい 1

 ラームテインが部屋に帰ってきた。


 彼は開口一番こう言った。


「どうしてここにいるの?」


 ここはラームテインにあてがわれた部屋だ。高級将校のための部屋で、大きな寝台が置かれている。

 その寝台の上で、ホスローはヴァンとあおむけに寝転がっていた。

 特に理由はない。何にもないが、ヴァンが行きたいと言ったのだ。ヴァンが、二人でラームテインが用事を済ませるのを待っていよう、と提案したのである。


 人間付き合いの下手なラームテインのことだ、ヴァンは、すぐに逃げ帰ってくる、と読んだ。

 見事正解した。彼は早々にオルティとあれこれを片づけて帰ってきて現在だ。ヴァンとホスローがゆっくり会話をする間もなかった。


 否、ヴァンは特に何も言わなかった。二人は何の会話も始めていなかった。


 そんなヴァンの優しさに、ホスローは心から感謝した。


「ここ、僕の部屋なんだけど」


 ヴァンが上半身を起こす。


「そんな冷たいこと言わないでくれよな。俺ら、三人でひとつじゃん」

「いつからだよ」

「いいから、師匠もこっち来て。早く。ごろごろしようぜ」

「嫌だよ、どうして君たちとひとつの寝台でごろごろしなければいけないんだ」

「じゃ、床に転がる?」


 ラームテインが床を一瞥した。そこには少し厚みのある綺麗な絨毯が敷かれている。けれど彼としては嫌らしい。


「いや、ここ、僕の部屋だし」


 そう言うと、彼も寝台の上に身を乗り上げた。ホスローとヴァンを追い払うように手を振り、「ほら、どきなさい」と言う。しかしその程度で寝台を下りるようなホスローとヴァンではないのであった。


「……もういいよ。どうでもよくなった。なんだかもう、僕も疲れたよ」


 結局、三人で横一列になって転がった。広くて大きな寝台は最高だ。


 ホスローはしばらく黙って天井を見つめていた。そこには何もなかったが、ただ薄く口を開け、どこかを眺めていたかった。


 やっと一息ついた。


 遠く異郷の地に来たというのに、ホスローはエスファーナのラームテインの家にいる時と同じ安心感を抱いた。

 あの小さな家にあった平穏が今ここに再現されている。城の外も中も大変なことになり、自分も母を失ったのに、ホスローは今、タウリスに来てから一番安心安全の平和な空間に移動できたと感じている。

 もちろん、いざとなれば一番戦闘力の高い自分が二人を物理的に防衛するために戦わなければならない。だが、それでもホスローは守られていると感じていた。ラームテインとヴァンがホスローの心を守ってくれているように思った。


 自分はすっかり大人になった気分でいたが、まだ仲間とつるんで遊んでいたい年頃だ。

 ラームテインはずっと年上だし、ヴァンは口ではお調子者だがどこか筋のようなものが通っていて精神的に安定している。自分だけがとてつもなく子供なのだ。


 自分は、守られている。


「ホスロー」


 ヴァンがぽつりと言った。


「ホスローさ、ユングヴィさんが亡くなってから何してた?」


 初めて訊かれた。それまでけして何も言わなかったのに、だ。


 ヴァンは偉い。ホスローがゆっくり休める環境に移動し、ラームテインも戻ってきてくれた時機も狙って、ようやく今になって問いかけてきた。彼の配慮が自分を包み込んでくれる。


「何も」


 その回答を、許してくれる気がした。


 事実、自分は何も為していない。スーリを虐待していただけで、実のあることは何もできていなかった。ヴァンとラームテインが来るまで自分はただのクズだったわけだ。もしかしたら二人が来てもクズはクズのままかもしれない。けれど、あの時よりはいくらかマシだろう。


「何もしてない。スーリと一緒にいただけ」


 本当にそれでいいのか、と悩んだ。本当は何が起こったのかもっと話さなければならないのではないか、というのも頭をよぎっていった。


 分からなかった。


 ホスローはヴァンのことを心から信頼しているが、だからこそ、彼は事実を知ったらホスローを断罪しないだろうか。人格的にできているから、ホスローの罪を見逃さないのではないか。ホスローを許すかどうかは別として、ホスローのしたことに対して怒るかもしれない。

 自分も安易に許されたくなかった。ヴァンにはそういうところにちゃんと線を引いてくれることを求めていた。それでこそこのヴァフラムだと、胸を張って言える友であってほしい。そうであるから、自分のようなクズを認めてほしくない。


 思えば思うほど、言えなくなる。


 ヴァンが怒りを表した時、今の自分はまた折れてしまうかもしれない。折れていたところをようやくヴァンとラームテインによって救われたところなのに、だ。元の木阿弥だ。


 また、ここにはラームテインがいる。

 彼はもっと潔癖だ。まして暴力をもって屈服させられる痛みを身をもって知っている。つまり絶対に怒る。怒る、より、もっとひどく突き放されるかもしれない。

 これもやはり、ホスローがラームテインを信頼しているからこそ、絶対にそういうことになる、と確信できた。そういうラームテインが好きだったし、そのままでいてほしい。ホスローを許さないでほしい。


 言いたくない。


「……話せるようなことは何にも」


 ヴァンもラームテインも優しい。


「そっか」


 二人とも何か察したのかもしれない。騙すようで申し訳ない。


「まあ、そういう時もあるよね」


 ラームテインがそう言ってくれたので、ホスローは大きく息を吐いた。


「うん。ま、気が向いたら話してくれや。何でもいいから。どんなちっさいことでも俺は聞いてやるぜ」


 声を漏らして笑う。


 二人の前でこういう態度でいなければいけない自分自身を嫌いになった。


 自分はもう二度と戻れない道を来た。もう二人と無邪気に遊んでいられる時間は終わったのだ。


 それでも、それでも、この空間に安らいでいたい。


 戸を叩かれた。

 ラームテインが上半身を起こして「はい」と答えた。


「誰?」

「俺だ。オルティだ」


 ホスローとヴァンも上半身を起こした。


「さっき解散したところ申し訳ないが、別の用事で。この子をどうにかしないことには片づかないからな」


 嫌な予感がした。


 ラームテインが「開けてどうぞ」と言う。

 外から戸が開き、オルティが顔を出す。


「軍の用事というわけでもなくて、どちらかと言えば俺が個人的に助けてほしくて。ソウェイルが無事ならあいつに頼むんだが……他に信用できる相手というのは俺にはいない」

「僕のことを信用してくれているということ?」


 顔をしかめて「迷惑だね」と言う。ヴァンが「まーたそういうこと言う」と溜息をつく。


「素直に嬉しいって言えや」

「嬉しくなんかあるものか、こんなふうに夜に声をかけられて」

「まあ……、まあ、師匠はそういうところあるよな」


 オルティが「すまん」と頭を下げた。


「申し訳ないが人助けをしてほしい」

「僕が何かしなくてもオルティなら何とかなるでしょう。何せオルティくんはアルヤ王国で一番しっかりしていますものね」

「そういうシャフラみたいな嫌味は言わないでほしい。あと、助けてほしいのは、俺じゃなくて、スーリ」


 心臓が跳ね上がる。

 今この場でその名前を聞きたくなかった。


「あの子といろいろと話をしたいんだが、尋問みたいになってしまいそうで、あの子が可哀想だから、手伝ってほしい」


 それを知ってか知らずか、ヴァンが「ふーん」とわざとらしく声を出して言う。


「具体的に、僕に何をどうしろと?」

「何もしてくれなくていい。ただ、ラームさんが傍にいてくれれば俺もスーリも安心だと思う。まず、俺があの年の女の子と二人きりというのが気まずくてな――周りに変な目で見られたくない。スーリもとても緊張している」

「なぜ僕がいてあの子が安心なんだろう。僕も女の子苦手なんだけど」

「えっ」

「えっ?」


 ヴァンがオルティに「この人見た目の百倍男だから気をつけてください」と言って手を振る。オルティが混乱した様子を見せる。ラームテインはさらに険しい表情になった。


「ま……、まあ、とりあえず、二人きりは気まずいから助けてほしい」

「男ばかり二人に囲まれても可哀想な気もするけど」


 そこで立ち上がったのはヴァンだ。


「よっし、俺も行ってやるかな! 俺女の子と喋るの得意だぜ、何せ姉ちゃんが四人もいたからな! カノジョはいたことないけど!」


 そしてホスローを振り返る。


「なあ、ホスロー、お前も来いよ。お前も四人の妹がいるお兄ちゃんだろ。まして今俺らが来るまでずっと一緒にいたんだろ?」


 ホスローは少し悩んだ。

 スーリは自分がいて怖くないだろうか。もっと緊張しないだろうか。言いたいことを言えなくなるのではないか。

 そんなのはお互いつらすぎる。


 しかし確かに、あんな華奢で弱々しい彼女が男ばかり三人に囲まれるというのも可哀想だ。

 彼女は多少自分には近づいてくれていた。それが信頼なのか依存なのかホスローには分からないので不安だが、それでも、自分が話すように促せば少しは話すのではないか。


 スーリのことを思えば思うほど、何が正解なのか分からなくなる。


 世の中は、分からないことだらけだ。


「ま、師匠もヴァンちゃんもいるんじゃ、いっか」


 ラームテインは「え、僕もいるのは決定なの?」と呟いたが、最終的にはついてきてくれたのでなんだかんだ言っていいやつだ。










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