第18話 ラームテインによる整理整頓

 西部州代官が寝泊まりしていたタウリス城最上級の寝室の前にて、オルティが扉を閉めながら手を振った。


「だめだ。昨日に引き続き今日も王様業は休業にする。あの酔っ払いはまだタウリスに到着していないものだとでも思ってくれ」


 仕方がない。昨日の義兄の様子は異常だった。食事もほとんどとっていないらしい。胃が弱いのに空きっ腹に酒を入れて大丈夫か心配だが、最悪オルティがどこかで止めてくれるだろう。


 ホスローはオルティをこの上なく信頼していた。理由は単純だ。ホスローより強いからだ。それに、軍団を率いる者としての将軍、アルヤ王国においてはどこかの副長か何かに向いていると思う。そういう強い男がホスローにとっての本物の男なのである。


 ソウェイルの寝室の前で横一直線に並んで、ホスロー、ヴァン、スーリ、それからラームテインの四人は溜息をついた。


 他の三人がどういう意図で溜息をついたのかは知らないが、ホスローの溜息は手持ち無沙汰の溜息であった。


 赤将軍ユングヴィを失った結果、赤軍の機能は一時停止した。数日してから幹部たちは有事に備えて訓練を再開したり治安が悪化する街を巡回したりし始めたようだが、肝心の赤将軍を継承したホスローには遠慮していて何も言ってくれない。母はいったい何をどうしていたのか、いったい何が赤軍幹部たちの信頼を勝ち得ていたのか。ああいう扱いを受けたあとであることもあり、一般の兵士に交じって何かをするのに気が引ける。


 そこのところを、ソウェイルに、ああしろ、こうしろ、と命令してほしかった。ソウェイルならユングヴィが赤軍で何をどうしていたのか知っているのではないかと思った。そうでなくても、彼は『蒼き太陽』である。どこまで軍隊のことを把握しているのかは知らないが、一応立場上軍神たちに何か言うべきではないのか。


 ラームテインが口を開いた。


「では僕らは勝手にやろう。僕が指示をするので、白将軍代理のあなたが承認印を押すように。それが白将軍というものです」


 オルティが縮こまって「はい」と頷いた。珍しいことだ。アルヤ王でさえ対等に接する彼がラームテインの前では小さくなっている。力関係、人間関係がさっぱり分からない。


 ラームテインはそうするのが当たり前かのような顔で話を続ける。


「まず城壁に吊るしているサータム人の死体を回収して、すぐに埋葬できるよう丁寧に甕なり何なりに詰めること」


 ホスローは「あ」と呟いた。

 言われてみれば、ホスローが神剣で切り刻んだサータム人たちがその後どういう扱いを受けているのか確認していなかった。まさかそんなことになっているとは思っていなかった。

 タウリス城に詰めていたアルヤ人たちは、赤将軍ユングヴィを殺したサータム人たちをゆるさなかったのだ。


「捕虜の死体を吊るすなんて蛮族のすることです。僕らはアルヤ紳士だ。ましてタウリスの人口は三分の一がサータム人、そんなものを見せられたら反感を買うに決まっている。タウリスの治安が急速に悪化したのはサータム人官僚たちの骸を晒し者にしたタウリス城のアルヤ人兵士のせいだ」


 チュルカ人のオルティには心当たりでもあるのか、またもや素直に「はい」と頷いた。


「城壁の中だけでも平和を保たないといけない。いざという時に一致団結するために。帝国軍に攻め込まれた時にサータム人の一般民衆がアルヤ人兵士の力を借りたくなるように仕向けないといけない」


 ヴァンがひそひそと小声で言う。


「なんか、師匠、軍師っぽいじゃん」


 ホスローも小声で答えた。


「うん、っぽい。本当に頭良かったんだな」


 ラームテインが咳払いをする。


「聞こえています。怒るよ」

「はい、ごめんなさい」


 オルティが「承知した」と言う。


「戦争がすべて丸く収まったら帝国に引き渡します。それまで城の地下にでも保管しておくといい」

「了解」


 ラームテインが淡々と続ける。


「帝国軍が攻め込んできていない今一般兵士たちにすることはない。手の空いている蒼軍兵士と空軍兵士は農作業の手伝いに出しなさい、そろそろ秋が迫ってきて麦の収穫がある。できる限り城に食糧を保存しておきたい」

「農作業か……それもすごい話だな。気位の高い蒼軍幹部たちが了承するだろうか」

「了承するんじゃない、了承させるんだ。そのための白将軍代理でしょう」

「はい」

「なんなら僕も説得に出てもいい。まずは自軍をまとめるところからだからね」


 先ほどヴァンがしたように、スーリが話し掛けてくる。


「紫将軍様てすごいな。うちこんなお方やて知らんかった」

「俺も今知った」

「俺も俺も」


 ラームテインがふたたび咳払いをした。


「子供たちは黙りなさい」

「はい」


 オルティが「あと、それから?」とラームテインに問い掛ける。ラームテインに丸投げだ。ホスローはオルティにちょっとがっかりした。だがそれくらいラームテインがすごいということなのだろう。彼に師事することにした自分の判断は間違っていなかった。


「それから――」


 彼は少しの間考えた。左手を腰に当て、右手で自分の顎を押さえ、わずかに黙っていた。


「ホスロー」


 突然名前を呼ばれて、ホスローは慌てて「はい」と返事をした。


「ユングヴィ、タウリスで何かするという話をしていなかった?」

「え? 戦争の話?」

「違う。将軍として、彼女にはおそらく陛下から何かご下命があったのではないかと思うんだけど」


 ヴァンが「聞いた!?」と叫んだ。


「陛下だって! 今まで国王陛下の話をする時にはソウェイル王って言ってたのに、今師匠陛下って言った!」


 ホスローは感動して「ほんとだ!」と叫んだ。ラームテインはとうとうソウェイルを主君として認めたのだ。ラームテインがソウェイルの手によって陥落したのである。さすがソウェイルだ。

 人間関係をよく分かっていないスーリだけが「なんやなんや、うちにも教えて!」と言っているがラームテインが「うるさい黙れ」と言ったのでそれまでだ。


「将軍として、ご下命?」

「これは僕の憶測だけど、彼女にはエルナーズについて何らかのお話があったんじゃないだろうか」


 はっとした。思わず「あーっ」と叫んでしまった。


「そうだ! 母ちゃん、第二王子の件で揉めて以来音信不通のエルナーズ将軍と会って話をするって言ってた!」

「それだよ」


 ラームテインが溜息をつく。


「陛下は十神剣をできる限り集めたいとおっしゃっている。エルも引きずり出したいでしょう。エルと直接揉めたユングヴィに一対一で話をさせて謝罪させるなり何なりして連れ出したかったんじゃないかな」


 しかしタウリス城に着いてからその話題が出てきたことはない。彼女は城内で慌ただしく動き回っていて、外に出ていた気配はなかった。現にエルナーズは今ここにいない。


「まあ、エルがタウリス城にいないということはうまくいっていないんでしょうけど」


 すべてお見通しである。


「どうしようかな。誰かが引き継ぎをしてエルに話をしに行かないといけないよね」


 ラームテインが「うーん」と唸る。


「僕はそういうところは苦手なんだよね……僕が十神剣の身内を籠絡しようとしてできたためしがない。まして相手はあのエルナーズだ、あの人は僕を捨てて陛下に寝返った前科があるから、僕の方が怒って飛び出してしまうかもしれない」

「師匠の自己分析が的確過ぎるな」

「君たち黙れないの?」


 オルティがこわごわ訊ねてくる。


「俺は、その、エルナーズさんというのとあまり面識がないんだが。大丈夫なのか?」


 ラームテインは平然と答えた。


「大丈夫じゃない。十神剣で一番性格が悪い」

「一番!? 師匠より上!?」

「うるさい!」


 するとここで予想外のことが起きた。


「うち、行きましょうか? 他にできることないし」


 なんとスーリが手を挙げたのだ。


「いくら性格が悪いて言うても、女子供に手を上げはるお人やろうか。師匠を濃縮したようなお方やったら、腕力は非力なうちにもできることがあるのとちゃいますやろうか。夜の街の住人同士分かり合えるところもあるやろ」


 ラームテインが「僕を濃縮……」と呟いた。


「いや、どうだろう。考えたこともなかった。一般人の女の子を説得に行かせる、って……」


 ホスローは少し考えた。ホスローには五歳以前のエルナーズと会話をしたぼんやりとした記憶があるのだ。


「妖怪だけど乱暴なことをする人じゃない」


 オルティが「妖怪」と噴き出した。


「居場所は陛下がご存知なのかな。神剣の持ち主の居場所は全部把握していらっしゃるんでしょう? 今訊ける?」

「それはちょっと――」

「うち、知ってます」


 全員の視線がスーリに集中した。

 スーリは何のこともない顔で言った。


「エルナーズ様やろ? タウリスで一番有名な陰間かげまの妓楼の楼主をやってはりますよ」


 夜の街の住人同士、本当に強く太い情報網があるのであった。


「うちに仕事をください! 頼みます」


 スーリが頭を下げる。


「何かしてへんと気ぃ狂いそうや。行かせてください」




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