第21話 桜将軍スーリ
善は急げ、というわけで、その日の晩のうちにスーリはエルナーズに会いに行くことになった。
そこにホスローもついていくことにした。
母が言っていた。
自分はタウリス戦役の時にエルナーズが守ってくれなかったら生まれてこなかった存在だ。
生まれた後も何度も挨拶させられている。何を話していたかは忘れたが、頭を撫でてもらった記憶もある。
十神剣で一番性格が悪いと言っても、そうやって生まれ育った自分に対してなら少しは情というものを見せてくれるのではないか。
ラームテインは「髪の毛一本分も信用できる奴じゃない」と言っていたが、ホスローは母の言葉を信じる。
後押ししてくれたのはオルティだ。
「ホスローもいつの間にか赤将軍になってるしな」
そうなのだ。将軍同士話ができるところもあるのではないかと思ったのだ。
そこまではよかった。
「おーれもー行くーっ!」
ヴァンも張り切り出した。
「ホスローとスーリちゃんが行くのに俺だけ留守番なんてずるい! 俺だって見てみたいじゃんタウリスの夜の街ーっ」
「観光じゃねーんだぞ」
「分かってるわい。だいたい将軍でいいなら俺もじゃん」
そう言われてみればそうだ。ホスローはヴァンをあくまで友達としてしか意識しておらず黄将軍で同僚という認識がなかった。
「ホスローとスーリちゃんだけじゃ心配だなー。俺もついていって二人を守ってやらなきゃいけないと思うんだよなー。いやホスローなら俺より倍くらい強いからほっといてもいいかもしれないけど、ほら、スーリちゃんがいるし? スーリ姫を守る護衛の騎士、みたいな? そういうふうに考えたら頭数多い方がよくない? しかもいろいろごたごたした直後なんじゃ二人きりは何かと心配じゃない? 俺めちゃ必要とされてる感ない? ね?」
「まあ、そうだね。ここにいてもうるさいだけだし、行ったら?」
ラームテインが突き放した。ヴァンは「そんな言い方ないじゃん!」と言ったが顔は嬉しそうだ。
「エル、意外と頭の悪い男好きだし」
「エルナーズさんがどんな人か分からない分どう否定したらいいのか分からないな……」
そんなこんなで三人で旅立つことになってしまった。
複雑な心境だ。
ヴァンは気を遣わなくてもいい相手だがこういう駆け引きに強いとはまったく思えない。こういう用事でなければ傍にいてほしい人間世界第一位だが、とびきり阿呆なことを言ってエルナーズに引かれないだろうか。
かといってスーリと二人きりは気を遣う。二年間踊り子として経験を積んできた彼女の知恵と経験はあてになるが、今のホスローはまだスーリと二人になりたくないのだ。
やはり三人で行くしかないのか。
なんなら自分一人で行った方がいいのではないか、と思ったが、それこそ
ホスローが悩んでいるうちに、オルティの中では話がまとまってしまったらしい。
「一応ソウェイルにそういうことで話を通してくる」
そう言ってソウェイルのいる寝室に入っていってしまった。
酒の入ったろくでもない状態のソウェイルに無条件で肯定されてしまったら、どうしよう。
いつの間にか打ち解けたヴァンとスーリが軽いおしゃべりをしている。その中間地点でひとり沈黙していたホスローだったが――やがてその時が来た。
なんと、ソウェイル本人が出てきた。
それも、高価そうな絹の服を着て、王族にだけ許された蒼い
「一瞬王様業再開」
吐く息には少し
「ちょっと、チビたち、屋上に出てくれ」
「チビたち?」
すでにラームテインよりずっと背の高いホスローとヴァンは顔を見合わせたが、スーリは素直に「はい」と答えた。
「僕もお供致しましょうか」
ラームテインがそう訊ねると、ソウェイルは「ああ」と頷いた。
「証人は一人でも多い方がいい」
証人とは――いったい何をする気なのだろう。
「屋上まで案内してくれるか?」
この中では一番タウリス城の構造に詳しくなったスーリが「はい!」とかしこまった返事をして、ソウェイルを先導するために前を歩き出した。その後ろを、ソウェイル、ホスローとヴァン、ラームテイン、そして最後にオルティがついていく。
屋上に出るとそこにはすでに満天の星空が広がっていた。夏も終わりに近づいた空にはまだ大きな星が三つと白い天の川が流れていて美しい。月は少し欠けていたが充分に明るく、互いの顔が見えるほどであった。
「いい空だなあ」
ソウェイルが能天気にそんなことを言った。ホスローはほっとした。いつものソウェイルだ。
スーリが立ち止まる。ソウェイルもまた、スーリのすぐ傍で立ち止まる。
ソウェイルの足元でスーリが両手両足をつき、頭を下げた。それを見てホスローはようやくソウェイルが一般庶民の間でどう思われているのか思い出した。偉大な義兄は偉大なアルヤ王であり、本来ならば一般人には話し掛けることも叶わない存在だ。
「畏れ多くも余計なことを申しました。ですが少しでも『蒼き太陽』のお役に立てるのなら、このスーリ、命を捨ててでもお務めを果たしてご覧に入れます」
ソウェイルは微笑んで「いや」と言った。
「顔を上げてくれ」
命じられるまま顔を上げ、正座をして、両膝の上に両手を置く。
そんなスーリのすぐ傍に、ソウェイルもまた片膝をついた。
「スーリ、といったか」
「はい」
「お前がどういう経緯でユングヴィに拾われたのかは赤軍の幹部たちからだいたい聞いた。俺が、じゃなくて、オルティを介して、だけど」
また、スーリが「畏れ多いことでございます」と言って首を垂れた。ソウェイルが「だいじょうぶ、怖くない」と笑う。
「ちょっと卑怯なことかもしれないけど」
もう一度立ち上がり、星空を背景にソウェイルがくるりと身を翻して背を向ける。膝丈の民族衣装がふわりと広がり、くるりと回り、やがてしぼんだ。
「スーリに聞きたいことがある」
「何なりと」
「どんなことでも挑戦してみてくれる?」
スーリは一瞬きょとんとしたが、すぐさま頷いた。
「はい、陛下のご命令なら、どのようなご用でも致します」
「そうじゃない」
月が輝いている。
「そうじゃないんだ」
ソウェイルの白い頬を照らしている。
「スーリにはこの国の未来だなんて重いものを背負ってほしいわけじゃない。俺の命令で人生を左右してほしくない。ましてユングヴィのことで責任を取ってほしいなんてこれっぽちも思っていない」
ホスローはそう語る兄の笑顔を見つめていた。
この人はいつからかよく笑顔を見せるようになった。この二、三年だろうか。
少年時代はいつも何を考えているか分からない無表情だったような気がするが、最近彼は民を安心させるために微笑んでみせるようになった。その効果は絶大だ。美しく、落ち着いた、蒼い髪の王に、微笑みかけられる――大抵のアルヤ人は逆らえない。
スーリには逆らえるようであってほしい、と思う自分もいる。
スーリには、もう、これ以上虐げられてほしくない。たとえ温厚を絵に描いたような心優しい義兄からであっても、ホスローは彼女を守ってあげたかった。
「生きる意味が欲しいのなら」
ホスローもまた、目を丸く見開いた。
「もし、スーリが、自分には何の価値もないと思っているのなら。やりたいことがないと、できることがないと、この世界に絶望しているのなら。ユングヴィのために何かすることだけが自分の存在意義だと思っていたのなら」
彼は静かだった。
「俺には、今、ひとつ、スーリに与えられる仕事がある」
謙遜だ。彼はアルヤ王としてすべてのものを与えられるだろうに、ひとつだけと謙虚なことを言う。そういう義兄がホスローは好きだ。
そんな王に、スーリは前のめりで頷いた。
「くださいませ!」
彼女は声を張り上げて答えた。
「うちはほんまに何にもできません! でも……、でも、仕事があるなら一生懸命します。何でも挑戦してみます!」
最後、声が涙でかすれる。
「ユングヴィ将軍がくれるはずだったものを、陛下がこのスーリに与えてくださるというのなら。受け取ります」
次の瞬間だった。
ホスローは目を丸く見開いた。
兄が両方の手の平を広げて空に向けた。
兄の――『蒼き太陽』の右手から、薄紅色の光が溢れ出た。
その桃にも似た色は星よりも明るい。確かにそこに何かがあると思わせるほど、強く明るく光り輝く。
あり得ないものを見た。
右の手の平から、剣の柄尻が見えた。
少しずつ、少しずつ、右の手の平から、柄が、鍔が、鞘が、抜け出てくる。
神剣であった。
桜の神剣が、ソウェイルの手と手の間で、宙に浮いている。
いつか誰かが言っていた言葉を、思い出した。
アルヤ王国の蒼い魔術師。
やがて、ソウェイルはそれを両手で握り締めた。
光が収まった。
「スーリ」
目を丸く見開いて硬直していたスーリが、肩を震わせた。
「抜いてみろ」
口を薄く開け、呆然としているスーリの目の前に、膝をつく。
「何も持たない女の子を、誰よりも強い女神にするために。そのためになら、その剣はお前を選ぶ」
しばらくの間、スーリはソウェイルの顔と神剣を交互に見ていた。
「うちでええのん……?」
彼女はきっと今ホスローがあの時聞いたように神剣の声を聞いている。
やがて、手を伸ばした。
神剣を、手に取った。
右手で柄を、左手で鞘を握った。
桜色に輝く刀身が、姿を見せた。
ソウェイルが微笑んだ。
「ようこそ十神剣へ、
輝く刃をそのままに、スーリがソウェイルの方を見る。
ソウェイルは機嫌良さそうに片目を閉じてみせた。
「ホスローと、ヴァンと、スーリ。三人対等で、いいだろう?」
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