第27話 アルヤ王国が独立した日

 接見の間として設けられた部屋には、即席の玉座が用意された。紅い天鵞絨ビロードの背もたれと無数の蒼玉が埋め込まれた金の肘掛けの豪奢なものだ。どうやらかつて西部州の地方総督が使っていたものに天鵞絨を貼ったものらしい。


 王は少し時間を置いてから現れた。


 彼は堂々たる態度であった。帝国軍の幹部たちを待たせているにもかかわらず、静かでゆっくりとした足取りだった。蒼い絹の民族衣装には金糸の縁取り、頭に巻いたターバンには黄金と宝石の用いられたターバン飾りがのせられていて、護衛官たちが帯剣した状態で黙って後ろについてくる。今の彼の外見は王として完璧だ。


 座る前に一度壇の下を睥睨する。


 一段下に座らされた帝国軍の幹部たちは畏まった様子であった。王をにらみ返したり反抗的な口を利いたりはしない。あくまで帝国軍の代表団として誇り高く礼儀正しくあろうとしているようだった。


 ラームテインは王のすぐ傍でその様を眺めていた。


 十五年前のことを思い出す。

 あの頃まだ十四歳だったラームテインはナーヒドの小姓のふりをしてこの場に同席していた。

 今二十九歳になったラームテインはアルヤ王国軍の軍師団の団長としてここにいる。


 今となっては何もかもが懐かしい。


 ナーヒドの背中越しに見た帝国軍の幹部たちも、今の彼ら同様、逃げ隠れはしなかった。敗軍の将ながらも落ち着いていて、帝国軍の軍人として不足のない態度であった。


 総司令官の首をオルティとサヴァシュが獲ってくるという想定外の事態もあったが、結果として王国軍はそれを機に畳み掛けることに成功した。実は少なからぬ犠牲も払ったが、チュルカの荒ぶる戦士たちに頭を食い散らかされた帝国軍ははるかに上回る損失を出している。

 帝国軍で生き残った将軍級の人間は今ここにいる四人がすべてだ。残りは総司令官同様首を刈り取り逃げることは許さなかった。

 彼らに逃げ道はない。

 それでも、胸を張って王を見上げている。


 帝国軍は変わらないが、王国軍は大きく変わった。


 あの時はナーヒドが同席を許さなかったサヴァシュがここにいる。

 彼が政治的駆け引きに口を出すとは思わなかったが、騎馬隊の隊長として、また総司令官に勝利した人間として、彼もまた王のすぐ傍に座る栄誉を授けられた。

 オルティもここにいる。

 彼は髪を短く切っているので一見するとチュルカ系アルヤ人だが、それでもチュルカ系の人間がこのような重要な場に召喚されるのはそうそうなかったことだ。


 そして、ソウェイルがいる。


 若く美しい我らの王が、玉座に腰を下ろして、肘掛けに腕をのせ、帝国軍の幹部たちを見下ろしている。


 王は親征に成功したのだ。


 ラームテインは心の底から歓びが湧き上がってくるのを感じていた。


 王が――否、彼の双子の兄が帝国軍を撃破した。


 この国が強くなったのは、彼の兄のおかげだ。


 ラームテインは彼の息遣いもこの場に感じていた。


 王はすべてを吸収して強くなった。


 王もまた帝国軍の幹部たちに敬意を払っているようであった。背筋を伸ばして、膝や腕を組んだりなどもせず、厳めしい顔で彼らを見下ろしていた。


「話をさせていただこう」


 王が口を開いた。


「余が言いたいことは何であるかすでに分かっておろうと思うが、それだけではいささか味気ない。貴殿らにはこれから余の使者として帝都に帰還していただくつもりだ。その後皇帝陛下に何を奏上すべきか、もう少し具体的なことを話しておきたいと思う」


 帝国軍の幹部たちが首を垂れた。


「――我々の敗因は」


 うち一人が口を開く。丁寧なアルヤ語だ。あの時もそうだった。帝国軍は武官も文官も教養として皆アルヤ語を学習する。

 アルヤ語は長らく大陸の商業の共通語であった。これから先、アルヤ語は大陸の覇者の言語になるかもしれない。そう思うとラームテインはまた胸躍るものを感じるのであった。


「チュルカ人騎兵部隊を解散させたことにございまするな。新しい火砲を調達して油断しており申した。誰がわざわざ西洋から購入した最新式の大砲の砲弾を放つより速く大陸最強が突撃してくると思いまするか。その時陣中を守る騎兵がまったくおらぬとは、人件費の削減ほどの愚行はございますまい。アルヤ王におかれてはしかと胸に刻まれるとよろしいかと存ずる」

「ありがたいご忠告」


 ソウェイルがふと笑う。


「いや、分からぬ。ここだけの話、火砲は騎馬部隊の後方にいた歩兵部隊には直撃している。ここが時代の潮目なのかもしれぬ」


 そんなことをわざわざ説明してもいいのかと思うと、ラームテインは少しひやりとした。だが嘘偽りのない事実だ。

 実はアルヤ王国からしてもサータム帝国が本当に滅びてしまうのはあまり芳しいことではない。最新式の火砲の威力について情報を共有しておくのも必要か。


「ありがたき幸せ」

「もっと言えば」


 蒼い瞳が邪悪に光る。


「貴殿らの一番の敗因は十五年前余の首を刎ねなかったことやもしれぬ。さすれば帝国軍はここまで手間取ることなくアルヤ王国を支配することができた。違うか」


 すると帝国軍幹部は皆首を横に振った。


「王が帝国の存続を許すのと同様に我々にも王国の存続を許さねばならぬ事情がござい申した。お察しかと存ずるが、チュルカ人もロジーナ人もサータム人だけで食い止めることは敵わぬ」

「ほう」

「それに」


 そこで、中央の壮年の男が苦笑した。


「多神教を奉ずる邪教の徒とは言え、アルヤ人もまたひとつの信仰を持つ民なれば、神を信じる我々が異教の神を殺すわけにはいかなんだ」


 王はそれについては何も言わなかった。


「改めて言う」


 少し身を乗り出す。


「本来ならば賠償金も請求したいところだが欲張りはせぬ」


 声音が力強い。


「独立を。外交権、徴税権、ありとあらゆる権限が、このアルヤ王に帰属するものとして。アルヤ王国を、一個の独立した国家として承認しろ」


 やっと言った。

 やっと言えた。

 この瞬間を、アルヤ王国のすべての民が待ち望んでいた。


 サータム人たちは少し頭を下げた。


「それを判断し承諾するのは我々ではない。皇帝陛下に奏上し、かのお方のご決断を仰がねば――」

「文句があるならばサータム帝をここに呼べ。じきじきに顔を合わせて話をしたい。王都は遠くともタウリスなら近かろう」

「それは――」

「顔を拝んでやると言っている。余はここで待とう。サータム帝が頷くまで、な」


 王は九年前の少年の頃からは想像もできないほど流暢な言葉で話し続けた。


「何度でも干戈かんかを交えようぞ。いくらでもやってやる。我々はもう恐れない」


 後方で控えていたアルヤ人将校たちが勝ち鬨を上げた。サータム人幹部たちがわずかに縮こまったような気がした。


「その旨、我々が帝都に持ち帰って皇帝陛下に申し上げればいいのですな」

「ああ、そうだ。そのためなら護衛もつけてやる。見張りとも言う」

「では――」


 その時だった。

 扉が勢いよく開いた。

 入ってきたのは数人の白軍兵士だった。皆息を切らせている。走ってきたのだろう。

 オルティが「何事か」と一喝した。


「貴様らこのような重大会議を妨害するとは」

「畏れながら申し上げます! 大変な情報が入ってまいりました! これほどの重大事件はないと思い、無礼を承知ながら王にご報告に参りました」


 入ってきた白軍兵士が全員ひざまずき、祈るような姿勢で告げた。

 王が「聞こう」と答えた。

 中央にいた青年が叫ぶように言った。


「サータム帝は今回の敗戦を機に西洋の国に亡命したとのよし。帝都では皇帝一族への不満が爆発し反乱の狼煙が上がっているとのこと。大宰相イブラヒムが鎮火に当たっているものの軍の主力部隊はほとんどここタウリスにあり、暴徒による宮殿陥落は時間の問題かと」


 帝国軍の幹部たちが蒼白な顔で立ち上がった。


『とうとうこの時が来てしまったか』


 サータム語であったが、ラームテインには聞き取ることができた。


「この件、貴方がたは予見できていたということですね?」


 ラームテインが問い掛けると、四人は一瞬押し黙った。憔悴した顔をしている。先ほどまでのソウェイルに相対している知的で理性的な将軍たちの姿はそこにはない。祖国の未来に絶望する中高年の男たちの姿であった。


「早く帰ったらどうだ」


 ソウェイルが、今度こそ、膝を組み、背もたれに背をつけ、尊大な態度で言う。


「貴殿らの帰還を心待ちにしているのではないか。帝都に軍の治安出動が必要だ」


 帝国軍の幹部の一人が額の汗を拭った。


「必要ならば助けてやってもよい。このアルヤ王が、帝国のために人と金を出してやろうか」


 男たちの呻き声が聞こえる。


「イブラヒム総督にはさんざん世話になったのだ。お返しをしないとな」


 四人のうちの一人が「ありがたきお言葉」と呟いた。


「ともかく我々は急ぎ帝都に戻りまする。その後もしかしたら御身のお力をお借りせねばならぬ時が来るやもしれませぬが――」

「遠慮することはない」


 ソウェイルは喉を鳴らして笑った。


「アルヤ王国とサータム帝国が対等な立場で助け合えると言うのであれば、余は満足である」


 嘘だ。彼は帝国に貸しを作ろうとしている。

 ラームテインは密かに拳を握り締めた。

 やった。アルヤ王国の大勝利だ。


 自分が何も言わなくても王は独断でここまでお膳立てできた。

 もうあの時の小さな少年はいない。

 我らが偉大なる『蒼き太陽』がアルヤ王国を独立国家にした。


 自分はまた、大いなる歴史の変わり目に立ち会うことができた。


 アルヤ王国側の人間から、喝采が上がった。










 こうして、アルヤ王国の十八年におよぶ屈辱の日々は終わった。

 アルヤ王ソウェイル二世、二十四歳の秋のことであった。






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