第26話 父から息子へ受け継がれる

 アルヤ王国チュルカ人騎兵隊――大陸最強の騎馬部隊。

 その勇猛果敢なる勢いを止めること何人なんぴとたりともあたわず、この世に二つと並ぶものなし。




 ホスローはついていくのに必死だった。

 文字どおり先頭を行く父の背中は大陸最強の名に恥じず、最初の砲弾を切り抜けてからというもの立ち止まることはなかった。味方からの大量の矢の援護も受け、一心不乱に敵陣を目指した。

 オルティもだ。九年ぶりというので、彼が最後に戦士として戦ったのは十五歳、つまりホスローより少し上くらいのはずだったが、その腕は衰えていないらしい。


 サヴァシュが弾き飛ばした腕が飛んでいく。

 オルティが弾き飛ばした首が飛んでいく。

 斬る、などというものではない。吹っ飛んでいくのだ。両断された敵兵の身体の一部が流れるように後方へ去っていく。


 強い。


 これが、本物のチュルカの戦士だ。


 はっと気づくと目の前に矢が飛んできていた。三本だ。

 その本数を認識できただけで何もできない。

 どうしようと思ったその次の時、父の手がその三本の矢を握り締めていた。

 片手で三本一気に真っ二つに折る。

 すさまじい判断力、すさまじい動体視力、すさまじい握力――圧倒的な力の差、そして経験の差を見せつけられる。


 敵兵たちに鉄砲の準備をさせることも許さない。奴らが銃弾を装填するよりこちらが矢を射る方が速い。


 ホスローは弓袋から弓を取って矢をつがえるオルティの流れるような動きを見ていた。ソウェイルの傍でソウェイルをつついて過ごしている彼からは想像もつかない姿であった。


 剣を納め、同じように弓を取った父のことも、かっこいいと思った。

 これが大陸最強の戦士だ。


 いつの間にか辺りに紅い三日月の旗が増えていることに気づいた。紅い月の旗はサータム帝国の軍旗だ。自分たちアルヤ王国軍が蒼い太陽を掲げているように彼らは赤い月を掲げている。

 この先に大物が待っている。


 ホスローは気持ちがたかぶるのを感じた。


 自分たちは敵の本陣に辿り着こうとしている。


 最前線だ。


 あと少しで敵将の首を獲れる――


 そう思った、次の時だった。


「黒将軍サヴァシュ!」


 若い青年の声が聞こえてきた。


「いるんだろう! 俺の相手をしろ!」


 帝国軍の方からアルヤ語が聞こえてくる。


 サヴァシュが手綱を引いた。


「なんだ、ご指名か?」


 その場に制止する。オルティは無視して――戦場ではわりと暴走するたちのようで――先に進んでいったが、ホスローは父に続いて馬の動きを止めた。


「ホスロー、憶えとけ。本当は戦場では立ち止まった奴からやられる。本当はな」


 ホスローは父の言葉に素直に頷いて「はい」と答えたが、今はその父が立ち止まっている。


「俺はここだ! 俺が黒将軍サヴァシュだ! 腕に覚えがあるんならかかってこい!」


 サヴァシュもアルヤ語で返した。


 またたきをするような間だった。


 敵陣の中から、銀の甲冑を着た騎馬兵が跳び出してきた。


「やっと会えたな」


 声の感じでいうと年齢は二十代から三十代といったところか。甲冑を着ているので体格のほどは分からないが、背はそこそこ高いように思える。


「ずっとこの機会を待っていた」


 サータム帝国の紅い旗を背に負っているというのに、流暢なアルヤ語を話す。


 サヴァシュが言った。


「アルヤ系サータム人か」


 アルヤ系サータム人とは、帝国に籍を置いているだけで、実質的にはアルヤ人と変わらない人々のことだ。アルヤ語を話し、アルヤ料理を食べ、もしかしたら信仰すら太陽を崇めているかもしれない人々だ。


 アルヤ語を母語としている青年が、同じくアルヤ語で生まれ育った自分に刃を向けようとしている。


「どけ、俺の獲物だ」


 青年が言うと、敵兵たちも何かを察して距離を作った。


 戦場の真ん中で空間を切り取ったかように、サヴァシュ、青年、ホスローの三人だけが取り残される。


 どうしよう。逃げた方がいいのか。それとも戦った方がいいのか。自分たちは先陣を切ってきた、引き返す方が危険だ。オルティについていった方がいいのか。しかし姿を見失ってしまった。


 ホスローが悩んでいる間に、青年が予想外の行動に出た。


 銀の兜を取り外したのだ。


 案の定二十代後半くらいだろう、若いが大人の男性だった。今は戦闘に興奮しているのか目を吊り上げているが、きっと本来はどこにでもいる普通の青年だ。特にこれといった特徴のない顔はともすればすぐ忘れてしまいそうだったが、とりあえずアルヤ系ではある。


 ホスローはそんなことを考えていたが――サヴァシュが言った。


「バハル……!?」


 聞き覚えのない名だった。


「俺の顔を憶えてるか?」

「お前、その顔、まさか――」

「心当たりはあるんだな」


 青年が不敵に笑った。

 

「俺の名はカーヒル・イブン・バハル。貴様らアルヤ人に――十神剣に殺された黄将軍バハルの息子だ」


 ホスローは「あ」と声を漏らした。


 十五年前に死んだ、ヴァンの前任者だ。


 その息子が、今、目の前にいる。


「ずっとこの機会を待っていた」


 剣を水平に持ち上げる。切っ先をサヴァシュの方に向ける。


「貴様ら十神剣に復讐する機会を。アルヤ王国に復讐する機会を。アルヤ王国を――」


 ここまでの憎悪を叩きつけられたのは、ホスローは、生まれて初めてだった。


「滅ぼしてやる機会を」

「可哀想だが」


 サヴァシュは腰の弓袋に弓を戻した。


「その機会はもうないと思え」

「何だと」

「俺にはお前は斬れない」


 父の声は、静かだった。


「バハルと約束した」


 なぜ、と叫び出したい。


「バハルに。もし俺の息子が本当に軍人になってアルヤ王国に挑んできても、殺さないでくれ、と。頼まれた」


 サヴァシュがそう言うと、青年――カーヒルは少し驚いた顔をした。

 だが一瞬のことだ。またすぐにサヴァシュをにらみ始めた。


「そんなことで俺がほだされると思うなよ」

「すまんが俺には無理だ」


 そして馬の手綱を再度引き、「行くぞホスロー」と声を掛けてくる。


「貴様逃げるのか」

「ああ、もちろんだ」


 カーヒルも頭に血がのぼって真っ赤になる。


「この勝負はお前の勝ちだ、カーヒル。俺は戦う前から気持ちがもうすでにお前に負けている」


 ホスローは結局叫んでしまった。


「そんなこと言うなよ! 俺は父ちゃんのこと最強だと思ってんだからよ!」


「――父ちゃん?」


 カーヒルが剣をホスローの方に向ける。


「貴様の息子か」


 カーヒルの馬が駆け出した。

 ホスローは自分の身が危険であることを察知して腰の剣を抜いた。

 カーヒルが剣を振りかざす。

 ホスローも剣を持ち上げようとする。


「やめろ!!」


 二人の剣がぶつかり合う前に、サヴァシュの剣がカーヒルの背中を叩いた。斬るのではなく、剣の腹で、あくまで斬れない部分で、だ。


「子供には手を出すな」

「どんな汚い手を使ってでも貴様を追い詰めてやる。俺の父親も追い詰められて追い詰められて殺されたんだからな」

「聞き分けのねぇ青二才だ」


 カーヒルがサヴァシュの方に向かって剣を薙いだ。サヴァシュは黒い神剣の刃でそれを受け止めた。

 闇色の刃がカーヒルを切り裂くことはなかった。あくまで防戦一方だ。しかもサヴァシュはちらちらとホスローの方を窺っていてカーヒルの相手に専念できない。それがホスローにとってはもどかしい。自分がいなかったら、と思うがいまさらだ。


 バハルという男はどんな男だったのだろう。なぜその息子にこんな悪意を向けられなければならないのだろう。分からない。ホスローは何も知らなかった。

 何も知らないが、このままだと父が斬られる、と思うと歯がゆい。


 ずっと立ち止まっているわけにもいかなかった。

 サヴァシュの言ったとおり、戦場では立ち止まっている奴がやられる。つい先ほどまでは黒軍の戦士たちに囲まれていたのでそこまで危険が差し迫っているとは感じていなかったが、このままでは追い掛けてきた帝国軍の騎士が来る。


「父ちゃん!」


 どうしたらいい――と訊ねようとした、その時だった。


 カーヒルの剣が、サヴァシュの左手を切り裂いた。


 宙に紅い液体が散った。


 黒い神剣が地に落ちた。


 やられる。


 そう思った次の時だ。


 矢が飛んできた。


 カーヒルの肘に突き刺さった。


 一拍の間もなく二本目が飛んできた。


 カーヒルの頬をかすめた。


「次は首に当てるぞ!」


 そう怒鳴った声は、


「オルティさん!!」

「道理でついてこないと思ったら!」


 ホスローは安心で泣きそうになった。

 引き返してきてくれたのだ。


 カーヒルが「テメエら」と汚い言葉を吐く。


「憶えてろよ」

「すまん、サヴァシュさんは知らないが俺は忘れると思う」


 オルティの能天気な回答にホスローは笑った。


 カーヒルは剣をしまった。そして舌打ちをした。

 彼の左肘には矢が突き刺さったままだ。簡単には抜けそうにない。あの腕ではもう剣を振るえないだろう。


「お前がここで黒将軍サヴァシュに手間取っているうちに大将首が獲られそうだぞ」


 オルティがそう言うと、カーヒルは右手だけで手綱を引き、やって来た方に向かって駆け出した。


「――追い掛けなくていいのか?」


 その背中を見送るサヴァシュを見て、ホスローはそう訊ねた。

 予想外の答えが返ってきた。


「いや、追い掛ける。カーヒルは殺せないけど大将は殺せるだろ」

「だよな!」


 三人はカーヒルの逃げていく方へ向かって駆け出した。





 カーヒルの姿はどこにも見えなくなっていた。敗走する帝国軍兵士たちとともに帝国へ帰っていったのかもしれない。そうであってほしい。サヴァシュが戦えない人間を相手にホスローが戦えるとは思えなかった。


 しかし目の前には敵の司令官の遺骸が転がっている。首からは矢が生え、舌を出して絶命していた。これでもう充分だ。


「作戦と違うな」


 敵将のすぐ傍にしゃがみ込み、矢を射た当人であるオルティが呟いた。


「俺らだけで獲ってしまった。後ろからついてくる奴らの仕事が敗残兵の虐殺だけというのはちょっと申し訳ない」

「まあ、終わり良ければすべて良しだろ」

「その言葉は本当に今の状況に当てはまるやつか?」


 サヴァシュが「オルティ、お前にやる」と言った。


「アルヤ王国軍の戦士として戦った記念だ」

「そうか。ではありがたく頂戴する」


 オルティが剣を振り上げた。


「最強の座も俺に譲ってくれていいんだけどな」

「そっちは十年早ぇな」


 大地が首の大動脈から溢れる血で濡れた。




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