第25話 戦場のド真ん中で接吻《キス》

 今回の作戦はこうだ。


 まず、タウリスの城壁の西門から黒軍と一部騎馬に自信のある有志たちが突進していく。敵兵に構わず、敵の本陣めがけてただひたすら突っ走っていく。

 敵軍が黒軍たちの後ろを追い掛けていくことになる。

 隊列は長く伸びるだろう。

 そこに隙ができる。

 帝国軍の隊列の尻を、東門と北門から出撃する蒼軍と空軍が追い掛ける。前方にいる騎馬兵たちと後方にいる一般兵士たちが挟撃する形だ。


「タウリスの城壁内で戦闘をしないとなると、打って出るしかないですからね」


 ラームテインが言った。


「また黒軍はえらく危険な役回りだな」


 サヴァシュが唸る。ラームテインがしれっとした顔で言う。


「最後のご奉公ですよ、大陸最強」

「生意気な若造だ。お前はガキの頃からそうだった」


 城壁の中での動きを確認するため、大きな卓の上で地図を広げてみんなで覗き込む。


 しかし十神剣で実際に戦場へ行くのはサヴァシュ一人だ。他に騎馬での戦闘に慣れた者はない。ホスローもサヴァシュの息子として馬術をやっていたが赤軍兵士は騎兵ではなく、ヴァンもまったくの未経験ではないがまだ馬上から剣を振り回すところまでは至っていなかった。


 誰もがそう思っていた。


「あの……、ソウェイル?」


 白将軍代理として参加していたオルティが、彼らしくなく乙女のように恥じらいながらソウェイルの顔色を窺って言った。

 ソウェイルが苦笑いをした。


「いいぞ、行って」

「よっしゃ!」


 オルティが拳を握り締めた。


「お前、ずっと、戦争したかったんだもんな。そのためにここまでついてきたようなもんなんだもんな」

「いや、俺には一応お前の護衛官としての務めがあって、そのために来たので、お前にもしものことがないといけないと思って――」

「いいんだ、オルティ。お前がチュルカの戦士としてずっと我慢してきたのは知ってる。俺は他の白軍兵士たちに守ってもらうし、まだ子供だとはいえ最悪ヴァンとホスローもまったく役に立たないわけじゃないから」

「ありがとな! 俺は九年ぶりに、やっと! チュルカ人騎馬戦士として戦える! あの帝国陸軍と戦争ができる! 一生の思い出だ!」

「楽しそうで何よりだ」


 ここでさらに予想外のことが起きた。

 サヴァシュがこんなことを言い出した。


「ホスロー」

「なに?」

「ちゃんと言うことを聞くなら戦場に連れていってやってもいい」


 一瞬何を言われたのか分からなかった。


「オルティが来るなら。俺とオルティでお前の子守もできるから」


 ホスローは目を真ん丸にした。


「お前にも一応チュルカの戦士の血が流れている」


 視界が明るくなっていくのを感じた。


 戦場に立てる。


「ほんとに!?」

「ああ」


 念押しをするように「言うことを聞けるならだぞ」と言う。


「俺より前に出るな。俺のすることを見ていろ。絶対絶対、約束する、と言えるんなら、勉強させてやる」

「約束するっ!」

「それがチュルカの戦士の父親の仕事だからな。息子を立派な戦士に育てないといけない」


 オルティが背中を押してくれた。


「そうだ、戦士にとっては次の戦士を育てるのが一番の大仕事だ」


 ホスローは両手を上げて飛び跳ねた。


「やったーっ! いい子でついていきます!」


 ヴァンが周囲の面々の顔を見る。


「えっ、俺は?」

「お前は八百屋の息子だろ」

「俺も戦場行きたい」

「町で一番剣術が強いくらいじゃだめ」


 ラームテインに「おとなしくしなさい」と言われた。ヴァンが「えーん」と泣き真似をした。


「ヴァン」


 ソウェイルが真顔で言う。


「いざという時はお前が俺を守ってくれ」


 単純なヴァンは目を輝かせた。


「はいっ! 俺はずっと陛下のお傍におりますっ!」

「というわけだ。サヴァシュ、オルティ、ホスローを頼んだぞ」

「すごいな、アルヤ王のおかげで話が何でも進む」

「王がまともだと親征も楽だなんて知らなかった」


 英雄になれるとは思っていない。母の言葉を守れなかった浅慮な自分がかっこよく活躍できるとまでは考えていない。

 だがこの先こんなことを経験する機会はないだろう。本物の戦場がどんなところなのか分かっていればこそ回避できることもあるだろう。


 何より――ホスローは感じていた。

 サヴァシュにとっては、きっと、これが最後の戦争だ。

 父の背中を見たいなら、絶対についていかなければならない。


 自分はいつか彼を超えていくだろう。

 だがそれはきっと騎兵としてではない。

 戦士にも騎士にもなれないが、兵士にはなれる。

 その時父の記憶があることは心の支えになるのではないか。


 戦うということがどんなことか、父が教えてくれる。


 大陸最強の最後の花道に自分が紙吹雪をまく。


「――はい」


 ラームテインが地図をたたむ。


「作戦会議終了です。あとは各自明日の出撃に備えるなり心の準備をするなりしてください」

「おう!」






 そして運命の日の朝が来る。





 その日の朝も快晴だった。アルヤ高原は大抵いつも快晴だが、その日の朝は気温も低く気持ち良かった。秋だ。日中はきっとまた灼熱地獄に襲われるだろうが、その前には帰ってきてみんなで昼食を食べたい。


 みんなで昼食を食べるのだ。


 生きて戻る。


 タウリスの大通りの家々が、蒼い太陽の紋章の刺繍が施された旗を窓に掲げている。蒼い太陽がはためき、これから出撃する兵士たちを、そして戦士たちを奮い立たせる。


「ご武運を」


 そう言って手を振ってくれたのはエルナーズだ。サヴァシュは「お前に言われてもな」と面白くなさそうな顔をしたが、「あら俺健気で可愛いでしょ」と返した。


「とりあえず俺はすぐ戻る」


 一応甲冑を着せられて馬に乗せられたソウェイルがそう言う。太陽の紋章が刻まれている蒼と金の甲冑は見事だったが、ソウェイルが、と思うと似合っていなくてホスローは笑ってしまった。

 それでも親征は親征だ。かっこつけた方がいい。最後に軍隊を左右するのは士気だ。


「みんなを見送ったらオルティと別れて城に戻る。絶対にすぐ戻ってくるから余計なことはせずに待つように」


 オルティが「俺が守るから大丈夫だ」と言う。


「ソウェイルが城門から市内に入ったのを確認して、城門が内側から閉ざされるのを目で見て確かめてからサヴァシュさんとホスローと行く」


 ラームテインが頷いた。


「オルティがそう言うなら大丈夫でしょう」

「なんだ、オルティはすごい信頼されてるんだな」

「白将軍代理というのは並大抵の覚悟ではできませんよ、陛下。僕は彼のその根性を買っています」

「俺のことは想ってくれないんだ?」


 ソウェイルの軽口にラームテインは顔をしかめた。ソウェイルがからっとした声で「冗談だ」と笑った。


「では、行くぞ。――俺たちには、『蒼き太陽』がついている」


 オルティのその言葉に続いて、周囲の兵士たちが勝ち鬨を上げた。


 サヴァシュが馬の向きを変え、城門の方へ歩ませ始める。黒軍の戦士たちがそれに続こうとする。

 置いていかれまいと思い、ホスローも馬に乗ろうとした。


 その時ふと、手を振る少女の姿が視界に入った。


 スーリだ。


 本格的に戦闘の話になってからはずっと黙っていたスーリが、自分たちを見送ろうと手を振っている。


 ホスローは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。


 彼女はこの上なく不安そうだった。城内でソウェイルや残りの十神剣たちとともに守られる予定であるというのに、泣きそうな顔をしている。


「ご無事で」


 鈴の音のような声で言う。


「絶対に、無事に戻ってきて」


 ひょっとして、心配してくれているのだろうか。


 いろんなものが駆け巡っていく。


 彼女を安心させたかった。


 自分はそんなに強い男ではない。サヴァシュとオルティに守ってもらえるからこそ旅立つ。他の戦士たちに気を払うこともできないだろうし、もしかしたら敵兵と一戦を交えることすらなく引き返して逃げるかもしれない。


 かっこ悪いかもしれない。

 大人の男ではないかもしれない。

 みんなの言うような何も分かっていないお子様で、余計なことをしでかす悪童で、どこかで守られていた方が良いのかもしれない。

 母を死なせた自分自身をホスローはもう信じられない。


 でも、だからこそ、だった。


「生きて戻る」


 どんなにかっこ悪くても、自分を過信しない。

 自分は強くない。

 だからこそ、逃げる。

 逃げて、生きて、いつか強くなれる日を待つ。


「絶対に大丈夫だから。そんな顔すんな」


 スーリが薄く口を開いた。

 大きな瞳からは涙がこぼれそうだった。


 今の彼女をどうしたら安心させられるだろう。自分自身でさえ不安だというのに、彼女に何を与えられるというのか。


 それでも、それでも、それでも――彼女にもう泣いてほしくなかった。


「スーリ!」

「なんや」

「ちょっとこっちに来い」


 手招くと、彼女はちょこちょことホスローの一歩手前まで来た。


 一度唾を飲み込んだ。


 彼女に、安心してほしい。


 彼女の未来を、守りたい。


 その、彼女の生きる人生の先に、自分自身もいてほしい。


 彼女の二の腕をつかんだ。

 引き寄せた。

 顔に顔を近づけた。


 これが正解なのかは分からない。


 けれど、ホスローは確かに、スーリの唇に唇を重ね合わせた。


 それは押し付けただけの幼いものだった。大人の口づけではないかもしれない。


 だが、いつか、彼女が望んだことだった。


「戦争が終わったら結婚しよう」


 スーリが目を真ん丸にした。


「母ちゃんも言ってただろ、戦争が終わったらうちに連れて帰るって。俺、お前のこと絶対俺の家に連れて帰るから。一緒に暮らそう」


 辺りは静かだった。


「兄妹としてじゃなくて。夫婦として」


 ホスローは必死だった。


「俺、お前を傷つけた責任を取るから。全身全霊で。一生をかけて。俺のすべてをお前に捧げるから」


 スーリの目から、透明な雫がこぼれ落ちた。


「お前と一生一緒にいたいから。だから、かっこ悪く逃げて這いずってでも帰ってくるから待ってろよ」


 しばらくの間、スーリは黙っていた。

 だんだん恥ずかしくなってきて、ホスローは自分の頭を掻いた。


「返事しろよ」

「えっ、あ――」

「俺と結婚するの、あかんの!? あかんくないの!?」


 スーリが叫んだ。


「あかんわけないやん、ドアホー!!」


 周囲から歓声が上がった。指笛を吹く声も聞こえてきた。

 そこでようやく、周りに大勢の人がいるのを思い出した。


「なんか、懐かしいな」


 呟いたのは父だ。


「血か?」


 ホスローは父の顔を見てはっとした。彼にはスーリのことを紹介していなかったのだ。彼はここに至るまでどういう経緯があったのか知らないかもしれない。

 どうしよう。困った。

 だいたい結婚とは親の了承なしに決めていいものだろうか。スーリのろくでもない親はどうでもいいが、ホスローにはサヴァシュという立派な父親が残っているのである。


「あの、父ちゃん――」

「ホスロー」


 苦笑してソウェイルが言う。


「あと一年待とうな。お前、まだ十四だから」


 すっかり忘れていた。この国の宗教では十五を成人と定めているのだ。


「まあ、いいんじゃないか? 俺が祝福してやろう」


 太陽がそう言って馬に乗り、一歩歩き出した。

 ホスローは慌ててその後を追い掛けた。





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