第24話 王様にだって一発
翌朝、エルナーズは登城してまずソウェイルに会いたいと言った。
彼は十神剣だ。もちろんすぐに承認され、タウリス城の大広間、かつて西部州長官が接見を行っていた城内で最上級の絨毯の敷かれている部屋に通された。
本来なら臣下のエルナーズが先に部屋に入ってひざまずいて待つべきだが、ソウェイルの意向で王たるソウェイルの方が先に部屋でエルナーズが来るのを待つことにした。
ソウェイルは、明るい青色の布張りの椅子に腰掛け、エルナーズの到着を今か今かと楽しみにしていた。
今日のエルナーズは、昨日の夜とは打って変わってさっぱりとしていた。
秋にふさわしい濃緋色の生地に銀糸一色で一重の薔薇の刺繍、橙色の襟の上には黄土色の襟巻を合わせている。両手にはめているのは白い絹の手袋だ。目元の化粧も控えめに、刷いている紅も薄く生来その色の唇であるかのように見えて、もともとの顔立ちがそもそも整っているのを逆に強調する。
性別不明の妖怪がやや男性寄りの人間になっている。
ソウェイルのすぐ傍で待機していたホスローは、部屋に入ってきたエルナーズを見て、やればできるのか、と感心した。彼は時と場所をわきまえた頭のいい人なのだ。
彼はソウェイルの真正面に来ると、まず慣習に倣った礼をした。一度ひざまずき、敵意がないことを示すため両手を広げてみせ、両手を下ろして床につき、頭を下げる。
正しい作法ならここで王が顔を上げるようにと言うのを待つ。現にソウェイルもそう言おうとしたのか少し前のめりになって口を開こうとした。
だが、エルナーズはソウェイルの反応を待たずに膝を立て、立ち上がった。
誰もが呆然とエルナーズのすることを見ていた。
ソウェイルにつかつかと歩み寄る。
左手でその襟元を――胸倉をつかむ。
引きずり上げられるまま、ソウェイルが立ち上がった。
エルナーズが右手を振り上げた。
ぱん、という音を立てて、ソウェイルの頬を打った。
場がどよめいた。
あってはならないことだ。いくら十神剣であるといっても、臣下の身でありながら王を打つなどありえないことだ。
本来なら侮辱罪で首を刎ねられてしかるべきことだ。
だが、ソウェイルは、にやりと笑った。
「満足か?」
エルナーズもソウェイルの胸倉をつかんだまま優雅に微笑んだ。
「大きくおなりになって。御髪が蒼くなければどなたか分からなかったかもしれませんわ」
「そうか。たまにはこの髪も役に立つな」
「ずいぶんご立派になられたそうですわね」
「エルナーズの目を通してもそうと言ってもらえるのならその時こそ俺は本当に立派になったんだろう」
「あら、ちゃんと口が利けるようにおなりになったの」
オルティが一歩前に出て「ソウェイル」と声を掛ける。エルナーズを離そうと考えたに違いない。だがソウェイルは手の平を見せてそれを制した。
「帰ってきてくれエルナーズ。今こそあなたの力が必要だ」
「もう何百回もいろんな人に問い掛けたと思うのですけれど。一介の男娼であった俺に何ができるのです? 何をお求めなのです? 何をどうしてほしくて俺をここに呼ぶのです。神剣が抜けたから?」
「いや、違う」
ソウェイルの声色は力強くはっきりしていた。
「タウリスという地方都市の、それも夜の街からでしか見えないアルヤ王国というものを、俺に教えてくれ。『蒼き太陽』に堂々と文句をつけられる十神剣という立場をうまく利用して、な」
エルナーズはしばらくソウェイルの顔を眺めていた。少しにらむようでもあり、ホスローはひやひやした。ここでまたエルナーズの機嫌を損ねたら厄介なことになると思ったのだ。
しかし、彼はソウェイルの胸倉をつかんでいた手を、離した。
一歩分、後ろに下がった。
「そうしてラームもたぶらかしたのですね」
「頭を下げてお願いしたんだ。ラームにはラームの、エルにはエルの目からでないと見えないものがあると思って。俺はユングヴィやテイムルに甘やかされて育って世間知らずだった、ここ数年でようやくお勉強が進んだところで今まだ発展途上なんだ」
「しっかりした自己分析をなさっているようでよろしおすな」
エルナーズはさらに一歩分下がった。結果としてソウェイルと三歩分の距離ができた。
ひざまずくにはちょうどいい距離だ。
エルナーズが膝を折り、腰を下ろす。
おかしなことに、ソウェイルもまた絨毯の上に片膝をついた。
エルナーズより先に、ソウェイルが軽く頭を下げた。
「アルヤ王として、でも、ソウェイルという一個人として、でも。今、あなたに傍にいてほしい、エルナーズ。あなたが、あなたこそが、俺には――そしてアルヤ王国には必要だ」
エルナーズは膝の上に手を置いたまま、頭を下げずに「はい」と答えた。
「仕方がありませんわね。そこまで熱烈な求愛をされて断ることはできませんわ」
ソウェイルが顔を上げた。そして、にこ、と微笑んだ。
「ありがとう」
エルナーズの頬も緩んだ。
「いい子。ありがとうとごめんなさいが素直に言える子は愛されるわよ」
ソウェイルがエルナーズの片手を取る。その仕草は騎士が姫君にするもののようで、見ているホスローの方が少し気恥ずかしかった。
しかしエルナーズは何とも思っていないらしい。平然とした、変わらぬ笑顔でソウェイルを見つめている。
「本当は貴方様のお母上にも一発ビンタをくれてやりたいのですけれど、さすがの俺も死人にそうできるほど無礼ではございません」
「ユングヴィが死んだことを知っていたのか」
「タウリス中の人間が知っていることですもの、この俺が知らないわけがないでしょう。でも、どうでもいいと思っておりました。彼女には馬鹿にされた恨みがございますからね。ただ、それもホスローの顔を見るまでは、の話です。最後にお別れぐらい言ってもいいかと思いましてよ」
「それも嬉しい。ありがとう」
立ち上がったソウェイルとエルナーズが向かい合う。
「約束しよう。もう二度とタウリスを焼かない。今回もだ」
エルナーズの口元は微笑んでいたが、目は笑っていない。
「あなたのタウリスも必ず俺が守る。信じて見ていてくれ」
「そう?」
「これが俺の治世で最初で最後の戦争だ。俺が王位にある間は、あなたのタウリスはもう廃墟にならない」
そこでソウェイルがちょっと笑って「正確には街を焼かなくて済むようラームに考えてもらうんだけど」と言ったので、その場にいるほとんどの人がふと笑いを漏らした――ラームテイン以外の全員が、だ。
「あなたをタウリスから引きずり出す気もない。今までどおりの暮らしを続けたいならそれでも構わない、昔みたいにずっとタウリス城で拘束したいとも思っていないんだ。ただ神剣が抜けてしまったので
エルナーズが初めて少し驚いた目をする。
「辞める時は死ぬ時でございますよ」
「死ななくても辞められる方法がある」
ソウェイルがいたずらそうに片目を閉じた。
「『蒼き太陽』が神剣に交代を命じる時だ」
「まあ! そんな手段が?」
いろんな人から「あるのか……」「知らなかった……」という声が漏れてきた。ホスローは知っていたので、知らない人がいることに驚いた。
「どうする? エルナーズ」
エルナーズが肩をすくめる。
「でも、俺に傍にいてほしいのでしょう?」
「そうだ」
「それも、タウリスの夜の街で生きる俺に」
「そう」
「俺個人をご指名なら仕方がない」
そして笑う。
「最後までやってさしあげましょうではございませんか、空将軍」
空軍幹部たちから歓声が上がった。
「貴方様が本当にタウリスを焼かないのか間近で見張るためにもその方がいいんでしょうしね。十神剣という立場がなくなったら、それも叶いませんもの」
「いや、そんなことはない」
ソウェイルが首を横に振る。
「言ったろう? 俺個人としてもあなただからいいんだと、エルナーズ。他の誰でもなくあなたが、俺にいろんなことを教えてほしい」
エルナーズが少し複雑そうな表情をする。
「かつて俺に同じことをおっしゃった人がおりました」
「そうなのか?」
「貴方様と同じ色の瞳をした方でした」
全員が固唾を飲んで、二人を見守った。
負けたのはエルナーズだ。
「よろしくお願い申し上げます」
ソウェイルは、力強く頷いた。
「よし。やろう」
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