第16話 初めて涙が溢れた

 それからというもの、ホスローは時間があればスーリを犯した。


 この場合の、時間があれば、というのは、生活に必要最低限必要なこと、たとえば食事や入浴といったこと以外のすべてと言い換えてもいい。つまり四六時中スーリとともに過ごしたということだ。


 将軍として一人部屋を使っていることが幸いした。ここに半ば監禁するようにスーリを置いておいても誰にも何も言われなかった。もしかしたら気づいている者もあるのかもしれなかったが、突っ込んでくる人間は誰一人としていない。


 あれから何日経ったのか分からない。二、三日かもしれないし、二、三ヵ月かもしれない。


 毎日、毎日、ホスローはただ、スーリを犯し続けた。

 抱く、だとか、寝る、だとか、そういうことではなかった。スーリをいたわる気は一切なかった。


 最初の一回目の時、初めて女性器というものを見たホスローには勝手が分からなかったが、スーリの方は慣れたものだった。優しい手つきでホスローを導き、受け入れた。

 それが逆にホスローの怒りを煽った。

 とはいえ何に怒っているのかは分からない。スーリが踊り子として、娼婦として二年間暮らしてきたのなどいまさらの話だ。この行為に慣れているからといって騒ぎ立てることもない。

 それなのにホスローは火がついた。


 入ってしまえばホスローは無我夢中で乱暴に腰を振ればよかった。


 スーリは文句らしい文句は言わなかった。

 ただ、彼女は途中でこんなことを言い出した。


「口づけして」


 左手の指を自分の唇に寄せる。


「唇。お願いや」


 それから、ホスローの唇に触れる。


「口だけはまだ清いままやねん。その時までとっておこうと思っててん。だからホスローお願い、接吻キスして」


 ホスローはその手を振り払った。


「なんでお前みたいな汚い女にそんなことしなきゃいけねぇんだよ」


 そう言い放つと、スーリは頭の近くにあった枕を自分の顔に引き寄せ、隠した。


 肉を擦りつけていれば快楽は訪れる。


 スーリの中に欲望の丈をぶちまけると、ホスローはいつもしばらく放心した。

 自分は何をやっているのだろう。

 こんなことをしても気は晴れない。

 それどころか、母が知ったら怒るだろう。彼女はスーリにこういうことをさせないために引き取ると言い出したに違いないのだ。自分は今親に言えないことをしている。


 その親は死んだ。母はすでに干からびて木乃伊ミイラになり、父も半身をもがれて実質死んでいるようなものだ。


 自分は独りだ。


 時間を潰さねばならなかった。


 そのためにスーリを利用するのはホスローにとって一番手っ取り早かった。


 スーリを痛めつけていれば自分の罪は一瞬軽くなるように感じられた。


 彼女を責めればいい。

 彼女が悪い女だからこんなことになった。彼女が余計なことをしなかったら自分はまだ何も知らずにいられた。

 そう言い続けていればホスローはわずかな間だけ楽になれた。


 根本的な解決にならないのは分かっていた。

 しかもスーリは人形ではない。意思を持った人間だ。


「ホスロー」


 全裸のまま寝台に座り込んで、彼女が困ったような笑顔で言う。


「ちょっとだけ外に出よ。少し外の空気吸うたらいいと思う。気分転換行こ」


 そんな彼女の腹を蹴り飛ばした。


 いつの間にか、彼女の腹や腿には青黒い痣がいくつもできていた。

 こんな状態になってもホスローはまだどこかが冷静で、スーリの顔や手といった服から出る部分に傷をつけることはなかった。


「うるせえ」


 髪をひっつかんで持ち上げる。

 寝台の上に彼女の顔を押し付け、獣のように四つん這いにさせる。

 そして、何もすることなく突然、後ろから挿入する。


 痩せた肩、肉のない背中が揺れる。華奢で壊れそうな少女の肉体だ。


 時々小さく呻き声を上げるのを無視するのもホスローは慣れた。


 これは愛でも恋でもなく暴力であることをホスローは理解していた。


 この女を虐待している時だけ、自分は楽になれる。


 一方スーリの方も不思議なことに逃げようとはしなかった。

 ホスローが放心している時、食事をしている時、入浴している時、眠っている時、部屋を出ていくことはいつでも可能だったが、彼女はそうしなかった。

 むしろ甲斐甲斐しくホスローの世話を焼いた。

 清潔な布でホスローの体を拭く。新しい着替えを持ってくる。服の前を開き、脱がしては着せる。


 服を着て出ていくこともあった。

 しかし彼女はホスローと自分の分の食事を持って戻ってくる。


「食べて」


 何事もなかったかのように微笑む。


「お腹空いとるやろ。運動しとるんやから」


 優しい声で、猫撫で声で、彼女は言う。


「お願い。食べることだけはやめんといて」


 麺麩パンを千切ってホスローの口の中に押し込むこともあった。ホスローはそれは受け入れた。誰かに生きることを強要されるのは心地よいことだった。

 何をすればいいのか命令されたかった。ああしろ、こうしろ、と言われたかった。

 なんならひどい罰を受けてもよかった。

 自分は地獄に落ちるだろう。

 そのためだけに、生きるのだ。


 そしてその地獄にスーリも引きずり込む。


 二人でどこまでも堕ちていく。


 そう思っていた。


 たまたまのことだった。最近のスーリは服を着ている時間の方が短いというのに、今に限って食事を取りに行ってきたばかりで長衣カフタンシャルワールも身につけていた。頭に布は巻いていなかったが、秘書官長シャフルナーズが髪を晒して歩くこのご時世それをとがめる者はもうない。


 扉を叩く音がする。


 ホスローはびくりと肩を震わせた。


 初めてのことだった。

 誰かがこの部屋を訪ねてくることなど、今の今まで一度もなかったのだ。


 まず最初に感じたのは、恐怖だった。

 スーリに乱暴している。他に何もすることなく、ただ彼女を奴隷のように扱っている。

 それをとがめに来たのではないか。


 父の顔が浮かんだ。

 とうとう動き出したのか。


 次に感じたのは、怒りだった。

 いまさら何の用事か。こんなに長い間放置していて、何にも言わず、何にもせず、将軍になったというのに軍議のひとつにも呼ばずに今訪ねてくるのはいったい誰か。


「何だ?」


 ぶっきらぼうに扉の向こう側へそう訊ねた。


 返ってきた声を聞いた時、ホスローは目を真ん丸にした。


「やっほー! 俺、俺!」


 驚きすぎて目玉が落ちてくるかと思った。すぐには信じられなかった。

 ありえない声を聞いている。ここにはないもの、絶対に聞くはずのないものを聞いている。


 でも、響いてくる。


「タウリス城に着いて真っ先にホスローに会いに来た!」


 熱いものが込み上げてくる。喉が震える。叫び出しそうになる。


 立ち上がり、急いで扉を開けた。


 想像していたとおりの顔があった。


 日に焼けた肌、彫りの深い二重まぶたにどこにでもいる黒い瞳、幼い頃にやんちゃをして転んで以来うっすら残ったらしい頬の小さな傷、短く切った硬い髪――おそらく背は伸びているのだろうがホスローも同じくらい成長しているのでそう変わらないように感じる、それから少しずつ筋肉がついてきて厚くなりつつある胸板――


「ヴァンちゃん」


 ヴァン――ヴァフラムは白い歯を見せて笑った。


「ヴァンちゃんが空元気をお届けしに来たぜー!」


 隣で、はあ、と溜息をついた者がある。

 夜色で艶やかなまっすぐの髪を肩の辺りで軽く束ねた麗人だ。ヴァンとは対称的に日に当たってなさそうな白い肌には男らしい脂はなく、長い睫毛に守られた杏型の目には夜色の瞳が埋まっている。すっと通った鼻筋、薄紅色の唇――


「空元気ね……君たちのやり取りは変なノリだね。だんだん慣れてきたけど」


 ラームテインだ。


 ヴァンとラームテインがいる。


「なんで? ここ、タウリスなのに」

「えっ、言ったじゃん。陛下が、十神剣をできる限り掻き集めてタウリスに集合させる、って。やっと師匠を口説き落とせたから一緒に来たぜ」


 すっかり忘れていた。


「遅くなってごめんな! 俺がいなくてさぞかし寂しかっただろー!」


 腕を伸ばした。

 ヴァンを抱き締めた。

 強く、強く、抱き締めた。


「うん」


 初めて、涙が溢れてきた。


「寂しかった」

「そっか」


 ヴァンの手が、ホスローの背を撫でる。


「そっか、そっか。来れてよかったわ。会えてよかったわ」

「うん……!」

「俺たち、親友だもんな」


 それからしばらく、ホスローは声を押し殺して泣いた。



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