第12話 ありがとう、そして、さようなら 2

 兵士はまず代官の牢の鍵を開けた。長い間まともに歩いていなかったのであろう代官はよろけながら出てきた。

 だがそれでも大人の男であることに変わりはない。


「きゃっ」


 彼はスーリの腕をつかんだ。

 そして自分の方へ強く引っ張った。

 スーリの腕から籠が落ち、中身の布が辺り一面に散らばった。


 先ほど地面に転がされた兵士が立ち上がった。彼はアルヤ人の兵士に違いない、「貴様裏切ったな」と叫びながら剣を抜いた。


 アルヤ人兵士の剣が速い。サータム人兵士の手首が飛ぶ。宙に舞う。


 それがいけなかったらしい。


 近くの牢の中に兵士の手首が入った。


 収容されていた囚人たちが雄叫びを上げながら自分の牢の鍵を探し出し、開けた。


 大勢のサータム人たちが一斉に押し寄せてきた。


 誰が文官で誰が武官か分からない。ここにいる数週間で誰も彼もが痩せ衰えていたからだ。だが武官なら筋力がなくても戦う術を身につけているはずである。どの人物に気を配るべきでどの人物を無視していいのかホスローには分からなかった。


 ある人物がホスローの肩をつかんだ。

 ホスローは反射的にその手首をつかんだ。


 それはもはや本能だった。体にしみついている。頭で考えなくても分かる。


 手首を引く。

 脇を肩にのせる。

 ごきり、という音がした。肩の関節が外れる音だ。


『なんだこのガキは!?』

『赤将軍ユングヴィの子供だ、気をつけろ!』


 失敗した。何の武器も持ってこなかった。奪おうにも囚人たちも全員素手だ。


 武器が欲しい。


 鍵束を得た囚人たちが次々と牢を開けていく。体術には自信のあるホスローでもこの人数を一人でさばくのは心もとない。

 味方はたった一人だ。だがその一人も先ほど松明で兵士を燃やしたあの男と交戦している。右手を失ったというのによくやる。よほど腕の立つ人物なのだろう。


 ホスローはもう一人に目をやった。

 上半身が焼け焦げ、「熱い、熱い」と呻いている男だ。


 頭の中で誰かが言う。


 戦え。


 火傷した兵士の腰から、剣を抜いた。


 近づいてきた囚人の胸を切り裂く。


 人間を斬るのは初めてだった。だが呆気なかった。犠牲祭で羊を屠るのと一緒だ。


 一人目が倒れた。


 二人目、三人目が襲ってくる。


 急所を狙わなければ。

 しかしどうやって。向こうには骨がある。

 骨を動かせないよう関節を断てばいい。

 だめだ、一対一ではない。一撃で倒していかなければ何をされるか分からない。

 大丈夫、相手は素手だ。

 全員やれる。


 戦える。


 戦え。


 剣を振るった。囚人たちを次から次へと薙ぎ払った。


 筋肉が躍動するのを感じる。

 自分は戦うために生まれてきたのだというのを心の底から感じる。


 殺せ。


 いける――そう思った、次の瞬間だった。


「ホスロー!」


 少女の声が響いた。


 振り向いた。


 代官が、いつの間にか手にした剣を、スーリの首筋に這わせていた。


『親子二代揃って化け物めが』


 彼はサータム語で何かを吐き捨てると、今度は少し抑えたアルヤ語で言った。


「動くな。動いたらこの娘を殺す」


 ホスローは剣を構えたまま動きを止めた。


 しまった。スーリの存在を忘れていた。無我夢中で人間を斬っていて、自分が一人ではないことが頭からすっぽ抜けていた。


 いつの間にか手首を失ったサータム人兵士もそのサータム人兵士と相対していたアルヤ人兵士も床に横たわっていた。どういう状況でそうなったのかは分からないが、二人とももう息絶えているように見えた。


 味方はいない。ホスローはここに一人だ。


 スーリを助けなければならない。


「私と一緒に来い。赤将軍ユングヴィを交渉の場に引きずり出す」


 代官が言う。


「剣を捨てろ」


 ホスローは自分の右手を見た。


 剣の柄を握る手は血で真っ赤だった。


 いずれにしてもこの剣は人を斬り過ぎてもう刃こぼれしている。それでも鉄の棒として相手を殴る鈍器にできたが、折れて曲がるのも時間の問題だった。


 スーリの白く細い首から、うっすら赤い血が流れている。


 剣を、投げ捨てた。


 からん、という、音が響いた。


 代官が牢から出てきた。スーリの首に剣を突きつけたまま、だ。


 辺りのサータム人たちも静かになっていた。スーリを人質に取ったことでホスローまで人質に取れた気になっているのだろう。


 やってしまった。王国軍の他の兵士たちに迷惑をかけることになってしまった。


 自分は、戦場のど真ん中にいたのだ。


 なんて馬鹿なことを――と思った次の時だ。


 先ほど聞いた、鉄の扉が開く音が聞こえてきた。


 ホスローは振り向いた。


 鉄の扉の向こう側から、多数の蒼軍兵士たちが入ってきた。


「貴様ら!!」


 この時ホスローは今が好機だと踏んだ。

 案の定、動揺した代官が目を見開いて手を震わせていた。


 代官の手を殴った。

 しょせん六十過ぎの男だ。しかも長い収容生活で弱っている。大した握力はない。

 剣が宙を舞った。


「ホスロー!!」


 スーリが飛び出すように走ってきた。そしてホスローの首に腕を回すようにして抱き着いてきた。


「ばか!」


 ホスローはスーリの体を引き剥がすと床に投げ捨てた。


「お前邪魔なんだよ!!」


 スーリがホスローを見上げたまま硬直した。


 そうこうしているうちにも蒼軍兵士たちと囚人たちが揉み合っている。


 百人単位の政治犯を収容する地下牢だが、通路はけして幅広いとは言えない。数人と数人が展開すればそれまでだ。武器を持たない囚人たちは次々と斬り倒されていったが、それでも時間がかかる。


 嫌な予感がした。


 また、鉄の扉から違う色の制服を着た男たちが入ってきた。


 空軍兵士だ。


 正確には、空軍兵士の恰好をしたサータム人たちだ。


 兵士同士の斬り合いが始まった。


 まだ安心できない。


 ホスローは代官の手から床に落ちた剣を拾った。


 ここは戦場だ。


 大将の首を獲った方が勝ちだ。


 後ろを向いた。


 スーリという人質を失い、剣という武器を失った代官が、震えていた。


 ホスローは剣を横に薙いだ。


 代官の首が面白いほど真上に飛んでいった。


 血の噴水が上がった。


 あちらこちらから絶叫が響いた。


「持ってろ」


 ホスローは床に転がった代官の首を拾った。そしてスーリに向かって放り投げた。スーリは「ひっ」と喉の奥を詰まらせたが、代官の首は結局床に座り込んだままの彼女の脚と脚の間に転がった。


 さて、次はどうするか。


 サータム人どもを全員駆逐してやるか。






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